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カップリング
「あなたの詩はカップリングみたいだね」 彼女がそう口にした時僕は詩を綴り始めた 「カップリング」 働き人の残骸を拾い集めた 胸を抉るような痛みと苦しみは 後悔と残痕の行く先で きっと奴隷化された人々を開放するのだろう システマティックな回路は内臓を抉りとり 最早人間の形さえ留めないほどの 無様で陰惨なガイストを露呈する 僕らは確かに夢追い人だったはずだが 今はその見る影もなく 注射針で官能を注ぎ込むだけだ 狂おしい胸元の傷跡は トリガーを君が引いた時 破裂するほどに引き裂かれた 僕はどこまでも奈落の底に落ちていき ただのたうち 野垂れ死にするだけだろう 僕ら二人の赤子は無残にも放置死され 涙する父親 僕の雄叫びは月のクレーターを射抜き 貫く それでも人々は無関心なままで 強欲と利潤を求め続けるはずだ 僕はこんな人生を愛していなかった切り取られた感情の歪みはどこまでも僕を苦しめるゴッドオブペイン心の澱で発掘されたディストピアは僕を堕ちるところまで墜とし堕落させるどこまで進んでも袋小路出口はないこの苦痛よ痛恨の思いよ僕を願わくば死へと導いて欲しいフラッシュバックする思い出とトラウマはそうして消失し僕を抜け柄の骨身にしたどうしてどうして僕は間違いを繰り返すのかそれでも救済があるかもしれないと知った時 僕の裏通りめいた嘆きごとと幻影 黒い影は拭われるのだろう 君の優しい言葉とともに そして 君は言う 「私はあなたのシングルが読みたいの」 「シングル」 流星から落ちる君の涙の先に 余りにも無力な僕の立ち姿があり 希望さえ朽ち果てた荒れ地で僕は叫んでいた 双子座のもとに生まれた二人の心は光り 巡り会えた幸せに喜び打ち震えながら 君の全てを抱きしめる そうして僕は君に近づく 交わし合ったのは言葉じゃなくて 愛を信じあえる奇跡の器と 本当の悲しみよ 光芒の果て 荒野の向こうに 二人が求めて探しあぐねてた真実があって 果実の色は 鮮やかなままで 僕らがどこまでも繋がれる 二人は神秘の扉を開く そう 光芒の果てで 跪き 俯いて うなだれた昨夜の鼓動よ 僕らの影をくるめとって 草原のそばに葬って欲しい その時世界は輝いたままで美しくなるのだろう 全てを認め合って 補いあったその関係 宇宙の片隅で 許された罪深さとカルマに 僕らは見惚れていた 支え合ったのは体じゃなくて 愛を希求する永遠の心と 本当の歓びよ 真夜中に 呼びかける 君からの救いを求める切ない声と 廃墟の街で 彷徨い続ける 僕の一人もがく夢こそが たった一つの答えなのさ そう それは真夜中に 彗星よ どうか遠のかずに 僕らをいつまでも結び合い 歓喜へと導いて欲しい 月の欠片が 頬に落ちて 涙も拭わずに 日々を生きてきた 過去にさよならを 許されるなら 彗星よ 僕に救済を 気持ちが満たされて 雑踏の中へ消えゆくノスタルジーの世界は涙して 儚げで 幸せと愛情が 切り離されない二人の中で ずっと生き続けて 輝いていく 光の只中で その時に 君が僕の本心を求めたその時に 「カップリング・帰結」 荒廃と腐敗の香りただよう晩餐で 僕は神を語った男が果実酒を注ぐのを見た 痛ましい思い出と裏切り そして骸の雄叫びを僕が目にし 耳にした時 この世界にはもう救いはないのだろう ただただ残虐で肌触りの悪い感触が僕を痛めつけ 民衆は嘆くばかり 彼らは心が砕けて 悩ませられるだけだ 僕には何が出来るだろう 偽善者と罵られようとも ひたすら嗚咽交じりの共鳴を続けるのだろうか もし僕に何か力があるのなら 僕は焦燥の中人生を駆け抜けて凡庸な語彙で言おう生き急いできたそれでも僕は後悔はないと言えるだろうか僕は慟哭し落胆し時に滅亡の只中で死に物狂いで魂を磨き続けたそれでいて何もかもないがしろにされる有様だ僕にはもう行き場はないそんな自己憐憫でさえ天誅の餌食だ僕はどこに向かうどこへ行けばいいそんな愚問でさえ天は踏みにじるだろう 僕は空白 余白 ただそれだけの存在 そして与えられたものはたった一つの夢 列車が駆け抜けていく 一瞬のエクスタシーを乗せて 全ての嫌悪と憐憫が過ぎ去った時 その時に一筋の光とともに僕のカップリングは終わっていた 彼女は言った 「私はあなたのシングルが好きなの だからもっと素直になって」 その言葉を聞いた時 ロマンスの亡霊は去り 風の吹き抜ける草原で虚無から開放され 僕は澄み切った眼差しでただただ遠方にある未来を見つめていた 一欠片の歓びに包まれながら そう 僕に唯一与えられた一欠片の歓びに包まれながら
カップリング ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 876.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-08
コメント日時 2017-11-12
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
すごい迫力ですね。ひと息に「読まされて」しまいました・・・意味を追うよりも先に、勢いとか、盛り上がってハイテンションで突っ走る部分と、抑制されて力をこめて低音、低速で進行する部分と・・・ カップリング、これだけだとよくわからないのですが、シングル、と重ねられることによって、音楽のレコードやCDのイメージが呼び込まれる。〈彼女〉に、あなたの詩は、あなたの人生の添物、付随物みたいね、そうではなくて、あなた自身の、本当の物語を聞かせて、と呼びかけられ、荒み切った人生を再生させる、までの「物語」というのか・・・物語性を持ったひとつの楽曲、のような。 ふたつのクライマックスの間、が、ちょっと間延びしているような印象も受けてしまったのですが・・・三行ずつの構成で、気持ちを抑制させつつ語る、この部分の進行は、とても魅力的なのですが(整然とした印象もありますし)次につなげていく、~り、とか~て、といった語尾が、改行されてはいるけれども、完全に切れてはいない、継続して進行していく流れを作っている。部分的に行詰めしたり、もう少し絞れるところを削ったりして、ここをもっと、スピーディーに乗せていけたら、もっと面白かったのではないか、と感じました。(希望さえ朽ち果てた荒れ地というような、常套句的な用法とか、巡り会えた幸せに喜び打ち震えながら、あるいは、愛を信じあえる奇跡の器、といった抽象的な表現などは、なにかもっと、鋭い表現にできそうな気もします。) 〈跪き 俯いて うなだれた昨夜の鼓動よ 僕らの影をくるめとって 草原のそばに葬って欲しい その時世界は輝いたままで美しくなるのだろう〉こうした表現、とても新鮮でした。 〈風の吹き抜ける草原で虚無から開放され 僕は澄み切った眼差しでただただ遠方にある未来を見つめていた〉この部分につながっていく伏線ともなっている部分。こうしたところを、大切にしてほしいと思います。
0まりもさん。コメントありがとうございます。「物語性を持つ楽曲のようだ」という感想をいただけてとても嬉しいです。この作品は構成で魅せることに成功している、とも思っていたので。 まりもさんの仰る通り、「カップリング」というタイトルはCD、レコードのいわゆる、古い言い方で言えばB面を意識したものなのですが、実はこのタイトルには現在の現代詩の潮流へのちょっとしたアイロニーめいたものも入っているのです。昔ミュージシャンがカップリングやB面の楽曲で試みていたアプローチは、実験的であったり、アイデアの断片の投影であったり、かなり偏った個人的趣味嗜好の反映であったりもしたのですが、現代詩の流れや特にネット詩の流れが実験的であり、先鋭的であり、一般の方がスーッと入っていける状況になく、それ(CDのカップリング的な一面)に似ているな、との僕の思いからこの作品は制作にとりかかっていたのです。 シングル的な作品(万人受けする、あるいは分かりやすい)詩が軽視される状況にちょっとした警鐘を鳴らすと言えば大げさですが、危惧を覚えたがゆえに作った作品でもあります。ですからこの詩における「シングル」パートでは、まりもさんが指摘された通り、響きや見栄えは良いが、常套句的言い回しや抽象的な言い回しも意識して使っています。もし今一度ご覧になられるならお気づきだと思いますが、「シングル」パートではひたすら「美しい」表現と感情にスポットをあてているのです。これは「カップリング」パートの陰惨な描写とは対を成しています。この対比は構成の妙も手伝って成功したのではないか、とも思います。 最後になりますが「物凄い迫力で読まされた」という感想がいただけて歓びが炸裂したのをお伝えしておきます。この詩は意味が分からない、独りよがり、凡庸、との感想が寄せられる可能性もあった詩でしたので。それでは長文失礼しました。読んでいただきありがとうございました。
0なるほど・・・コンセプトが勝ると、コンセプト倒れになる、いわば空中分解することも多いのですが、エモーションの流れに乗っていくことで、その危険を回避し得ているのかもしれませんね。 先鋭的、もしくは実験的な、言語領域の可能性や意味領域の拡大、もしくは無化・・・を意図する「果敢な挑戦」もたくさんなされていますが、少なくとも私の手元に送られてくる詩誌は、比較的リーダブルな、日常や自然の閃きの中に詩想を得たものも多いですね・・・もっとも、平易な表現の中に多義的な重層性を込めるとか、余情に想いを含めるといったことに成功している作品は少なく、説明的な叙述の日記のようなところでとどまっているものも多いように感じて、もっと・・・偏光顕微鏡でひとつのものを見るように、様々なフィルターで見てほしいなぁ、と思うことも多いです。 言葉を意味から解放していくと、霧散してしまうこともある・・・それをまとめる新たなシンタックスは、何か。エモーションや音楽性や、そこに生じる異空間の奥行き、等なのかもしれません。
0まりもさん、再度コメントありがとうございます。「新たなシンタックスはエモーションや音楽性…」。僕はその視点に大いに同意します。意味から解放された言葉たちを統合し得る新たな価値観は、よもすれば軽視されがちな「エモーション」や「音楽性」、「巨大なコンセプト」なのかもしれません。それに加えてそうであってほしい、という個人的な願望もあります。言葉を意味から解放したのち、さらにもし「エモーション」や「音楽性」も否定されたり、忌避されたりするのなら、もうそこに物書きの役割はないのではないのかとさえ僕は思います。ちょっと力が入ってしまいました。
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