深夜に一人起きていると、世界が自分ひとりのものに感じられる。みんな寝静まり、市道を通る車の走行音も無い、自分だけの歩行者天国。赤信号を渡ってみてささやかな背徳感を感じる。逃げも隠れもできない明るい街道を歩きながら、いま渡った横断歩道を振り返るのがふと怖くなる。でもなぜか嬉しい、公共の場からヴェールの向こうの世界に逃げ込めた気がするから。
糸車を回すみたいにそんなことを思いながら、苦情を言われないようそっと共用廊下を歩く。誰も起きてないから余計に足音が反響して聞こえる。
帰ると、電気を消したままカーテンを少しだけ開ける。中心部のビル群が遠く光って、フェルメールくらいの小さな夜景が見られる。寝間着に着替えて、スーパーで買ったワインをコップに半分だけ注ぎ、オレンジジュースをもう半分満たしてカクテル風にしてみる。アルコールはそんなに好きじゃないけどジュースでは物足りない。目を閉じてちびちびと飲んでいく。舌で甘いのと苦いのを交互に感じながら、紫とオレンジ色が湧き上がってくる。赤と白のビルの光が明滅する夜景を背景に、静けさと甘味と酒精とが水彩を成す。
足元に廊下の冷気が水飴になって足元にまとわりつくと腹の底に猫が丸まって血管を甘噛みする。ベッドで寝ようと思い照明のスイッチに手を伸ばす。スイッチを押した、と思ったところで椅子に座っていることに気づく。もう一度押してみてもやはり、椅子にリセットされている。いけない、と思いながらサボテンの水やりを忘れていたと思い出した。にわかにサボテンが怒って窓から夜空に飛び出した。旅客機の空路に飛び出したら事故になってしまう、と慌てて追いかけながら、とはいえ追いかける側が事故を起こしてはいけないと思いビルの航空障害灯に向かって飛んでいく。
飛ぶのにはコツがいる。臍の下の丹田を意識しながら生徒指導室に呼び出されたみたいに全身を緊張させると良い。すると地球の重力から外れて、月光のもと浮遊。目的地が目に乱反射する。
旧家の瓦に足をとられながら剥離した冬の大三角、下の一角はスカイツリーの光で鉄骨を抱擁する。空隙が夜空の地図を侵食し,烏らが夜目で三虫を抓む。観察は異形を招き、理を癒着し、かくして伝燈は青く明滅する。月は西の空に傾いた。
天井にガラスの音がきらめいて、空気の靄を一筋晴らす。電球のフィラメントへと落雷し、
烟る響きを部屋に灯して、破片には白磁の波紋 夜明け前 朝霧越しに青が漂う
サッシから朝日が注ぎ 気流湧く 光の軌跡 金継ぎの部屋
舞う埃 星座の化石 透き消え
結露の玉 落涙
描線のグラス
すじ雲
半鐘
羽ばたいて
撃鉄 打ち下ろし
神経 発火して
氾濫する血潮
胸が白く焼ける
スマホの目覚ましに感じる指先
心拍が時計の振り子を追い越す
靴下越しに、割れたグラスが縁取られ
剣山のような水道水で顔を洗い、化粧水を適当につける。
電車を何本遅らせられるか頭の隅で考えながら、寝癖を直す。
IDカードだけは私を私と証明するのに必要だからしっかりカバンに入れる。
早起きしたほうがいいとはわかっていても,深夜の空気が好きだから悩ましい。
そして折り畳み傘を干し忘れてたのに気づく。傘のひだの一層ごとに天の微生物が繁殖していることだろう,雨の中にも生態系があるらしいから。時間がないので気づかなかったことにする。
おとといの残り物をレンチンして食べて自分の細胞たちをプラスチックと電磁波で再構成。この前行ったカフェの観葉植物は造花だったなあ,私もいつか永遠の命を得られるのか。
後で鍵をかけたか不安にならないように,鍵越しに掛け金が打ち下ろされる感覚を指先に覚えさせて出かける。
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 1507.8
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 13
作成日時 2022-05-04
コメント日時 2022-05-22
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 3 | 0 |
前衛性 | 1 | 0 |
可読性 | 1 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 4 | 0 |
音韻 | 1 | 0 |
構成 | 3 | 0 |
総合ポイント | 13 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1.5 | 1.5 |
前衛性 | 0.5 | 0.5 |
可読性 | 0.5 | 0.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0.5 | 0.5 |
構成 | 1.5 | 1.5 |
総合 | 6.5 | 6.5 |
閲覧指数:1507.8
2024/11/21 23時01分06秒現在
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飛ぶ夢をみたいと思ったら飛ぶ夢を確実にみることが出来た頃のことを読んで思い出しました。丁寧に書かれていて、それが最後までキープされていて好感。読者への明け透けな読み入れへのフックを作品構成にもたせていて、中間にあるブランクが効果ある使い方。
1そう言っていただけて幸いです!ありがとうございます。(私は夢でもなかなか飛べません) 自動筆記から散文や短歌などをつなげられないかなあと思って書きました。 どの分野も上手ではないので、とりあえず繋がってるキメラ状態ですが、ひとまず満足しています。
0夜の非日常的な感覚でしょうか。題材に親近感のようなものを感じました。描写に対しては少しつっかえてしまう箇所が幾つか、「フェルメールくらいの」「夜景」、紫、「(赤)ワイン」と「オレンジジュース」の組み合わせ等。一度最後まで読み終えて、タイトルを読んで、後半部の間の開け方、夜の天球を意識されているのかなって思いました。チカチカするような光の描写は天球の線を辿って夜から朝に繋がっているのかなって思いました。書き出しがいいですね。環境音楽を聴きながらコメントを書いています
1そう言っていただけて幸いです!ありがとうございます。(私は夢でもなかなか飛べません) 自動筆記から散文や短歌などをつなげられないかなあと思って書きました。 どの分野も上手ではないので、とりあえず繋がってるキメラ状態ですが、ひとまず満足しています。 ※コメントの宛先を間違えてしまいました。申し訳ありません。
0多々好意的に受け取ってくださりありがとうございます。 そうですね、普通の語り口が段々と非日常の領域に移って、朝を迎える、そしてまた日常に戻る、というのを書きたかった次第です。 ご指摘めちゃくちゃ嬉しいです、ありがとうございます。 >>描写に対しては少しつっかえてしまう箇所が幾つか、「フェルメールくらいの」「夜景」、紫、「(赤)ワイン」と「オレンジジュース」の組み合わせ等 書いている時は、夜景だし絵画みたいに色彩豊かにしたいなと無邪気に思ってました...、あと寝落ちする場面だし色や味覚を混濁させたいなとも。今後に活かします。
1書き出しの流れは読み手を作品に引き込み、つぎ、 「糸車を回みたいに」から色彩、(陶酔)眠り、のような空間にはいって、 「足元に廊下の冷気が水飴になって」のような、 改行のはじまりの文章がきれいだと思う。 その後のスイッチを押したと思ったらに 「椅子にリセットされている」のは半覚醒か、入眠時幻覚のように思える。 空白の周辺の描写には光だけでなく音も感じます。 こういった変則的な描写をするのは、とても技量のいる事なのではないかと思う。 「IDカードだけは私を私と証明するのに必要だから」 こういった所も不思議と印象に残り、それでいて飾る事のない (力の抜き方かもしれない)文章の書き方に惹かれます
1再コメントありがとうございます! 作品の意図するところを的確にくみ取っていただいていてうれしく思います。 >>空白の周辺の描写には光だけでなく音も感じます。 実はこの作品の中で最初に書き出したのが空白の手前部分で,そこにつながるように前後を書き足していきました。当初はそこ単体で仕上げるつもりで,音に焦点を当てていました。 >>「足元に廊下の冷気が水飴になって」のような、改行のはじまりの文章がきれいだと思う。 >>その後のスイッチを押したと思ったらに「椅子にリセットされている」のは半覚醒か、入眠時幻覚のように思える。 現代詩っぽくなる段の手前の部分であり,どう描くか悩みました。散文の比喩を自由にしていくのを意識しましたが,入眠というアイデアをとったのは軽率だったかもと読み返して思っています。 >>書き出しの流れは読み手を作品に引き込み、 >>こういった所も不思議と印象に残り、それでいて飾る事のない(力の抜き方かもしれない)文章 前半の書き出しと最後の散文は,日記ではないですけれど個人的つぶやきも混ぜた私詩となっています。自分の中に長文で書けるようなことがまだこれくらいしかなかったのかもしれません。そのように受け取っていただいたこと,とても勉強になります。
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