伯母による、低気圧の日の手記。もはや蚕は、そこで綴られることでしか真実の姿をみせることはない。いつか蚕が伯母の、蜂蜜を瓶に時計回りに滴らせる手付きを眺めていた。それは、言葉とは異なる速度で紡がれる点描だった。肉親以外に不安を残す白い線のような手指。天気雨はこの街の、蚕の記憶から降りだしてくる。伯母は、初めて渡り廊下を歩いたときに自分の身体の中にも、外側があると思ったのを忘れることはなかった。
先祖がふるった暴力の歴史が重なる。そんなふうに民族のあやまった姿で産まれる蚕が、一瞬一瞬を異端で過ごす。伯母は、男の人たちの単調で、純心な労働をみて喜んだ。昼までに傷痕が乾ききるその肩にはまだ、血のにおいが潜んでいた。サ行の発声。嘘からも遠い耳。風から独立したその声音を聴いたとき、どの仮名遣いも正確には蚕を言いあらわせない、と思った。沼のような朝靄の中を蚕は自分だけの、固有名詞で泳いでいるから。
蚕には伯母の愛情が安定していて例えば、にわか雨を見せないように、手のひらで穏やかに蚕を覆うことがあった。おばは、げっけいの、しらせにとても、せいかくな、とけいを、えんげする。そのとき手の皮膚には必ず、肌色の怒りが浮かんでいた。蚕は誰とも、異なる引力を生きながら伯母の、その手のひらのぬくみから、とても清潔な孤独を吸いとろうとする。伯母の指先はその一本一本が、冬の河口を想わせる黙読だった。
物語のなかで蚕は、深い自殺を生かされていた。呼吸音だけ的確に感じる夜明け、伯母の恋愛は耳からはじまる。伯母は、自分の思いやりを恋人の皮膚感覚にも繋げようとしていた。しかし恋人は、耳だけを草原に置き忘れて月夜、美しく盗まれる色盲の気配を察した。季節による髪の梳かし方が書かれている恋人からの手紙。その封書の中に込められた、凝縮した吐息に触れると蚕は静かに、深い色の石油に近づいていく。
誤字みたいな情婦にされた伯母をみて蚕は、美しい背筋を吐きだし続けた。あるとき恋人とお互い、好んだ体のふくらみは異なる場所だった。体内にいくつもの奇数を流し込みたい。伯母は精神に、針葉樹を飼いながら、糸閉じ本のページを優しく捲る手を止めなかった。水田が静かに、風を濡らしてくれるから蚕は、葉の下で次の風を咀嚼しようと待ち構える。そうして晩秋の行為に、そっと寄り添うのを欠かすことがなかった。
伯母の、架空の私語は、月の欠片だった。恋人と、手書きのような口付けを交わしたとき蚕は、風と風邪の間に佇んでいた。季節から遅れていた精神が追い付いて伯母が盗作でもいいからと、自分の性器について恋人に話しはじめる。アルファベットは、哺乳類の本能から産まれてきた文字だ。朗読するための唇の動かし方が失われても身体にしみついた訛り。それは納屋の奥の古い農薬の静けさ。蚕はもう、別の詩編のただの、匂いにすぎない。
作品データ
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作成日時 2022-04-11
コメント日時 2022-04-21
#現代詩
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項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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2024/11/23 19時05分03秒現在
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蚕と伯母の関係の在り方が飛躍する表現手法で書かれてあるんですが、初投稿作を読んだ時の印象と、読者としてはどうしても比べてしまう。あの時の新鮮に感じた読後感はなんだったんだろうと。私はそう詩が好きではないので、読解をしたりとかない。印象でしかないけれども。作風や技巧や世界観の連続性以上にこの人かなりヤバい書きを毎回してくるねってところの域を読んでみたい。
1お読みいただいていることに深く感謝申し上げます。 お言葉、激励として、真摯に受け止めたいと思います。 まことに、ありがとうございます。
0線が繊細に生きていて、想像を肥やすことが出来ました。
1お読みいただきありがとうございました。 繊細といっていただいてうれしいです。
0今作、ちょっと強引な気がして、成立しているか不安でした(ToT)/~~~ 音読までして、しっかり読んでいただき、ほんとうに感謝です。 ありがとうございます。
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