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ネコに餌をやる
ネコに餌をやる 頭を撫でてやる フンの始末はしない ワクチン接種も 避妊手術もしない 気が向いたら公園へ行き 餌をやって頭を撫でてやる それで救った気になる 少しだけ楽になる (アタシが) 住宅街のネコは 暗くなってから餌をやる 善いことをするために 危険を冒している気分になる チャンスがあれば頭を撫でる それで満足する 少しだけ満足する (アタシが) ネコの気持ちは考えない そんなものに興味はない 寒い日には丸く凍える 暗い夜には寂しく眠る 病んだらおしまい 老いたらおしまい そんなことに興味はない 気が向いたら餌をやり 頭を撫でて満足する ネコはただそれだけのモノ ネコが死んでいる 目玉が飛び出ている 内臓も飛び出ている 真っ赤なボロ雑巾 もう餌は食べない 汚いから撫でられない だから視界から消去する もうネコはいない 代わりはすぐに見つかる かわいいネコ 愛らしいネコ かわいそうなノラネコ だから餌をやる 頭を撫でてやる それで満たされる 少しだけ満たされる (アタシが) (ネコはアタシ) (アタシもネコ)
ネコに餌をやる ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2057.2
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 10
作成日時 2022-04-10
コメント日時 2022-05-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 3 | 3 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 10 | 10 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 3 | 3 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 10 | 10 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
うわぁ。。 わかります。 わかってはいけないことな気がしますが、 すごくすごくわかります。 (わたしもねこ)
0おまえの代わりなどいくらでもいるんだよ、という言葉は猫にも人にも暴力だと思います。無記名でしか書けないことかもしれないですね。
0何かを知らないアタシ、も不幸だし、ネコも不幸。この状況を変えるには、アタシ、の変化がやはり必要か。 それともネコが住む街からのアタシ、の排除なんですかね。 不幸な男女にも見えました。
0「アタシ」が「ネコ」に餌をやっているのは自分に似ているからだと思い詠み進めましたが似ているのではなくそのものだと思っていることが解り少し切なくなりました。私も何かに自己投影することはあります。
0優しさに満ちた解釈だと思います。私は人としての器がちっちぇえので語り手がそういう風に変われるかどうかは疑問ですね。彼女の絶望が癒されればあるいはそういう展開もあるかも知れません。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0わっ、わかっていただけたでしょうかっ!?(鬱陶しいテンション) こういう身勝手さも猫にとっては食べ物をもらえるだけマシなのかも知れませんね。実際には語り手の方がより悲惨な立場なのかも知れません。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0「お前の代わりなんていくらでもいる」と発しているヤツも実は「いくらでも代わりがいる存在」なわけで、まあそういう価値観に縛られない生き方を模索することが大事なのかも知れません。それが出来ないとずっと呪われたままでいる気がします。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0そうですねー、語り手がネコの住む街から排除された場合、ネコが餓えて死んじゃう可能性もあるわけでその辺は難しいところですね。やはり語り手が変わるか彼女の環境自体が良い方向へ変化するのがベストなんでしょうけど。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0これは私の推測なんですけど語り手が「自分はネコと同じだ」と気付いたのはつい最近じゃないかと思うんですよね。それまでは自分の行為が正当であると信じていたんだけど、ある日ふとしたきっかけで色々なことに気付いてしまうという。まあけっこう残酷な解釈ですけど。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0猫にも格差、人にも格差、国にも格差。拾ってもらえる猫もいるけれど、一度、野良猫になると大抵は悲惨な最後を遂げる。世界中で格差が拡散されている。一つ詩が浮かんだ。 こんなに見すぼらしく落ちぶれた私を 帰る家もなく病気持ちのこの私を 愛してくれたら私の愛をあげましょう 私は野良猫、明日をも知れぬこの命 愛してくれたら極楽浄土へ行けましょう さもなければ地獄へ堕ちるとは言いません ただほんの少しの愛が欲しいんです
0猫になりたい感覚と、一方動物的なにたいする抵抗を感じました。猫は悪い気を吸ってくれる霊獣だと最近聞きました。
0わたしはあなたではない、という自明性への認識が人類を発展せしめた、とは誰でも言えることではございますが。 未だ解決を見ぬ人類同士の相剋、極端に論いますなら破局的結果と致しましての戦争、その因子が。上記の異化作用に由って齎されるのかも、等と考えております。 而して、わたしはあなたではない、という一つの発見を、私達は今更反故にすることは出来ませんでしょう。 況してや、自他の全的同一性など、現代に於いては精神病の範疇に括られてしまいますでしょうから。 肝要なのは、「わたしはあなたではないけれど、少しばかり似ていることも無くはないかもしれない」とでも言うべき、妥協への弛まぬ赦しの過程、なのかも知れません。 勿論、その結論へ至る迄には、血の滲むかの様な二元的極論、 例えますなら「同一性、相違性こそが万有万物間に立ち働く絶対の律、則である」と謂った狂的観念の順当性を自らへ徹底的に自問し、懐疑し、否定し、超越をし。 ただならぬ苦悩や煩悶、過誤や悲劇的現実直視を通過しつつ、襤褸芥の様に満身創痍となる、覚悟の上に拠って、ではございますが。 大概、「ネコ」と「わたし」や、或は「蜂」と「草花」を流れる主観的(時間は、何時でも主観に左右される、客観的概念であるならば。)存在時間感覚の差異を、 如何にして人間ごときが把握することができましょうか。 同じなのは、皆何時かは身罷り、居なくなる。それだけでございましょうから。 稍、話が逸れました。 長々と、莫迦狂人の譫言(長ぇよ)に目を通して頂き、允にありがとうございました。
1小学校に入ったばかりの頃だと思うんですが、近所にけっこう広い空き地があったんですよ。で、昔のマンガみたいに土管が置いてあってその中にいつの間にか子猫が住み着いていたんです。まあ子どもの頃だから「わー、かわいい!」みたいな感じで友だちと給食の残りの牛乳をあげたりしていたんですよ。 でも、ある日の放課後に土管を見たら他の猫か犬に噛み殺されたのか子猫は無惨な死骸と化していました。私たちはその場から逃げ出して、たまに様子を見に行くと死骸に蛆が湧いたりしていてまた逃げ出すという繰り返しでした。 その出来事のせいで私は自分に生き物を飼う資格がないと思っています。これを書いたとき、たぶん心の片隅にあの時の記憶も瞬いていたと思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0どうなんでしょう。語り手がネコになりたいのかどうか自分でも分かりませんが、すでにネコであるという見方も出来るような気がします。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0鷹枕可さんの視点はたびたび私に新鮮な驚きや気づきを与えてくれます。「わたしはあなたではないけれど、少しばかり似ていることも無くはないかもしれない」と考えることの重要性を今は特に強く感じています。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0野良?猫への思いと交流を通して、野良?猫のように無数に存在し、打ち棄てられ、さばいばるし、死んでいく、そうした「私」達の思いを巧く描写した、纏まりの良い作品だと思いました。三島由紀夫の小説で、「老人と子供は見棄てられた世界に居る」みたいな文章(読んだのだいぶ昔なので全然違うかも)があったのを思い出したり。見限られ、遺棄された世界は、惨めで悲しいものか、それとも、限りの無い自由なのか、みたいなことも考えたりします。後者であれば、良いなと。難しいことですが。
0そういえば三島由紀夫の「午後の曳航」では少年が子猫を殺すシーンがありましたね。憧れていた男が平凡な「自分の父親」になることに失望して衝撃のラストへと至るわけですが、誰かの望んだものでなくなった途端に価値を失い見捨てられてしまった後はどうなるのか。私自身も語り手の未来は予想できませんが、白犬さんと同じで自由という別の価値観を見出してくれればと思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0この「ネコ」、実はネコでなくともよい(例えば、イヌでもプレーリードッグでも、なんでもよい)、ふわりとしたもの。ひいては「ネコは私」の私は、実体があるかもわからない。自意識だけがそこにある。詩の中には私→ネコの一方的な行為があるだけで、両者は関係しているとは言えない。このことを婉曲的に、しかし過剰なレトリックに頼ることなく感じさせる、素晴らしい詩だと思いました。
0私にとって詩というのは降ってくるものなので、自分で書いておきながら実はよく理解していなかったりします。日下部さんの評は読んでいて色々と気付かされました。読んでいただいて、どうもありがとうございました。
0いつから、どこでこんなに猫が愛されるようになったのか、 不思議ではありますね。 王への献上品として連れて来られたのが始まりだとテレビで見たことはありますが、 狂乱とも思えるような可愛がり方をされていて。 野良猫と自分も結局は同じ身勝手な愛情に晒されたもの、という視点に共感しました。
0猫の幸せってなんだろうか?必ずしも人間に飼われることではないと思う。人間嫌いの猫もいるだろうし。
0猫を愛玩動物と考え、死ねばすぐに代わりが見つかるような、ある意味常識的な展開なのかもしれませんが、最後の二行が気になりました。猫と一体化して居るのか、それともそれが理想なのだろうかと思いました。
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