母のお腹で息をすることなく死んだ赤子。
途絶えない回廊でさえも、崩れた土石の底。
僕は朝四時半に起きると、スクーターで職場に向かう。
赤紫に焦げた空とはまた違う風景。それは決して悪いことじゃない。
神の寝首をかいて交わした和姦。
もう二度と一つにならないと誓いながらも、
倒れ込むように甘く滲ませた口づけ。
それは素顔を露わにした血の色のドキュメントだ。
今もこめかみに刺さるのは君の衝動。心臓を握りつぶすほどの、衝動。
情報が溢れても決して身体には届かない限界。
感情も頭も知っているのに、舌を焼くほどの熱さを感じないのは、
そこに五感と逢瀬する体がないからだ。
テレビも新聞も、ネットでさえももちろん、
僕を艶めかしく手招いて、セックスすることはない。
清君。小学生の頃、隣のクラスと喧嘩になった友だちのために、奴らに立ち向かった彼の姿は、へばりつくぬめり気のように僕の脳に焼きついている。それなのにスミスが放った平手打ちのリアリティを、顎の淵を削るほどの痛みを以て知ることは出来ない。僕らは結局半径五メートルの共感範囲で生きている。
D・ボウイの「スペース・オディティ」は官能のフィクションでしかない。
U2の「Where The Streets Have No Name」の最中にもユダはいる。
僕は裏切られるもの、裏切るものに囲まれながら回路の中で生きている。
愛は檻、慕う心は鎖だったとして、
だとしても、
僕が身を捩らせながら泣き叫ぶ理由が、
燃やし尽くせない恋慕にあり、
君が手紙を見て泣いてくれたのなら、
僕はまだ、生き続けることが出来る。
作品データ
コメント数 : 12
P V 数 : 1791.2
お気に入り数: 0
投票数 : 3
ポイント数 : 6
作成日時 2022-04-01
コメント日時 2022-04-06
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 6 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 6 | 6 |
閲覧指数:1791.2
2024/11/21 22時57分02秒現在
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エロティックで艶めかしい文章が徐々に燃え上がるような文章に変化していき毅然とした、それでいてどこか弱さのある一文で終わるという構造が非常に美しく感じられました。共感や愛などの普遍的なテーマが多く散りばめられつつも、小学生時代の友人のお話や「君が手紙を見て泣いてくれたなら」のような文章に作者さんの極めて個人的な情念(信念?)のようなものが通底しているように感じられ興味深かったです。
1橙色さん、コメントありがとうございます。清(せい)君のエピソードは挿入して良かったですよね。この詩では途中に散文を折りこもうと思っていたので。成功したと思います。清君は親友のために果敢に立ち向かった。彼の姿勢は称えられる。僕にとっても印象深い出来事です。この詩、三点ほど悔やんでいるところがあるのですが、今となっては修正も出来ず。またいつか然るべき時に修正ヴァージョンを公けにしたいと思います。
0最近のステレオさんの作品は新しいフェーズにあるのはすごくわかっていて、それが作品のどこにあるのか、それを言語化出来ず、コメントが書けないでいた。一つ云えることは、極個人的な詩を書く衝動があるからではなかろうかと思う。 たとえば、 > 僕は朝四時半に起きると、スクーターで>職場に向かう。 過去の作品にも「スクーター」は出ていた。けれども、今作にあるような実存としてのスクーターではなかった。また、 >清君。小学生の頃、隣のクラスと喧嘩に >なった友だちのために、奴らに立ち向か >った彼の姿は、へばりつくぬめり気のよ >うに僕の脳に焼きついている。それなの >にスミスが放った平手打ちのリアリティ >を、顎の淵を削るほどの痛みを以て知る >ことは出来ない。僕らは結局半径五メー >トルの共感範囲で生きている。 のように今時のニュースとして賛否ある話題を作品に取り入れることはポリシーとして控えられていたように思う。けれども、今作には「極個人的」な事柄として溶け込ませている。 作者さんにある詩を書きたくなる衝動が作品への実存の反映が巧くなされているのだろう。だからなのか、本来持っていらっしゃるロマンティズムの調べが絵空事ではなく唇から発せられているように読めてしまう。
0河上類さん、コメントありがとうございます。「半径五メートルの共感範囲で生きている」は最近とみに思うことで、身近な存在、例えば母や父。彼らを愛したり逆に疎んだりという感情が軸になっていなければ、どんな理想も信条も空論になってしまうのではないかと。僕は本来理想主義の傾向があるのですが、もっとリアリティのある生身の心情を求めている。更に言うならば両親を、あるいは恋人や友人と真っ向から向き合うことで、現実味を帯びた夢や理想の形を炙りだしたい。そう考えているのです。 固有名詞。D・ボウイについてはすぐに浮かんだのです。「スペイス・オディティ」で悲劇の英雄として描かれたトム少佐を、ボウイ自身がただのジャンキーだったと「Ashes to Ashes」で歌ったのは、僕自身とても好きなエピソードだったので。固有名詞を二節続けたのは、フィクションが倒壊する様を強調したかったからです。しかしU2の該当曲から僕がイメージしたことを引き出すのは読み手にも難しい。少し悔いが残っています。
0疑問に思うところが一つも無くて、かつ、内容に好感が持てました。小さなリアリティを握って人は生きている、それが愛の檻でも、悪くないね、それは私もそう思います。人生の不足を想うと、衣食住がそこそこならプラス愛はどうしてもいい人生には必要です。いい愛が必要で、それはけっこう難しい。檻の愛も羽の愛もあるでしょうが、愛が檻で心が鎖なら、美しい約束の鎖が切れないといいですね。
0三浦さん、コメントありがとうございます。今の僕は、ロマンティシズムを空想上から荒れ地にもっと引き寄せたい、あるいは生身の心、体から剥き出しにされる叙情を大切にしたいという気持ちがあるのです。ご指摘の通り、スクーターの取り入れ方などは今までになく、美的感覚でいえば以前の僕なら相応しくないと却下していたかもしれません。しかしその実存性で勝負した。なぜか。まっさらな地平から発信されなければ、それは最早愛でもなく、慕情でもない。ただの陶酔だからだとの心情が僕に芽生えたからでしょう。僕はしばらくこの「極個人的」な感情、視点において詩作をすることでしょう。その結果もっと大きな場所へ行けたらと切に願っています。
0君が手紙を見て泣いてくれたのなら、 僕はまだ、生き続けることが出来る。 ぼくはどうして生きつづけてるのか考えてしまいました。
0湖湖さん、コメントありがとうございます。安定した人生にはお金が必要ですが、より良き人生を歩むには愛が必要です。互いを侵犯しないほどの、縛らないほどの、だが強く結びつけ合う愛。その方が人生は潤います。僕は時にやきもちから、緩く縛るのも愛情表現だと思っていたのですが、今ではそれが間違いになると気づいています。独占欲の表明など、僕が愛の形の一つと考えていたことは、相手を苦しめるということも、今更ながら知りました。僕はこの詩中の「君」を今でも愛し、慕っています。しかしその想いはもう届かず。悲しみと後悔ばかりが残ります。許されない恋だったとしても。湖湖さんのコメントにあるように、美しい約束の鎖が切れないよう願うばかりです。返詩のように綺麗に整ったコメントありがとうございました。
1湖湖さん、コメントありがとうございます。安定した人生にはお金が必要ですが、より良き人生を歩むには愛が必要です。互いを侵犯しないほどの、縛らないほどの、だが強く結びつけ合う愛。その方が人生は潤います。僕は時にやきもちから、緩く縛るのも愛情表現だと思っていたのですが、今ではそれが間違いになると気づいています。独占欲の表明など、僕が愛の形の一つと考えていたことは、相手を苦しめるということも、今更ながら知りました。僕はこの詩中の「君」を今でも愛し、慕っています。しかしその想いはもう届かず。悲しみと後悔ばかりが残ります。許されない恋だったとしても。湖湖さんのコメントにあるように、美しい約束の鎖が切れないよう願うばかりです。返詩のように綺麗に整ったコメントありがとうございました。
0田中宏輔さん、コメントありがとうございます。ぼくはどうしていきつづけているのか。本当に途絶えないテーマですね。永遠です。僕の生活が一時期乱れてしまった時、母は「自棄になることはこれからもあるわ。でもその時こそ踏みとどまらなければ」と言ってくれました。その通りだと思います。僕の尊敬するミュージシャン、出口雅之さんの「名もなき風」の一節は時に苦しく、時に励みとなって僕に響きます。 「名もなき風の行く方へ 望みは持たず 繰り返される命 感じ ひたすら生きろ」 望みは持ちつつ、生きていきたいのですが。難しいところです。
0ねねむさん、いつも素敵なコメントありがとうございます。この詩中にある「君」のことは今でも、日がな一日想い出すし、僕の行動の指針にもなっています。身近な人(母や元職場の先輩)に話すことと言えば彼女のことであり、一時も頭から離れることがありません。時折そんな僕をもう一人の自分が不健康だと思うのか「忘れてしまえ」とそそのかします。しかし忘れることが出来ないし、忘れることはないでしょう。それは強い意思であり、ひょっとしたら妄執なのかもしれません。僕自身が彼女を忘れ、解放し、心の面でも魂の面でも自由にしてあげるのが、彼女にとっても僕にとっても幸せなのかもしれません。ですがそれがどうしても出来ないのです。苦しんでいます。正直悪いことかもしれないとさえ思っています。僕がもし彼女を自分から手放すことが出来たら、一連のこの恋は永遠の愛へと本当の意味で昇華されるでしょう。その時彼女は、物理的に彼女の手元にある、僕の魂の一部「草原の峡谷」を開き、手に触れてくれるかもしれません。その瞬間にこの恋は愛として完結するのでしょう。ちなみにタイトルにある「AM 10:29」は「君」である彼女が最後にくれたメールの時間です。僕にとって最も印象深い数字として記憶され続けることでしょう。それでは長文失礼しました。
1クヮンさん、コメントありがとうございます。僕、最近もっと裸になって詩を書きたいんですよ。言葉で装飾するだけでなく生身の。この詩ではかなりそれが出来たと思っていて。清君のエピソードにしても、スクーターにしても、以前の装飾性の高い作風からすれば外す要素でもあるんですけど、取り入れた上に最終的には突き抜けた美しさ、とか「僕は抜け殻になった」と言える心境になりたいですね。死ぬ時に何も言い忘れたことがない状態にしたいんです。どうしても人間は社会性や理性があるから、ブレーキがかかって難しくもあるけれど。そんなことをクヮンさんの「燃焼の美しさ」というフレーズで思いましたね。自分語りばかり失礼を。
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