別枠表示
15の哀歌
僕は 今 ほんとに なにかがおかしいんだ 過去にあんな悪いことしたから 僕は辛いんだ なんでみんなが持っているものを 僕は持っていないんだ 死にたいと3日に1回くらい思う 自殺したら地獄に落ちるだろうか 僕がなんにも喋らないで ただ椅子に座っているだけで 僕を愛してくれる美しい女性はいないでしょうか 僕は今、ここにいるけれど ご先祖様は、みんな明るくて、しっかりしてて、子孫を残せるくらい異性と遊んで、仕事もちゃんとしていたのかな、と思うのです 僕はなんにもできません ですが、たまに、僕は、この世の誰よりも、一番容姿が美しくて、ほんとは、誰よりも、全てにおいてカッコいいんじゃないか?と思うことがあるのです そして、なぜかほんとうに辛くなるのです 僕ほどの逸材が、僕ほどの美男子が、なぜ、こんなつまらない日常を歩まなければならないのか ああ、親の育て方が悪かった! 今日のご飯はハンバーグでした そのあとアイスクリームを食べました こんな喜びが、僕には酷く辛く感じるのです 君と上手く話せて、仲良くなることがどうしてもできない 僕の幸せはハンバーグやアイスクリームを食べることだけですか? こんな悲しい話はないのです 鏡に映る君(僕)は、今日もとても美しいです
15の哀歌 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1441.9
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2022-03-15
コメント日時 2022-03-29
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なにか病気とかを患って外に出れないと推測しますがこの「僕」の気持ち少しだけ分かります。私も抑圧された環境下にいるのでご飯を食べることと詩を書く事ぐらいしか楽しみがありません。「僕」はもっと精神的に環境が悪そうですが、それでも自分を美しいと言えることは凄い精神力です。
115って15歳ってことですよね?(確認、念のため・・・・・・・・・・・) 15歳ってこんな感じだったかな。 でも「のです」とか「!」の使い方とか、妙なリアリティがあって脂汗ですね 僕にはてんで謎の15歳ですよ こまった15歳なのですなのです。。。
0福まるさんへ 僕は30のおじさんに近い20代です 仕事も週6で7時間働いてます 15歳の頃の気持ちを思い出して書きました。 読んでいただき、ありがとうございます。 いすきさん、15歳の頃は、逆に、こんな風には書けないかも、と思います。もっと乱暴で、優しすぎたり、全然整ってない文章になる気がします。 読んでいただき、ありがとうございます。 ねねむさんへ、僕は精神科に通ってますが、最近は仕事も週6で7時間通えるようになりました。 ちょっと文章がリアルすぎましたかね?僕は30近い20代です。 15歳の頃はこんなんだったかな?と思って書きました。 読んでいただき、ありがとうございます。
1いいですね。 「行け!稲中卓球部」という漫画のエピソードを思い出しました。 主人公が学校の屋上で「では、この屋根の下に住んでるやつらはみな運命の人を見つけて暮らしているというのか。俺はそんなの信じられないね。」と絶叫するのです。 そして仲間と運命の人について妄想劇を演じます。 彼の「運命の人」はセイウチでした。 セイウチになるために一度死んで生まれ変わるのですが、その過程でモモンガになりたくなりそれを望みますが運命は彼を腸炎ビブリオに導きます。 望んで生まれてきたわけではない今生を自らの生として生き始めるのが青春でその悩みは愛される相手を見つけること、人類最大にして最強の敵は「めんどくさい」です。 是非打ち勝っていただきたい。 そんな風に思うほど、15歳の心情が良く書けていると思います。
0かずやさん、漫画の内容面白かったです、うけました。最近、そういうような思考回路共感する所もあります。僕も似たようなこと考えてた頃ありました。読んでいただき、ありがとうございます。
0人はできることしかやってはいけないと信じる、 だから数々の模倣を繰り返しては、できることとできないことを選り分けてゆく、 15の頃を思い出されて書かれたとのことだが、それは過去の模倣であろう、 そういうことを人は結構する、太宰治はおっさんぐらいになってから、青春小説『正義と微笑』を著した、 今作は15の頃を彷彿とさせる文章で楽しく読めた、しかし強度がなかったように思われる、2回目読もうとは思わなかった、 模倣は現実の影である、しかし、時には「ホンモノ」を超えてしまう強かな虚構があると信じる、 それはどう表現すればいいかと問われれば説明が難しいけれど、 コピーはコピーに過ぎないんだという諦めが上記の強度を補強するのかもしれない、 作者はこの詩を愛することができるのであろうか、模倣の技巧を収めるための一つの修練に過ぎないのであろうか、そこ辺りの答えに上記の説明の解明があるように思う、 判然としない文章かもしれませんが、コメントを書きました。ありがとうございました。
0自分の生き方にきっと正解はないのでしょう。 これからも悩み、苦しみ、自らが選択し、後悔し、の連鎖を繰り返していくのでしょう。 でもそれが、意外にもきれいな生き方でもあると思うのです。 純粋で、でもちょっと欲張りで、生き続けたその先の未来なんて全く見えていないけれど、それでも明日も明後日も生きていかなければならない少しの悲しみにも耐えて・・・。 いつか、自分がどう生きていきたいかが見えると良いですね。
0真実なぞ屏風めいた茶化しかたでは、満足できんのでありまして、コンソールとか、もうわからん。、なんか、みんな、大切もなんもなくなって。そりゃ、柔く死ぬしかありません。
0みなさん 読んでいただきありがとう。 励みになります。
0