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聖域の支配について
みんなが咳をするのに飽きたとき 私は鳥の姿になって この町を 颯爽と飛びさってみようと思う 私を飛ばす空港に もし 水たまりがあったなら その数々の水滴を 私はきっと通過する その空港は ようやく100年眠るだろう 何を隠そうこの私が ともしびの たったひとりの預かり人であるのだから 夜が来れば 私の背中は星の間を通過する そのうちに 数えきれないほどの問題が生み出されて 数えきれないほどのサボテンが花をつける もしも 私が目を覚まさなかったら 私には犠牲の杖が与えられる もし 私が目を覚ましたら 私が持つ全てのものを あなたにあげようと思う
聖域の支配について ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1239.4
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2022-03-15
コメント日時 2022-03-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
いいと思う。 気持ちとかが書いてあればあるほど、あんまりよくないだとか、僕は雑な言い方してるけれども正解にいうと、他人が読み入ってしまう気持ちの書きでなけりゃってことで、この作品、読み入ってしまった。 現実で絶望感にさいなむことたくさんあったりして、文学には希望しかないって教えてくれた人がいたけれど、そういうのを、読んで感じました。
0筆が落ち着いているようでした。 丁寧な言葉と論理の運びでした。 まるで喧騒と怠惰の溢れる都会に属しながら、静謐と安寧を与える寺社仏閣や教会堂に居る時のような雰囲気。 聖域で祀られる神はついにその場所から飛び立つのでしょう。 聖俗の二項対立の岐路を行く様な感覚に陥りました。
0『みんなが咳をするのに飽きたとき 私は鳥の姿になって この町を 颯爽と飛びさってみようと思う』 この出だしがすごくいいですね。読んでいる側も作品世界に飛び立てるような感じがします。言葉のリズムもきっちりしていてノリやすく、かなり理性的に作られたんじゃないかと想像しています。
0自戒を込めて書くんですが、私はあまり作者や作者の投影を全面に出しすぎて自分語り、あるいはとある人称が主人公的になりすぎてしまった詩がそれほど好きではありません。 でもこの詩は単純に好みなんですね。言葉使い。静かで抒情的なレトリック…比喩も好きですね。ごめんなさい、タイトルだけは少しばかり、本文の文体に対して胃に重いかなと個人的には感じました。 ビーレビみたいな、抒情詩もあればスーパーイロモノネット詩も近年目立つ群体の中、ただ自分の好みの言葉がそこに並んでいたので、そこにコメントを書こうと選択できるのはありがたいことだと思いました。 文体や空気感の崩れがあまり見えないのがいいのかな。分析的なことを書くのは苦手なんですが、水が流れていくように読みやすかったです。 上のコメントで教会や寺院みたいな雰囲気があるというようなことが書かれてましたが、空港以外はどの歴史でも通じる普遍的な言葉で描かれていますよね。もし1000年前でもこの詩があったら好きになった人がいるんじゃないかな。などと思うとなぜ自分がこの詩を好ましく思ったかがより分かってくるような気もしました。
0いいなぁ、すごくいいなぁ……良いです。 >夜が来れば >私の背中は星の間を通過する >そのうちに 数えきれないほどの問題が生み出されて >数えきれないほどのサボテンが花をつける 鳥が飛び出すのだから視点は下から上へ。背中に星を預けることで空を見て、地上のくだらない問題と、タイムラプスのような花の満ち干きで大地を書いて。って、やってる事は何か文字で作品を書くとしたら最初期に意識すべきことなんですよね。視点を意識するってこと。この作品の良いと感じた点は、その技法を誇大に見せない文字選び、かつ作品全体にも違和感を抱かせない文字選び、それが出来ている点だと思います。 青い空!豊穣の大地! あなたと私!みたいなことしないの。粋だなぁ。いいなぁーーー!
0すみません、コメント頂いた三浦果実さん、ロンドン塔うろこさん、橙色さん、あささん、nameⅠさん、クヮン・アイ・ユウさん。 お返事が遅くなってしまいました。 これから順番に、折り返しで、コメントを頂いた順番と反対順に、お返事を書こうと思います。 (そういう順番にすると、意外と、自然に見えたりします) トップに移動させないで、お返事します。(アゲ行為をケア) クヮンさん。コメント頂きありがとうございます。 私はクヮンさんのことは前から知っていたのですが、 正直コメントされることはないだろうな~と、思っておりました。 クヮンさんと言えば、私がネットポエマーになった3年前の当初から、存じ上げております。 当時、私は真面目に詩人というものが地上にいないと思っていました。 Twitterで書いていたのですが、その時に見つけて、びっくりしたのを覚えています。 自分が書いているものと、質感が違ったからです。 そのようなことは、今日まで印象に残っています。 >目を覚さないのはもう全て差し出しているからで、 それにしても、この読みを見たとき、あ、しまったなと思いました。 その読み方は、私の意図を超えて、素晴らしすぎるからです。 この作品を読んで優しいとおっしゃるわけで、つまり、 真の優しさとは、いつもクヮンさんの作品に宿っているのだという、 私の読みは当たっていたということです。 私のポエムはいつも付け焼刃的で感情的で非実力主義的です。 しかし何かの偶然でこの作品は私にとって最初で最後の傑作になりました。二度はないほど。 それを読んでもらえたのは、とてもありがたいことですね。 これはクヮンさんだけでなく、コメントくださった方、 そして当然ですがこのページを開いてくれたみんなにも思っていることです。
1すみません、操作をミスったのですが、↑のコメントは前半部がみんなあてで、途中から、クヮンさん宛です。 少し疲れてしまったので、続きのお返事は、明日書こうと思います。 よろしくお願いします。
1>最初期に意識すべきことなんですよね。視点を意識するってこと すごいですね 言われてみたら本当にそうだ 私はこの作品を書いたとき、できるだけ自分が読んでて気持ちいいようにしようと思っていました。 ビーレビって結局、意外と、読みやすい作品って数が少ない気がしているんですよね。 「わかりやすい作品を書くのは難しいことじゃないよ」とcold fishさんは言ってたのですが、 私は、そうかなあと思ったのです。 私はそういう作品を、一度くらいは書けたらいいなと思っていました。 自分が読み書きして気持ちのいい言葉を追求する行為から、 文学的に真に価値のある作品が生まれるかということについては、 私は何もコメントできませんが、 少なくとも私にとってリアリティがある言葉というものは、 そんなところにあったりするかもしれないと思っています。 頭で考えて言葉を積み上げる行為は窮屈で、 なので私には文章の才能はないのだと思います。 そうそう、そういった思索の文脈とは無関係ですが、そういう無心・無我の境地を あの芦野夕狩さんは鉄の塊ゾーンと言っていましたね。 肉体労働で1日何時間と働き続けるとき、自分自身が鉄の塊になったように錯覚して それがさわやかだ、というお話だった気がします。 夕狩さんは「詩にはくれぐれも魂だけは込めるな!」という方で、 純粋に技術だけで書き上げる、超実力派・腕力タイプの人なのだと思っていますが、 それでもそういうことを感じるのだなあと、素直に思ったことがあります。 その感性は人類普遍なのだなあ…と思ったのです。(n=2) 私も技術で書けるようになりたいと思っていましたが、最近は考え方を変えて、 技術を磨くことは僕には無理だから、自分にとって超感覚的な表現というものが、 どんなものであり、どうして生まれて、どんなスタイルであれば、誰に理解してもらえるか、それは何人か、といったことに興味があります。 そうそう、前に石村利勝さんが批評文かなにかでお前らはもっとモノを書け!と仰っていましたね。 具体例はどなたかの作品だったか忘れてしまいましたが、超ざっくり言えば、 「みかんばっかり食べていたら指先が黄色くて恥ずかしい」という感じの話で、 私はふむ。。と思ったのでした。 つまり、モノというのは現実世界に一定の体積を占め質量を有する物体のことを言うのだと思いますが、 私はおそらく、それだけではなく、看板がなくても他者に理解できる物を仰っているのだと思います。 nameさんのご指摘の正しさと難しさとは、視線を誘導するためにはそのような物で視点をくぎ付けないとだめだが、 そのような単体の物を描くことは難しい、ということだと思っています。 まあ知った風な口きいてますが、自分の作品を読み返したら、抽象的なので、ふーんだめじゃん、って思ったんですけどね。。
0あ、すごいわかります。 で、自分が書いちゃうやつって、そういうのなんですよね。 自戒っていうの、なので、わかります。 好みって言ってもらえてうれしいのは、私も実際、 そういう詩にならないように、結構ケアしたからです。 ただ、普遍的な言葉って言うと不思議ですよね。 具体的な時代や物に属さない言葉といったら、抽象的というか、 概念的で、なので読み手の人が何か具体的にイメージを膨らませながら 読んでもらえるかどうかというのは、賭けになる気がします。 でも私は本当はそういうのを描きたいと思っており、なので、 これは私にとってずっと焦点なのです。リアリティとか超感覚的読後体験というものは。 そのほかの全てを犠牲にしてもいいって思うくらい。 そうだ、それでいくと、ピンポイントに触覚にまつわる単語を入れると 切れ味が出て良いっていうことがあるんですよね。 作者の方や作品名を忘れてしまって本当に恐縮ですが、 以前そういう作品を読んだことがありました。 大変難解な、高度に組み上げられた詩なのですが、 一か所、「たわめる」という単語が出てきて、突如リアリティにあふれたのを覚えています。 …あ、ありました。 鷹枕可さんでしたね。鷹枕可さんの「石の苦悩」という作品です。 https://www.breview.org/keijiban/?id=5376 ヤバいですね。
0コメントありがとうございます。お返事が遅くなってしまい、すみません。 このポエムは、できるだけ読みやすく、私が何を考えているのか、 私がどういう人間かを、知ってもらえたら良いと思って書いたものでした。 ポエムの書き出しについてなのですが、すごく形式的な話ですが、 フレーズで始まるか、独白から始まるか、説明から始まるか、会話から始まるか、 そのどれを選ぶかということで、印象的に、かなりの方向が決定されますよね。 フレーズから始まる作品は、観念的というか、絵画的というか、静物的なイメージがあります。 独白から始まる作品は、受け入れられやすいイメージですが、興味を引き続ける必要があります。 説明・会話というのは、物語的で、ストーリーをつくる技術が求められる気がします。 (この分類は、今ぼくの思い付きなので、分類としては全く成立しないと思いますが)
0ロンドン塔うろこさん お騒がせしてすみませんでした。コメントありがとうございます。 褒めてもらえたと思っています。嬉しいです。 結構好きなので、神社には「まれによく」行ったりします。 でも実は、正直、私はその雰囲気を理解するのが難しいと思う時があります。 なんか、落ち着きすぎちゃうと言うか、虚無状態になっちゃうというか、 行く前には「よ~し、思いっきりわびさびするぞ!」と思っているのですが、 ついてみればあっけなく、その厳粛さとのんびりさの両方を持つ空気感を、 リアルタイムではあまり感じれません。 むしろたいてい、行く前とか、帰ってきた後になって、旅情を感じたりします。
0三浦さん ありがとうございます。これを書いたとき、本当に眠くてしょうがなくて、つらかったです。 希望しかないというと、ほんとにそうかもしれないです。 今になって思うと、このポエムには、まさに希望だけを書いたような気がします。 非現実的なことを書けば書くほど、勝手に希望に近づいていくような気もします。
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