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今はただ
今はただ 牛の世話する 悲劇の日 牛は昨日も今日も変わらず 大きく目を開いて 覗き込んでくる こんな今日なのに 牛にとって昨日も今日も明日変わらない 5メートル先に悲劇が起こっても 牛は牛のまま変わらない 今は 日常を続けよう 目の前の牛に 餌を ミルクを いつか肉になる 愛らしい顔の牛たちへ 今この時味わえる幸せを手助けしよう 風邪に注射 中耳炎に膿吸引と洗浄 腹に溜まったガスを抜き 出産の介助 死んでしまうその時まで 幸せを 悲劇の日 この目の前で別な悲劇が起こってしまわないように 目と気を配り この日常が あの地の苦痛を和らげるわずかな力になるのを願い 牛を見回る 今はただ 今はただただ 牛を愛で 祈り捧げる 悲劇の日
今はただ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1117.4
お気に入り数: 0
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2022-02-26
コメント日時 2022-03-01
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
デスデイ。 死ぬ日が決まっているのに知らない牛と知っている人。 子牛を産んでいるのは誰の未来のためなのか。 良い詩でした。
0本当にそうなんですよね。 栄養学的には肉をある程度食べないと健康を維持できないようですし。 牛などの家畜を飼い、食べざる得ない。 牛はそれを知る事もない。死んでしまう日さえも。 牛が子供を産むのは人のためです。 ただ、もはや野生で生きる事のできない肉牛(かなり病気になりやすいのです)が子孫を後につなげるのも事実。 とりあえず、目の前の幸せを追うのが正解かと思います。
0ウクライナがきっかけで書いた作品ですが、東日本大震災(自衛隊時代行方不明者捜索をしました)や胆振東部地震(停電で当時勤めていた牧場で搾乳できなくなりました。発電機を調達し何とか搾乳しても牛乳は一日分廃棄です。他の牧場では搾乳できなかったため亡くなった牛もいたそうです)も念頭にありました。 以前このような主題でビーレビに投稿しましたが https://www.breview.org/keijiban/?id=373 今の立場で改めて日常を送る事で祈りを捧げたく思いました。 生きとし生きる物は幸せであれ 釈迦 スッタニパータ
1あ、上のはねねむさん宛です。
0目の前にいていつものように生きている子牛と対峙する。できることなどないのかもしれないし、無力感の只中にいようと現実界の人間のあれこれなどかまうことなく生きている生命の様相が祈りを提示しているように思いますね。尊厳などの理屈など入る余地がないほどにただあることの自然、尊さといいますか。
0言葉にならない日々になるのも仕方ない気はします。 それでも良い方向を向ける手助けになれたら幸いです。
1牛に尊厳という概念は全くないまま、全力で牛と言う生を送っているのが、結果的に生命賛歌の様な祈りになっているかもしれません。 その描写がよかったようです。
1牛の世話をするのが悲劇の日といきなり惹き込まれました。 牛の恒常性にイラついて居るのかどうかは分からず、「今この時味わえる幸せ」と言うフレーズ。 屠殺とか口蹄疫とか不自然な形で亡くなってしまう懸念が有るのかもしれません。「悲劇の日」が躍っていると思いました。
0牛は犬や猫よりもはるかに空気を読まず近づけば、うしうしうしうしうしと、好奇心のままやってきては牛であり続けます。 イラつくことはありません。だって牛ですし。 牛にとっては突然の死はまあまああるのです。 病気や事故による予後不良との診断での安楽死、難産による死、食肉にするための屠畜。 悲劇の日、というのは肉牛への言葉でもあります。
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