わたしは穴を埋めていた
筈であったがいつのまにか
穴は増殖していたのだった
それどころか穴は繋がり
今やトンネルが出来ていた
穴だらけ、やがてもろくなる
スポンジの柔らかさも
穴開きチーズみたいな魅力も
なくこれでは老いた骨だ
さらに地層から
幼年期、少年期、青年期と
私たちが現れて諍いをはじめた
わたしが祖母が死んだ、と
彼らに告げると口をつぐみ
それから一斉に歌いだした
あらゆる地層から人びとが起き上がり
這い出し、私たちと歌ったり笑ったり
わたしも懸命にその歌を口ずさみながら
私たちと肩を組み、人びととともに
穴のなかを歩いた
弥兵衛さん、シンジロおじさん
いじめっ子もいじめっ子の私も
同じ穴のなかで土に還っていく
やがて私たちは祖母だけがいないときづいた
いや、その穴を埋めるために掘っていたのだ
私たちは一斉にえずいて吐き出した……うまれ。
わたしは泥のなかにいた
ひろくふかい泥土のなかで
泥濘を貪り地層の一部になる
皆と歌を歌って暮らせばいいのに
わたしは歌の続きを求めて這い出した
泥濘はいつか固まり大地は草に満ちて
理不尽な死と生に挨拶をする
昼と夜の間で、たまに穴を掘ったり
埋めたりしている、わたし達は泥のなかで
産まれ落ち死に落ち混ざりあい産まれ落ちる
真夜中に見上げた月も、また
穴だらけらしい、あそこでも
誰かが生きているのではないか
わたしは月の穴の埋め方を考えて、
編み上げたものが月に届く頃、
地層のなか笑ってしまうような
化石になり、誰かが掘り返すだろう
今日も誰かが穴を埋めたいと
穴を掘っている、わたしは
それが墓穴にならないことを
祈るだけのしがない泥人形だ
作品データ
コメント数 : 7
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作成日時 2022-02-15
コメント日時 2022-02-22
#縦書き
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2024/11/21 23時17分15秒現在
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最初は弔いてきなことは考えずに書いてたら、そんな流れになりましたね。タイトルの付け方は悩ましいですね。僕は最近はなるべく詩文からひろうのを避けています。繰り返し、みたいななるからです。好みかもしれませんが詩を象徴するようなタイトルにできれば、面白いと思います。
1何かが、ダメだと読んで思った。何かが、これでは帆場蔵人作品をダメにしてしまうと思った。
0幼年期、少年期、青年期と 私たちが現れて諍いを始めた というフレーズがとてもいい。 ただほばさんの作品で時折思うのは、「凡庸と退屈の一歩手前の良作」ということ。ほぼ作品は稀に精彩を欠く場合があるけれど、この作品もその一歩手前に若干あると思う。構成も締めくくりも悪くないのにスリムではない、エッジがない、刃のような言葉がない、という印象。しかし穴を埋めたいがそれが墓穴にならないように願うこの作品、着想はいいことに変わりはない。あとは読み手を退屈させずにどうそこへ持っていくか、だと思う。これも「凡庸と退屈の一歩手前の良作」からほぼ氏が抜け出せると思うがため。許されよ。かくいう僕も時折凡庸と退屈に足を引っ掛けることもあるが。自戒も込めて。
0最近読んだびれびゅの詩で1番好き。欲望以外の他者への眼差しを持た無いような作品も多い中、この作品は他者への諦念ぎりぎりの優しさを感じた。それは穴を埋めるという欠落を補おう?とする作業から始まって居て、己の(地の)穴を埋めようとする作業が、やがて他者(月)の穴への想像へ至るというところ、実直さ、真摯さと共にぽえじーを感じました。表現は平易でありながら滋味のある作品だと思いました。です。
0そのことを考えいていた。 何かが過剰なのである。何度か読み返して僕はひとつの結論に至りました。最終連が過剰です。ピエロが僕は哀れなピエロです、と書いたら白けてしまうように泥人形だなんだなんて、いらねぇことを語ってしまったように思う。
0仰る通り僕の作品は所謂、エッジやフック、とは無縁である。そこは退屈と断じられて仕方ないと思います。泥くさいんだよね。奇を衒うことなく小手先でなく読み手を飽きさせない事が出来たら最高ですね。
0自分のことで未だに一杯一杯なんですよ。それで行くところまで行って、あー、駄目だねぇ、と見上げたり見回したりしたときに他人の事もなんか勝手に近しく感じたりするわけです。ほんと、に勝手に思うだけだからそんな類推、迷惑かもしれませんが、人間なんて勝手なもんだから仕方ないですね。平易な表現は自分の本意とするところなので、そこに良さを見い出して貰えたならありがたいです。
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