古来、酒を調合してカクテルをつくるバーテンダーは奇術師のたぐいであった。
普段はガラガラにすいている私の店のバーカウンターが賑わう時がある。それはいつも月の綺麗な夜だ。満月の夜、海では魚の産卵時期となる。人間の深いところの記憶と本能が月の夜には現れるのだろう。伝統的な祝祭も満月の夜に行われた。日本の村祭りであろうと、ヨーロッパのサバトであろうと、錯乱の夜に満月はつきものだ。
そうだ私は奇術師であった。冷凍庫から凍ったジンのボトルをとりだしカウンターに置く。ボトルからは冷気がゆらゆらと立ちのぼる。濃い緑のライムを手早くナイフで切り、グラスには、大ぶりのかち割り氷を放り込む。凍ってとろりとしたジンを適量そそぎ、栓を抜いたばかりのトニックウォーターで満たす。グラスの淵まで炭酸が沸き立つ。軽くステアし、ライムを添えれば、香るジントニックのできあがりだ。
ステンドグラスの傘をつけた電球色のカウンター照明がジントニックのグラスを、出来たての宝石のように輝かせる。磨きこまれた木製のカウンター板に両手をついて、客の話にうなずいた。
白人の男を2人連れた中年の男が来ていた。店の前にジャックダニエルの看板を置いてからは白人がよく入るようになった。中年の男は阿加流比売市から来ていると言った。山で風力発電の巨大なプロペラを設置しているそうだ。白人らはリバブリア人技師だそうだ。
とても古いブルースのレコードを大きな音でかけた。リズムはドラムではなく、鞭を叩くような炸裂音だった。狭いバーの空間ではあるが、単調なビートでつくりだされた異世界がそこに現われた。自分の好きなように選曲するとこんなところだった。
しばらくすると酔った男女4人が店に入ってきた。常連の医者のグループだった。急いで飲み物の用意をした。ポップな曲と映像に変えないと場がもたない。私は、高い酒を飲み、若い女性を連れて楽しむこの医者たちが好きだった。
風力発電の巨大なプロペラには落雷があるらしい。高級コニャックをグラスに注いで医者と会話を楽しんだ。この客には専用のバカラグラスを使った。聖書にある「知恵の実」とはぶどうのことだと私は考えている。多くの文献を読んでそう考えるようになった。そのエッセンスを錬金術風に蒸留したものがコニャックだ。蛇がイブをそそのかして食べさせた果物だ。きっと知性とは悪の根源であるのだろう。
そのあとも、いれかわりたちかわりに人びとが入ってきた。浮浪者、経営者、ビジネスマン、警察官、弁護士、教師、なまめかしいホステスなど。私は客の職業を訊いたり、名前を訊いたりはしなかったが、会話のなかでそれを知った。名前は知らずとも顔は自然に覚えて声をかけた。つきだしの食べ物にはナッツとチョコレート、チーズや旬の新鮮なフルーツを添えた。
バーカウンターに並ぶ客が神々のように見えるときがあり、べつのときには、畜生らが座って並び、それぞれの首を突き出しているようにも感じた。私はまともに客の目を見ないようにしていた。相手のまとう気のようなものが、目を合わすといっきに私に入り込んでくるからである。たいていの場合、汚れた気であったので体調維持のためには気をつけるべきことであった。人は酔うと、その人に憑いているものが表にでてくる。これは実際に感じたことだ。客を選ぶことは水商売では重要なことだった。憑いているものが私に話しけてくるようになると、私の健康もおぼつかない。
ひとりで店に通っていた歯科医の妻を、奈落からきた役者が口説いている夜もあった。銀行員の女らが暴言を吐きながらワインをがぶ飲みする姿も見た。そのうちに私も、泥酔者の仲間入りをしていった。
私のバーカウンターで人びとがにぎわうとき、満月の夜とは亡霊が闊歩する祝祭の夜であった。にぎわいは確かにがあったが、私はそれを忘れることにした。どこにでもある場末の店でのできごとなど、朝になれば疲れだけ残して見事に消えてしまう。
作品データ
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作成日時 2022-02-10
コメント日時 2022-02-19
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 4 | 4 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 12 | 12 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1.5 | 1.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0.5 | 0.5 |
技巧 | 1.5 | 1.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.5 | 0.5 |
総合 | 6 | 6 |
閲覧指数:1857.7
2024/11/23 18時52分19秒現在
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とても興味深いお話でした。なるほどと考えさせるところが多く、短いながら 短編小説のような趣で楽しめました。バーテンダーは奇術師とか、錯乱の夜に 満月はつきものだとか、相手のまとう気のようなものが、目を合わすといっき に私に入り込んでくるとか、大変参考になりました。
1お読みくださりありがとうございます。 参考になったところがございましたら幸いです。 >バーテンダーは奇術師 ちなみにカクテルの材料ですが、薬草系のリキュールというのもありまして、たとえば、「ベネディクティン」。フランスノルマンディ地方にあったベネディクト修道院で、多種のハーブを調合した長寿の秘酒として発明されたのが起源です。500年以上まえから生産されています。かなり甘いので、あまり使いませんでしたが。ソーダ―で割ると飲みやすいです。 もうひとつあげれば、 イギリスでは「庶民の薬箱」と呼ばれ、セルフケアによく用いられるエルダーフラワー。そのエルダーフラワーを使ったリキュール、「サンジェルマン」は飲みやすくて、とても美味しいですね。スパークリングワインとソーダ―で割っていました。
0なかなか、面白い作文でした。エセーでしょうか。ちょっと勿体無いと思ったのは詰め込み過ぎでさまざまなものへの思索の深掘りがまだまだ出来るように思えたところです。酒のこともですが、それぞれの客のこともひとつひとつ書けばさらに楽しめるエセー散文集になりそうです。とはいえ、楽しく読ませて貰いました。
1お読みくださりありがとうございます。 ほばさん、お久しぶりです。 以前、書いたものですが、確かにいま読むと、書き込みが足りないような気もします。あまり過去を思い出したくないのかも知れません。書き込めば小説の形式になりますが、小説を書く体力はもうないと思っています。とはいえ、文量を倍くらいにするのは可能なので、自分への宿題にしておきます。そうですね、エッセイ集のテーマには、なりそうです。 この散文はnoteで公開しているのですが、他の自作詩にくらべ、評価が高いので、ここに投稿してみました。詩を読まない人には、読みやすい文章なのでしょう。
0お世話になります。 一時期、近所のバーに入り浸っておったことがあり懐かしく、甘酸っぱく読ませていただきました。 匂いや客の下卑た笑顔まで伝わるような濃密な読後感でした。 ある種、ああした場に定点的に通った経験が無いと伝わらないかもしれません。 しかしながら私が踏み入れたことのない(厳密には短時間に2度ほどありますが)カウンターの内側からの景色も非常に良く分かりました。 あれほど人間がはっきりと捉えられるのかと驚愕した覚えがあります。 ジントニックの描写、正しくバーテンダーは錬金術師でありマスターであるなあと。 知恵の実はどうか私の想い人が愛飲するカルバドスの原料であるリンゴであって欲しいなあなどと思いを散らしました。
1お読みくださりありがとうございます。 知恵の実についてですが、人類の祖先が知能を発達させた要因とは、直接には言語を話すようになったことにあり、文字の発明があり、牧畜と農耕が文明の基盤をつくったことにあると考えています。禁断の知恵の実を小麦だとする説もあり、それは文明の成立を考えるとあてはまる説です。 事実、農耕は富の集中をもたらし戦争がはじめられ、長時間労働による虐待など、歴史上、多くの人々を不幸にしました。知恵の実とは本来、不幸の種なのかも知れません。 知恵で人々に幸せをもたらそうというのが現代の思想ですね。 長らくアルコールとは縁のない生活をしています。 久しぶりにウイスキーとか飲んでみたいです。ストレートで一杯だけ。つまみはチョコレートがいいかな。
1チョコレートいいですね。 私は栗羊羹かスモークナッツが好きです笑。 ハギスなどというのも縁遠い食べ物になってしまいました。 「サピエンス全史」という本の受け売りですが、 ①認知革命 ②農業革命 ③産業革命 ④情報革命 と続いて今私たちは④の始まりあるいはただ中にいるということでした。 いずれにせよ科学至上主義的な近代合理主義はすでに限界を露呈し、我々は路頭に迷っているという感じですね。 日本的な経営や経済の在り方を突き詰めて行けばおのずと答えは出るのになあなどと生意気に思った利いたします。 リンク貼らせていただきますので良ければご参考まで。 保存期間は1週間です。 https://12.gigafile.nu/0224-b547a54125235d747d027b18c342eb2c1
1コメントありがとうございます。 ファイル、見ておきます。 私には、認知革命が興味深いですね。共同幻想みたいなものでしょうか。言葉の獲得が、抽象概念の獲得に大きく関与していることは明らかだと考えます。 >科学至上主義的な近代合理主義はすでに限界を露呈し、我々は路頭に迷っているという感じですね。 SDGsが提唱される時代です。 世の中が変わって行くことを、自分の記憶から手繰り寄せれば、私の若い頃は、人通りの多い交差点には無数のタバコの吸い殻が投げ捨てられていて、テレビはサラ金のCMばかり、暴力が大手を振って歩いていた時代でした。 けっこう変わったなぁと思います。
1ファイル見ました。 ネアンデルタール人が目に映るものしか言葉にできなかったというのが、私にはよく理解できませんでしたが、そういう説がまかり通っているということなのでしょう。 抽象概念についてですが、カテゴリーとしてものを認識することからはじまると私は考えます。たとえば、スミレやひまわりを、花と呼ぶ。さまざまな形態があってもそれらは花です。被子植物であるともカテゴリー付けできます。 神というカテゴリーを信じたり、銀行というカテゴリーを信じることができるのも、言語における抽象概念のなせるわざではないでしょうか。 言葉そのものが人の認識を支配しています。 以下、進路のミカタより引用(2015.12.10提供:マイナビ進学編集部) たとえば虹、日本では7色と呼ばれていますが、シベリアのエヴェンキ族は、虹を赤と青の2色だとしています。もちろん、その部族の人たちが実際にその2色しか見えないわけではなく、「色」という概念をあまり重視していないせいか、色を示す言葉が日本ほど豊富ではないからなんだそうです。そもそも、彼らが使っている言語の中には「ピンク」や「紫」というような色を表す言葉がないとも言われています。私たち日本人と同じようにたくさんの色が見えてはいますが、明るい色は赤、暗い色は黒、というような考え方だというわけです。このように、言語の違いから虹が2色だったり、7色だったりするんですね。イギリスでは、虹は6色とされています。フランスやドイツ、中国では5色、ロシアや東南アジア諸国では4色、台湾やアフリカの一部の部族は3色、南アジアやアフリカの一部の部族では2色だともいわれています。
1色概念のお話面白いですね。 どうもホモサピエンスは認知・認識が進む過程で「敵」というカテゴリーを見つけた、あるいは作ったので他種族(そもそもこれも概念ですが)をほぼ絶滅に追い込んだのだろうなと。 最近の過剰に清潔や潔白を求める風潮をホワイト革命とか呼んだりするそうですね。 「汚いものの中に本質があるんだよ」と教えられた自分にはどうして生きにくい時代になってしまったなあと思ってみたりしています。
1深尾さん、こんばんは。 申し訳ございません。読むのが大変で疲れてしまいました。 作品のプロットは良いかと思いますが、もう少しまとまりが欲しいところ。 深尾さんにはお世話になっております。恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
1矢張り、バーテンダーはカクテル作りにだけ長けているのではないと思いました。聖書のエピソードが印象的でした。社交的でないといけないのは勿論のこと、円満な人格、全人格的なレベルでのバーテンダー大全とでも言うべき、詩内容だと思いました。
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