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蝶々
枯れて散って煽られてはまた咲いて、溢れてひらめいた雨粒はスタッカート、眼差しは吸い込まれた先で凛として逞しく、風が肌をくすぐって語ったその言葉の意味をあなたは知ることができない、移ろいやすくて咲いては散った虚ろな驚いたその眼差しでは光に浮かぶ蝶々さえ ひらひらと儚いような振りをするその気高さで、あなたの飢えた優しさを静かに拒んで拒絶するだろう、煽られて揺らめいて落とした羽根は濡れた雨、密かに震わせる触覚は風の波紋をことごとく捉えてたじろいでは深く呼吸してまた緩やかに開かれて、浮かんで揺れてその行く先、あなたを置き去りにする
蝶々 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1222.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-01
コメント日時 2017-12-15
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花緒さん 「回転しながら流れていくような」感覚が伝わってとても嬉しく思います。また前作、脱構築性よりも一種の「音楽性」(あるいは音響性もしくは聴覚的な何か)を軸に置いて書いたつもりだったので「音楽性」で捉えてくださっていることもとても嬉しいです。 桐ヶ谷忍さん 非常に嬉しいコメントありがとうございます!私の記憶の多くはまさに「動画に近い静止画」(あるいは静止画に近い動画)の集まりのような感じなので、この感想は特に嬉しく思いました。
0ひとりごとですが、そういえばリズムって五感でいうとどれなんだろうな、と自分でコメント書きながら考えました。音楽におけるリズムも、グレン・グールドが主張していた「パルス」とかっていわゆる「音楽的なリズム」とは別物の何かを彼自身が感じ表現していて、だからこそ「リズム」とは別の言葉を選んだのではないかとか、あるいか「詩」におけるリズムは果たして「音楽的」なものなのだろうか?ということを考えています。もちろん音楽的な側面が強いリズムもあるのかもしれないですが、言葉のリズムにはそれとは別のもっと何かがあるのではないか、と自分でも「音楽性」という言葉を使いながら、何かもっと別の感触を感じたりもしているのでした。言葉とは不思議なものだな、と感じます。
0蝶自体、または蝶から繋がって花から連想できる動詞の率が高く予定調和な気がする
0祝儀敷さん ご指摘の通りですね。鋭いコメントありがとうございます!
0雨粒はスタッカート、で切り、落とした羽根は濡れた雨、でも切る・・・花や蝶のイメージ(ある種の質感、物質性を持った像)と、そこに入って来る雨や風のイメージ(動き、触感)が、すべて等質に均されているような、不思議な感覚がありました。気高さや優しさ、といった抽象的な語彙のせいかもしれません。 「その言葉の意味をあなたは知ることができない」「浮かんで揺れてその行く先、あなたを置き去りにする」言葉になりかけたまますり抜けていったイメージ、そのとらえどころのなさ、肌をかすめていった感覚を、あえて捉えようとするような印象でした。言葉の流れの美しさや、響きの心地よさに「流されて」いないか、という部分(それは、好みの問題にもなってきますが)が、少し気になるところでした。
0まりもさん いつも丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。ご指摘、とても鋭く、ああ、なるほど、そういうことか、といろいろ気づかされました。<言葉の流れの美しさや、響きの心地よさに「流されて」いないか、という部分(それは、好みの問題にもなってきますが)が、少し気になるところでした。>とのことですが、これは正直に書きますが完全に流されて書いています。自分でも言葉や意味を取りこぼしながら、ただただ感覚のおもむくまま、そして最後には自分さえ「置き去り」にされながら書いた感があり、ただ、その即興性はどうしてもダメにしたくないという強い想いがありました。 音楽において、奏者が自ら奏でる音楽によって操られるかのようなときがあって、そのような時にこそ素晴らしい演奏は生まれるのではないか。同様に詩においても、作者よりも詩そのものが主体性を持ち得たときに詩は詩としてより生き生きとしたものになるのではないのか。という思いがあり、同時にまた、言葉の意味や物語性からは一歩引いた目線と感性で詩を書いていたいし読んでいたい、という強い想いも持っています。そう意味では一種の均質性を感じてくださったという感想はとても嬉しいものです。 ただ、はたして今回の作品が詩そのものとして主体性を持つほどの強度をもっているのか、あるいはただ表面的な美しさや心地よさに「流されている」だけなのか、そのあたりは自分に鋭く問いかけていきたい点でもあり、課題として意識すべき点だなと感じています。
0りさん コメント本当に嬉しいです。詩を書くとは私にとってはっきりとした言葉や論理や思考になりえなかったものの残骸を拾い集める作業に似ていて、りさんのおっしゃるところの「精神の中に詩が湧くところがある」というお言葉には深い共感を覚えます。そうしたものを拾いきれない「哀しさ」、もどかしさは私にとっての「詩の根っこ」です。その「詩の根っこ」の部分は私自身ものすごく大切にしたいと感じております。「読む日によって内容がかわりそうな」作品は私のなかの理想の一つなので非常に嬉しい感想でした!ありがとうございます!
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