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人間ヶ池
人間は池 木やら苔やら、自然と共存 月夜に照らされいわゆる絶景 すると側に東山慈照寺、いわゆる銀閣寺の観音殿みたいな建物だって現れるはず 静かな画 時が流れているにも関わらず時を感じさせない 胸を張って誇れる歴史 でも現れない 波紋が波紋を呼び池が馬鹿みたいにふざけて 淵からこぼれ出し、周りを水浸しにする 傍から見れば何とも残念 それでも気付かず荒ぶってこぼれ出す 人間は70%が水分 後の30%で本来は池が枯れない知恵を巡らすべきなのだ せっかく100%じゃないのだから人間は せっかくただの水たまりじゃないのに人間は 自然がどこか遠くに引っ越さないと 月があっちを向かないと わからいのかな池は いけしゃあしゃあ いけしゃあしゃあ
人間ヶ池 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 833.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-28
コメント日時 2017-11-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
人間ヶ池、という、どこかにありそうな固有名を思わせて、人間が、池、と掛けているのかな、そんなユーモアを感じました。 人間の内部が水、で満たされているなら・・・ニュートリノが人間を通り抜けていく時、人間は発光しているのではないか?そんなことを、考えたことがあります。骨を折った時、皮膚の内側にブヨブヨ水が溜まって、ああ、皮膚って革袋なんだなあ、と、しみじみ感心したこともあります。 びしょびしょに濡らしたスポンジを、うすいゴムで包んでいる、ような・・・人体。ちょっと押しつぶすと、すぐに敗れて、水が溢れ出すかもしれない。そんな危うさを、〈淵からこぼれ出し、周りを水浸しにする〉〈せっかくただの水たまりじゃないのに人間は〉とユーモラスに表現するところ、そのことに「気づかされる」のが、月光に照らされた池のイメージである、というところ。人が月に照らされた池、なら、そばに〈東山慈照寺、いわゆる銀閣寺の観音殿みたいな建物〉があったっていいじゃないか、というハズシカタ、とても面白いですね。 人間の水分が70パーセントなら、残りの30パーセントはいったい何なんだ、という問にも、つながって来そうです。〈わからいのかな〉は、お里言葉、なのでしょうか・・・〈木やら苔やら、自然と共存〉ここが、30パーセント部分、なのかもしれない。 最終連、ユーモラスに終わる面白さがある一方、自然が引っ越さないと、というのは、木やら苔やら・・・を受けての言葉、なのだとしても、若干、唐突な印象がありました。 全体のリズムが楽しいですね。
0花緒様 コメントありがとうございます。 自分らしい所を出せてとても嬉しいです。
0まりも様 コメントありがとうございます。 とても丁寧にコメント頂き本当に嬉しいです。 わからいのかなは誤字でした。わからないのかな、でした。 申し訳ないです。 最終連再考してみます。ありがとうございます。
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