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MARIA2 短編
「なんで捨てへんかったん?」 佐倉のそれは単純な疑問だった。 「それ実家からでしょう?悪いかなって思って」 真里亞のその感覚が佐倉には不思議に思えた。いくらそれが実家から送られてきたものとは言えど、腐った林檎はただのゴミだ。真里亞はおそらく、家族という考えにとらわれすぎている。両親がいないのだからそれも当然なのかもしれないけれど、家族なんて、ただ血のつながった他人なのに。 「これ捨ててくるわ」 「明日、不燃ごみの日だよ」 「そんなんどうでもええやん」 「掃除のおばあちゃんが困る。すごく優しい人なのにかわいそう」 「けど、家にも置いとけへんしな。しゃあないわ」 真里亞は優しい人にめっぽう弱かった。普段は、人生に疲れ切ったという表情ばかりしているのに、人の真心みたいなものに触れると、目を輝かせて喜ぶ。そんな真里亞を見ていると、彼女はこんな風でいいのだろうか、と佐倉は不安になる。しかしそこで、ふいに熱い肌が佐倉の腕に触れ、彼の思考はかき消された。すぐ横を見れば、キャミソールにジャージ姿の真里亞がコンビニの空の袋を持って隣にぴったりと立っていた。 「捨てよう」 真里亞はそう言った。清掃員のはなしはどこにいったのだろう。しかし真里亞の瞳にはいつも力があった。ただ、腐った林檎を捨てるだけなのに、その言葉には、まるで故郷を「捨てる」ような、そういうなにかタブーを犯すような意味合いが含まれている風にすら感じられた。真里亞にさえも佐倉は家族の話をあまりしなかった。昔の話をするのを佐倉は嫌がったし、真里亞もそれを強いなかった。けれどある程度察しはつくのだろうし、真里亞は林檎を佐倉自身の手で捨てさせるために腐ったそれを放っておいたのかもしれない。故郷を捨てる。林檎はその象徴のようだった。 「・・・そやな」 真里亞のその強い目に押されて、佐倉は林檎を真里亞の差し出す袋に突っ込んだ。 ある日、真里亞は佐倉と喧嘩をした。佐倉の部屋にある固定電話にかかってきた彼の母からの電話に佐倉は出たがらなかったことがきっかけだ。この前の林檎の件もあったので、真里亞は出たくないのなら出なければ良いと言って放っておいた。すると電話がきれたあたりで佐倉の機嫌が悪くなった。そこから話がこじれ、最終的には真里亞が佐倉の家を飛び出すことになった。 その佐倉との喧嘩から一週間が経った。真里亞は六日連続の夜勤明けで疲れた体を引きずってメイクも落とさずに、自宅のベッドに横になった。どうして私ばかりがこんなに働かされて、誰も、神は、私を救ってはくれないのだろうか。時計を見ると、朝七時半だった。誰もいない部屋に、たった一人でいると、いつも以上に、見られている、という感覚は強くなった。 「主よ、私を見ないでください」 そう呟いた後、真里亞は半ば意識を失うように深い眠りについた。 夢の中で、真里亞は迷路に閉じ込められていた。しかし成人していると思われる男性の声に導かれ、彼女は迷路を進んで行った。誰の声だろうと真里亞は初めそう思った。けれどそれは、父の声だと、迷路を出てから気づいた。そして迷路を出た先には、父の姿があった。お父さん! 真里亞は叫んだ。そして彼に抱きついた。父は病気になる前の元気な姿だった。お父さん、今どこにいるの?父は微笑むだけで答えなかった。お父さんは、もしかしてーー。真里亞は涙ぐみながら言った。「死んじゃったの?」父はその問いにも答えてくれなかった。「お父さん、神様は? 神様は救ってくれた?お父さんは今幸せなの? 」 真里亞は父にきつく抱きついて尋ねた。父は目を細めて、静かに首を横に振ると、やっと唇を動かした。 「真里亞、自由になりなさい」 どういうこと? お父さん、神様はいないの? 真里亞がそう泣きながら尋ねているのに父は少しずつ消えていくのだった。まるで砂のように。真里亞は叫んだ。 「お父さん!! 」 真里亞は自分のさけび声で目を覚ました。涙が止まらなかった。神様は? 神様はいないの? 父は真里亞のその問いに答えなかった。それが全てだった。真里亞はしばらくのあいだ一人でひっそりと泣いた。何もかもが空虚に感じられた。 そして真里亞はシャワーも浴びずに、佐倉の家に向かった。まだ朝の九時前だったし、あれ以来連絡も取っていなかった。けれどただ、彼に会いたいと思った。 「真里亞、どうしたん」 ドアを開けた先にいた驚いた様子の佐倉に真里亞は思わず抱きついた。佐倉の匂いがした。あ、でも私、汗臭いかも、と思ったのは抱きついてからだった。 「一緒にお風呂はいろ」 佐倉をじっと見つめてそう言うと、彼は黙って頷いた。お湯をためている間も真里亞と佐倉は無言だった。真里亞の泣きはらした目や常ではないような様子を見て佐倉は理由を尋ねたけれど、怪我をさせられたわけではないとわかると、それ以上は聞いてこなかった。 風呂が沸いたと小さな通知音がした。佐倉は真里亞の手を引いて彼女を立たせると風呂場へと連れていった。佐倉は、黙ってその場に立ち尽くしたままの真里亞の服と下着とを脱がせた。佐倉はまるで子供にするみたいだと思った。けれど真里亞は相変わらず下を向いたままだった。浴槽から桶に湯をとって掛け湯をしてから佐倉は浴槽に浸かった。真里亞は俯いたまま浴室の椅子に腰掛けていた。佐倉はどうしていいかわからないまま、とりあえず真里亞を見ていた。すると真里亞はいきなりシャワーを取ると勢い良く蛇口をひねった。シャワーからは大量の冷水が出てきた。 真里亞は冷水を真正面から浴びた。あまりの冷たさに肩がびくりと跳ねた。 冷たい! そう感じたときに、真里亞はすべてがわかったような不思議な感覚に包まれた。 母が死んだこと、父がいなくなったこと、神を信じられなくなったこと、自分の身に起きたことすべてが輪のように繋がった。自分を死んで亡くなった母と、聖母マリアのようになるようにと安直に娘に真里亞と名付けてしまうような父。そしてそれを奪っていった神という存在。 いつまでも続く冷水は、降り注ぐ雨のようだった。 「あ! 水のままになってた! 」 佐倉が焦って蛇口をひねり、水を止め、温水に切り替えようとするのを真里亞は強い力で止めた。 真里亞?そう声をかけられても真里亞は黙っていた。 神は死んだ。人間が殺した。いやちがう、神はいない! 真里亞は笑った。初めは聞こえないような小さな声で、しかしやがて彼女は大きな声で笑い始めた。父の、自由になりなさいという言葉だけが思い出されていた。天にいるのは死者だけだ。神はいない。神はどこにもいない。まなざしは全て、私の思い込みだったのだ。 「神様なんていない! 」 佐倉は呆然とした表情で、水を浴びる真里亞を見つめている。 「佐倉、神様なんていないの! だから私は自由よ! 」 真里亞は濡れた髪をかきあげると、佐倉の方を向き笑いかけた。そんな彼女の様子に驚き、言葉も出ない佐倉に真里亞は、ぎゅっと蛇口をひねって水を止め、浴槽に飛び込んで、佐倉に抱きついた。水しぶきが目に入って目元をこする佐倉に真里亞はキスをした。 なんだそういうことか、真里亞はすべてが1つの輪になるその不思議な感覚を佐倉ごと抱きしめて笑っていた。もう誰のまなざしに悩まされることもない。真里亞は、その自由を噛み締めて笑っていた。
MARIA2 短編 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1151.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-25
コメント日時 2017-12-01
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
林檎、という象徴性。 佐倉と真里亞、アダムとイブ、その再現のイメージ。佐倉の「故郷」から送られてきた林檎・・・エデンの園が、人間の故郷であるなら。原風景への帰還を望む心理と、あえてその林檎を口にしない、拒否する、捨てる、という行為に秘められた、楽園帰還を拒否する心理・・・そこに、人間の自由意志は存在するか、という自由意志論も絡んでくる(ここは、哲学を専攻している、という佐倉が登場する所以でもある) 風呂を、羊水への帰還、胎内回帰願望と、神、という「幻影」から逃れた再生を促す場、と見たいですね。となると、その産婆役を務めるのが、佐倉、という狂言回しの存在になるわけです。 後半、かなり面白く読みましたが・・・今あげたような象徴性を深めていく、重層化していくために、前半を思い切って削って、後半に真里亞の過去を断片的に織り込んでいく、佐倉の家族観なども、あえて削る、というようなカットを施すと、短編として深まるような気がします。 逆に、描写を殖やし、丁寧に叙述を重ねていくことによって、今あげたような象徴性を検証していく、中篇や長編にして行く事も可能であるように思います。 最終連にもっていくために、若干、駆け込んで結論を急いでいる印象があり、もったいないような気がしました。
0花緒さま。 まさか後編にまでコメントをいただいてるとは思わずに返信が遅れました。 夢を挿入するのはイージーというのはまさにその通りで、真里亞が実際の体験として神がいないという結論にたっせればよかったなと思います。ご意見を参考にまたこれから練り直します。コメントありがとうございました。
0まりもさま 選考結果を拝見して久しぶりにコメント欄を見ると返信したはずが出来ていませんでした。遅くなりまして申し訳ありません。この短編を書いた当時、エヴァにハマっていたので楽園や胎内回帰というのは私の中で大きなテーマでした。そこに気づいて頂けたのが何よりうれしいです。また、まりもさんのおっしゃる通り、結末に向かって急いでしまったので次回からはもっと描写を増やしていくことを心がけたいです。さらに象徴性を高めて中編にしていくというアイディアで描きなおそうと思います。丁寧なコメントを頂いたにもかかわらず返信が遅くなりすみませんでした。お読みいただきありがとうございました。
0確か「1」と言うのか前編を以前読んだ事を思い出しました。父やそのほかの登場人物が、何か重大な事件が起こりそうな雰囲気を持ちつつも、決してそうはならない、そんな雰囲気を持った作品だと思いました。
0エイクピアさま コメントありがとうございます。確かに主人公の内面の変化以外は何も起こらない小説なのでエイクピアさんのおっしゃる通りですね。次回からは登場人物をもっと動かしたいです。コメントありがとうございました。
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