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2021.11千休利推薦文
序文 なんとか2021年の11月投稿分を読み終えたので、約140の詩の中から、最も優れていると感じた作品を選んだ。いくつかの基準があったが、その中でも「イメージの連鎖度」とそれに関連して「表現の充填度」の二つから、「夜空のかたち」を選ぶに至った。 以下にその理由を、なるべく纏めて述べたいと思う。また必要に応じてコメント欄からの引用もするつもりである。 またこれは、あくまでも千休利という一読者としての感想であり、それを誰かに強要するものでも、また強要されるものでもないと考える。 本文 詩における技巧、というものには幾つかの種類があると思うが、その中で最も目に付きやすいのはパワーフレーズやキラーフレーズとも言える、「掴み」の強いフレーズではないだろうか。こういったフレーズから詩の世界が展開されることもままあることである。意味や情景の飛躍を含むことも多い。 しかし、この「掴み」が成功しているかは、詩文の強度と言われるものに依存していると思う。それは序文で述べた「イメージの連鎖度」や「表現の充填度」に密接に関わることでもある。あまりにも「掴み」が先行していては読者もついていけない。また、「掴み」は良いが、そこから弛れていくということもある。 それだけ「掴み」というのは詩文における技量の目安になりやすいと思うし、そこに面白さがあるのではないだろうか。 そしてこの詩において「掴み」のある詩文があるかといえば、ない。皆無である。 ありふれた言葉と表現で、飛躍と言った面白みもあまりない。 しかしそれ故に、この詩は良いのである。つまり、この詩は非常に読みやすく、読者の感覚を阻害するものがない。直感的に理解できる。それは、このサイトのポイント制に従えば、可読性に優れていると言える。 短詩という形式も良い。短詩のメリットはいくつかあると思うのだが、特に「イメージの連鎖度」と「表現の充填度」を損なうリスクが低いという点が挙げられるのではないだろうか。そして本作はといえば、非常に成功している。 これらにより、本作には(コメント欄からの引用であるが)「全体からは言葉にし難く体に沁みてくるものがある。ポエジーと呼ぶとすればそれに相応しい」ものがある。(藤一紀氏、2021.11.27) さて、ここまでで「イメージの連鎖度」と「表現の充填度」を繰り返してしまったので、具体的に本作でどのように作用しているかを述べなければならない。よって以下に述べる。 ・イメージの連鎖度、表現の充填度 単語のもつ属性といったものに着目する。 夜空(星空)→月、ポラリス(星)→(光、標としての存在)→灯台→(海)→さざ波、波打ち際(海)→ウミガラス(鳥ともシーグラスとも読み替えられる) ポラリス(星) →星座(星) ポラリス(北)→ウミガラス(鳥として、北) (海)→(生命の始まりという属性としての母)→へその緒→(しろく、ほそく)→彗星(の尾を引く様子) さみしさ(孤独感)→(繋がりの希求)→へその緒 (:藤一紀氏のコメントより) かけら→欠けてしまった 夜空(確かにあるもの)→(確実性としての形)→たしかなもの→(確実性への懐疑)→なにもたしかなものはない (:沙一氏のコメントより) もはや多くを語る必要もないが、このように全ての単語が属性として強固に結びつき、交合している。 連鎖度としても、そして充填度としても、非常に高いレベルにあると言って良い。 意味の連鎖によりイメージが複合し、もう一度述べるが、やはりポエジーと呼ぶにふさわしいものが存在する。 さて、「イメージの連鎖度」と「表現の充填度」については説明できたように思う。が、もう一つだけ言及したい良い点があり、それを述べる。 それは、非常に細部ではあるが、語順についてである。 ・語順について ここで取り上げるのは >ちいさく、まるく (中略) >しろく、ほそく のニ箇所である。どちらも同じ手法で語順が設定されているように思うので、「ちいさく、まるく」を例にとって説明する。この箇所はこうなっている。 >夜空は とじている >ちいさく、まるく >月のかたちを うたがうように まず、夜空が閉じている、という表現があり月へと収束していく様子が描かれている(内容は違うのだが情景として)。ここで、「ちいさく、まるく」がどのような効果を持っているか。 月(一般にイメージされる満月の形状)へと収束していくためには、ステップとしては 1.広大な夜空が小さくなる 2.そして小さいものが丸い という2つが必要である。これはもちろん、 1.広大な夜空が丸くなる 2.そして丸いものが小さい とも言い換えることができる。 ではなぜ、本作では(あえて)小さく→丸くの順番なのか。それは単に、イメージ喚起により有利であるのがこの形式であったからに他ならない。 本作は、(コメント欄より引用すると)「夜空は空間であるから「かたち」なんてないはずなのに、「月のかたちを うたがうように」と、かたちあるもの=月を相対化することで、夜空のかたちという観念について説得力をもたせている」のである。(沙一氏、2021.11.28) つまり、夜空と満月を対比するためには、まず夜空が小さいという宣言をはじめに行うほうが効果的であるということだ。ここが、丸く→小さいの順番では、夜空が大きな何かの形になり、イメージがぶれてしまう。 批判 ここまで良い点を述べたが、それではやや建設的ではないように思えたので、少し気になった批判的な部分を述べたいと思う。 私は「短詩という形式が良い」と述べた。この意見は変わらないのだが、しかし表現がほぼ完璧に充填しイメージの強固な連鎖もある本作では、それにより形式そのものへ意識が向いてしまうように思う。これは語を変えても成立しうる一つの形式であり、同じような連鎖の仕方、最後の一文での多少の飛躍、を行うことで幾らでも作品が作りうるのではないか? という懐疑である。もしそういった意図があるならばそれは成功していると言わざるを得ないが、やや気になる点ではある。 跋文 ここまで読んで下さった方には、感謝を。私が良いと思った理由、気になった箇所を少し、の構成であったが長くなってしまい申し訳ないと思う。 最後に繰り返すが、これは、あくまでも千休利という一読者としての感想であり、それを誰かに強要するものでも、また強要されるものでもないと考える。 以上 千休利
2021.11千休利推薦文 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1107.2
お気に入り数: 2
投票数 : 1
作成日時 2021-12-08
コメント日時 2021-12-10
こんにちは。コメント欄も充実していた作品なので補足説明の引用もありわかりやすく、また短い詩という形式での書き手の考えも含まれていて楽しく読ませて頂きました。最初に夜空が小さいという宣言を行うというところは頷くものがあります。 ひとつ質問ですがこれは推薦文ではないのでしょうか? 批評文と推薦文のカテゴリを間違えて投票がされていないことが多々あります。 もし、批評文として書かれていたなら余計なお世話ですが、気になったのでお尋ねしておきます。
2ほば様へ 質問のコメントを読みました。「頷くものがあります」のあとに「ひとつ質問」とあるのですが、段差があると感じ、最初のご感想を楽しく読んでいたのですが、確かに丁寧に書かれてますがあやふやな言葉の空気と、間違った順序にたいしてそれらが嘘が愛想のように思え、私は昏迷しました。小言を失礼しました。 作品へ 「掴み」と聞いてお笑いを想像しました。それらもあらゆる、様々な色んな角度からとして、広く見渡せるような考察で、非常にありがたく思って居ます。言葉の説明にたいしては新書のように興味を持ちやさしく読めました、内容としてこの「考察して居る」こと、筆者が。(詩を)、書く方法として学ばれている文そのものであるのだから、与えられるやり方に従順過ぎず、道筋を自分が噛み砕く事が出来れば、そこでやっと読み手の飛躍はとても大きいとこう思います。
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