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ゴースト(前編)
娘「私には欠けた記憶があった。いくら思い出そうとしても、幼少期のある時期の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。それはただ単に、忘却というものなのかもしれないと思っていたが、その記憶よりもっと前の部分は思い出せ、本当に一部分だけ記憶がないというのはおかしい気がしてならなかった。欠けた記憶の前には大好きな父と優しかった母が笑顔でこちらを向き笑っているのだが、掛けた記憶の後には悲嘆にくれ疲れ切った顔をした母がこちらを見ているのだ。私の父はどこへ行ったのだろうか、思い出そうにも記憶は欠けたままで、母に聞いても明確な答えは返ってこない。なにより私は母が大嫌いなのである。 いくら私が深遠なる美の世界に耽溺しようと、逃れられない現実があることは承知の上で、ただそれと折り合いをつけることをもう少し待って欲しいだけなのだ。もう少女ではないのだから、煌めくおとぎの国が存在しないことは知っているし、もう乙女である時分は遠い昔に過ぎ去ったのだから、男達の本質が全て同じであることも知っている。ただ、実学を修めることのみが重要ではないと分かって欲しいだけなのだ。私は絵を描くことで無限の世界を作り出せる。私は文章を書くことで大好きな中世の世界にだって旅立てるのだ。 そう、ここは中世の欧州。中天に坐す月は白く、聳え立つ双頭の城に私は住んでいる。テラスを縁取るグロテスクな程のゴシック紋様、眼下に広がる真紅の薔薇園はさながら迷路だ。そして、この白亜の城には噂があった。悲しくも美しき或る噂が…あぁ、まただ。この匂い、この声、気が狂いそうになる。毎日毎日、飽きもせず母は私を呼ぶ」 母「御飯、御飯よ」 娘「俗だ。あまりにも俗。薄汚れた食卓に並ぶお粗末な料理が目に浮かぶ。何故醜い母に小言を言われながら食事をしなければならないのか。私は食べる事が嫌いで仕方ない」 母「早くしなさい」 娘「はぁい」 母「なんて可愛げない娘になってしまったのだろうか。肉親に対する嫌悪を感じるのは分かるが、もう少し地に足を付けた振る舞いをしても良い年頃だと思う。大学で美術を勉強しているようだが、私には何の意味があるか分からない。学芸員やデザイン関係の仕事に就きたいとの話をしたことは無いし、あの娘が何をしたいのかが分からない。夢想の世界だけでは食べていけないのだ」 (食卓へ) 娘・母「いただきます」 娘「(あぁ、もう既に限界だ。今からこの女の咀嚼音を聞かないといけないと思うとゾッとする。我が娘に媚びる卑屈な笑い声や顔は何よりも下衆で、今にも吐きそうになる)」 母「どう、就活は。上手く行っているの」 娘「うん、まぁ」 母「それじゃ、分からないわ。もう6月でしょう。」 娘「(あぁ五月蠅い、五月蠅いにも程がある。黙って食べることすらも出来ないのか。何故わざわざ気分を害するような事を言ってくるのか。頼むから放っておいてくれ)」 母「(全く不機嫌な顔だ。そんなに一人で生きていきたいならば早く自立するといい。社交性を身に着け、一人で生きていける大人へと。そんなことは分かっていると言うが、態度で示してくれなければ安心できない。家で出来ないことが外で出来るはずもない)」 娘「今は就職難なんだよ、お母さんの時代とは違うの。私は私なりに頑張ってるんだから、そんなに責めないでよ」 母「責めてなんかないでしょう。ただ心配してるのよ」 娘「大丈夫だから」 母「でも」 娘「大丈夫だって!」 娘「(ペチャクチャと、物を食べながら口を開くなこの俗物。この前不採用の通知が届いたばかりなのに、就活なんてする気にならない。人の気もしらずズカズカと無神経に喚き散らす醜い塊。噛み砕くことすら億劫な濃い味のひたすらに不味い塊。もう沢山だ。もう顔を見たくない。もう何も食べたくない。もうこんな所には居られない)」 娘「ごちそうさま」 母「え、まだこんなに」 娘「いらない」(退場) 母「はぁ、こんなに残して。いつからこんなことになってしまったのだろうか。もう長い間、娘とは上手くコミュニケーションが取れていない。育て方が悪かったのだろうか。片親で頑張ってきたつもりだが、間違っていたのだろうか。それともやはり、あんなことがあったからだろうか。しかしあの事件ももう大分昔の話だし、あの子はまだ幼かった。幼い心、そして体に傷を残した凄惨な出来事だったとはいえ、いつまでも引きずっていてはどうしようもない。もし覚えているならば、悪い夢だったと、早く決別することが何よりだ。ともかく私はあの子と幸せを願っているのだから」(退場)
ゴースト(前編) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 866.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-23
コメント日時 2017-10-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
読みました。何か後編も読まないとコメントをできないかのような衝動をも感じました。その原因はやはり母の最後のセリフ?(心の中のモノローグのような)が原因ですね。後編でその謎が解き明かされて居る様な気がするからです。片親と言うのも気に掛かりますが。
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