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亡くした人へ
「あまりにも早く亡くなられた、幸せな人はあまりにも早く亡くなりになった」 太陽が沈む様に 命は暗くなる 太陽が昇る様に 生き返る事はない 輝きは 消える 「あまりにも早く亡くなられた、幸せな人はあまりにも早く亡くなりになった」 多くが 日々 沈んでいく 「全て同じ名の八万四千の娘がこの火葬場で荼毘に付せられた。汝はその内、誰を悼むのか」 生きられなかった人の その日を生き 屠された命の肉を喰い せめて良い言葉を紡ぐ 明日へ行く 「およそ作れたものは無常である。どうして滅びない事があろうか?」 合掌 合掌 掌を合わせる 「自らを頼れる島にせよ」 掌を合わせて 「語られた言葉を頼れる島にせよ」 掌を合わせて 亡くなった人の言葉を糧に 生命を糧に 自らを堅固に いつか超えていく 良い言葉と共に
亡くした人へ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1278.2
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 3
作成日時 2021-11-17
コメント日時 2021-11-23
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 3 | 3 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>「あまりにも早く亡くなられた、幸せな人はあまりにも早く亡くなりになった」 原始仏典マハーパリッニパーナの釈迦が入滅する時の弟子の言葉です。 >「全て同じ名の八万四千の娘がこの火葬場で荼毘に付せられた。汝はその内、誰を悼むのか」 原始仏典テーリーガーターでウッビリー尼という弟子が引用している釈迦の言葉です。 >「およそ作れたものは無常である。どうして滅びない事があろうか?」 原始仏典マハーパリッニパーナの悲しむ弟子に向けた釈迦の言葉です。 >「自らを頼れる島にせよ」 >「語られた言葉を頼れる島にせよ」 原始仏典スッタニパータの釈迦の言葉です。
0愛語という言葉があったかと思いますが、なぜかそうしたものを思い出させるようでした。 身と口と意識のあり方といいますか、良い言葉は真理によるものからの意味ととらえましたが、仏典の言葉もまた詩なんだなあと。
0原則を言っているようにも見え、教会の説教の様にも聞こえ、作られた物の儚さ、鎮魂詩の様にも思えるのですが、多数の死者が居る場合、誰を悼むのか、確かに難しい問題だと思いました。
0"亡くなった人の言葉を糧に 生命を糧に 自らを堅固に いつか超えていく 良い言葉と共に" の一節が胸に響きました! 亡くなった人、亡くした人への、心からの思いを胸に刻みたい。
0むしろ仏典は詩だったりします。 詩の形式で残されている仏典や弟子が釈迦の言葉を受けて即興で詩を詠んでいる場面なんかもあります。 聖書やコーランも詩が多く記載されており、宗教と詩は相性がいいようです。 愛語という言葉も仏教用語ですね。
1実はビーレビューで少しやり取りがあった方が亡くなられまして。 自分より年齢は下でした。 それを受けて書いたので、鎮魂歌という面があります。 多数の死者がいる中で、誰を悼むのか。 まず身近だった人から少しずつ亡くなった人たち全体を悼むしかない気はします。
0釈迦もまた亡くなれられて、言葉を残しました。 他にも糧にすべき言葉はあるでしょう。 自分もそれらを刻み、また残していきたいです。
1「亡くした人へ」というタイトルなので、亡くなった方を思って書かれているのだろうなあ、という〈思い〉を汲んで読む方にとっては何か感じるものがあるかもしれないけど、そういうのをなしに作品の言葉だけ読んだら、 >亡くなった人の言葉を糧に とか >いつか超えていく >良い言葉と共に とか、中高生でも書きそうな(または書かなそうな)、いかにも語感頼りの寒い表現と意思表明があっていっそのこと引用文だけの引用詩にした方がまだマシだと思った。作品としては駄作です。
1そう言われると否定できないものがありますね。 鎮魂を、という思いが先走ったかもしれないです。 少々反省すべき点ですね。
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