快晴の心を持つ私とは、はぐれている雲を思っている、大抵の自負の風向きと、したたかさを強めている、他人の知恵を、浅ましさと、感情でしか物事を図れぬ愚かさに、決断という意思は存在せぬ事を、理想を描く事も出来ずに、目の前を悲観する、風に吹かれている雲と、私の眼には、遠くもなく近くも無し。
私は唯、小さな見栄が嫌いですと、生活に努力の陰もない他人の老いを、成長と捉えているとは、世の中には居ないと思っている、独りはぐれているだけの雲と、稚拙な感情だけを貴さと、善人ぶっている無駄な主張を、誰も問う事もないから、不運を撒き散らしている、哀し過ぎる風とも。
他人の優越を妬む事は、この先にも無いと思っている私は、そんな悔しさを育てる風を、私はこの先も寂しく思えば、欲するを事と考えている、時間を割いて、私は哀しい生き方だと、思う事を、私は寂しい雲と、心底思っている。
対語の生活に釣り合わせる事が、出来始めている様な、私の感想が残る今日に至る事は、他人として、少しは成長していると、受け止める余裕が出来ていて、喜ばしさと思っている、やはり、努力は実を結ぶ様で、 残りの解答もどうするかを、解決する糸口は有るし、発想する能力を自負している雲の、怠け者は皆、私に舌打ちでもしていろと、良いと思うし、対語の私を、最初から、気にも止めてはいない風と思って。
作品データ
コメント数 : 4
P V 数 : 1162.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2021-11-16
コメント日時 2021-11-21
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1162.3
2024/11/21 22時57分41秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
相対化される、相対化する、その立ち位置で他人も風も雲も、そして私もある。「生活に努力の陰もない他人」「悔しさを育てる風」「はぐれているだけの雲」という修飾の語句が相対化の表現として効いている作品だと思う。なによりも冒頭にある、 「快晴の心を持つ私」とある。 修飾の内容によってもちろん行間から発するものは変わる。しかし、修飾の表現形式を一定のルールとしてバランスを一切崩されていないところに、作者の筆力、作品の強度を感じ、好印象な散文詩。ただ、独りよがりな感と言っていいのだろうか。視野の狭さを感じ、そこに広がりが出てくれば、すごく興味深い作者さんに私のなかでなってゆくような、気がします。私の興味などどうでもよいことなんですけど。
0ん!! はう➰!!えへへ!! 批評ありがとう。 やっほー。何かそんな気がする。 少し勉強になったね。 雨ぞらならば、しず○く(ー〇)ちゃん。 反論なっしんぐ。 甘んじて受けるよ。♪~(・ε・ )
0言葉数は多いが、なにも表現していないに等しい。
0( ´∀`)ハハハ。コメントありがとう。 そう思うなら、そうかもね。 表現という言葉の意味を、君はご存知だろうか? 価値の有る文章だけが、表現だろうか? 少しキツい事を書くけどさ、 君の感想は、唯の自己顕示にも見える。
0