僕は坂道の少ない土地で生まれ育った
平野の面を吹く風は
そのまま僕の呼吸に入り
胸の中をめぐって息となり
また吹く風に帰って飛んで行った
生まれたときからずっと
僕はこの土地を所有している
全部僕のものだと思っている
この土地に生まれた人はみんな
この土地を所有して
全部自分のものだと思っている
みんながこう思っていることが
悪いことではなく
まったく争いを生まなかったほど
この土地に坂道は少なく
吹く風はみんなの呼吸に入り
胸の中をめぐって息となり
また吹く風に帰って飛んで行く
みんなが広い稲田の緑の演奏に恍惚となり
みんなが草野球の声を聞きながらまどろみ
みんなが同じ先生から学び
みんなが初恋を告げる季節を迎え
みんなが別々の方角に散って行ったけれども
この土地に生まれた人はみんな
今でもこの土地を所有していて
全部自分のものだと思っていて
ときどき帰って来ては
かつて聞いた広い稲田の緑の演奏に恍惚となり
草野球をする少年たちを眺め
年老いた先生に会いたくなり
初恋が決して色褪せないものであることを告げたくなり
でもこんな希望もかなわないまま
再びそれぞれの異郷に去って行く
作品データ
コメント数 : 13
P V 数 : 1573.6
お気に入り数: 2
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2021-11-08
コメント日時 2021-12-03
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:1573.6
2024/11/21 22時58分02秒現在
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かつて、山地から岐阜県側の濃尾平野、富山県の砺波平野を車で走って入った時に、一瞬にして心がぱっと開けたような体験をしたのを、この詩を読んで思い出していました。 ああ、こんなきれいな平野のある土地で暮らしたいなあって、その頃は心の底から思っていました。 美しい田園風景、涼やかな風に守られるように、作者を育んだ、その ”坂道の少ない土地” への、あなたの感謝と郷愁を知り、しみじみいたしました。
1争いの少ないことと坂道の少ない事。全部自分の物と言う考え方は共産主義的な思想ではないでしょうが、そういうものを想起させます、ですが、この詩ではもうちょっとほのぼのとしたもの。或いは土地の全面的な支配と言う意味での全部なのかもしれません。「この土地」ですね。自分の区画された土地の全部、全面的な支配。
2僕は同窓会に参加したことがないからわからないのだけど、参加していたらこんな気分になるのかなと考えてみました。 >そのまま僕の呼吸に入り >胸の中をめぐって息となり に違和感を感じました。ここは一行でまとめてもよかったのではないでしょうか。また、それにつづく >また吹く風に帰って飛んで行った の「また」は削った方が第三連の最終行が活きたかもしれません。 >この土地に生まれた人はみんな >この土地を所有して >全部自分のものだと思っている という場合の方が実際には衝突が起きやすいように思うのですがどうでしょう。意地悪な読み方をすれば年をとった語り手が過去のさまざまなごたごたを忘れたか忘れたくてか嘘をついて平穏無事であったと思いたいようにも読めます。言い換えればリアリティに欠けるところがあるように思います。ただ、語り手が時間の経過にどこかリアリティを感じられていないとしたらアリかも。 しみじみとした雰囲気のある作品ですが、表現として見直せばさらに引き締まるように思います。
1コメントありがとうございます。 えっと、YUMENOKENZIさんがコメントを下さったあとに、エイクピアさんと藤 一紀さんもコメントを下さっていて、朝出るまでに全部に返信できるか分からないのですが、書きます。私も、びーれびしろねこ社賞に応募したあと、ちょっと寝て今起きました。 YUMENOKENZIさん、コメントありがとうございます。誰しもこれまで育った限り、育った土地に何らかの思い(愛情でも憎悪でもあり得ます)を持っているものです。私の場合をこの作には書きました。幸いにして私の場合は愛情であるわけです。YUMENOKENZIさんにも心の中にこんな愛情を感じる土地があることと思います。私は上京してきた者で、なおのこと、郷愁にとらえられることが多いのかもしれませんが。YUMENOKENZIさんも、そんな気持ちを抱かせる土地のことを大切にして下さい。
1エイクピアさん、コメントありがとうございます。そうですね、共産主義などの思想を想起させるかもしれません。この作を書いたあとの時期から私はルソーの『社会契約論』をゆっくりと読みすすめているのですが、この書物のはじめのあたりを読むと、土地の所有権の議論から始まるのですよ。個人の土地所有は、主権者への忠誠を保証するというような。このような、個人の権利と公共への義務の結びつきに、今のところ私は共感している次第です。この重要な思想書は私などは読み違いを多々するでしょうけれど、個人のものであると同時にみんなのものであるという二重の契約ということになるでしょうか。どこか私が書いたところと共鳴するような感じがするのです。 こういう難しい議論によらなくても、私は感性的に、個人のものであることとみんなのものであることとを把握できると思って、この作を書きました。どこかほのぼのとしている感じに読んでいただければそれで十分かと思います。
0藤 一紀さん、コメントありがとうございます。思想というか、この作の下塗りとしてある思いはもうYUMENOKENZIさんとエイクピアさんへの返信に書いたと感じるので、参考にしていただくとして、ここでは表現とリアリティの問題が残っていますね。表現の方は、論じるには少し滋味に欠けて面白くないと思うので、飛ばして、リアリティの面に入ると、確かに故郷に嫌な思い出というものはありますが、現在異郷にあって現在進行形で体験しているつらい思いと較べると、過去に過ぎ去ったことであるためか、故郷での嫌な思い出は薄れて許しへと変化しているように思います。これを美化というとちょっと違うかなと思います。忘却とも違うんですよね。なんだろう、故郷を憎めないという、厳然とそこにある不可能性とでも言うべきものなのです。 あ、表現についてですが、確かに私はこの作の詩文を一個の不動のものとして定着させることができたとは思っておらず、書いている途中にも、書き終えた時にも、どこか不安定な、迷いとでも言うべきものがあったように感じます。確信、これに至るまで、作品の発表は控えるべきか、でもフローベールみたいに一字一句にこだわりぬいて書けば、私の場合、いつまでも完成しないかなぁ、とは思うところです。お読み下さりありがとうございました。
2お読み下さりありがとうございます。どうやって発想したかというモチーフを言いますと、今暮らしている場所(横浜なんですけどね)は、坂や階段や丘が多くて、いわば区分けが多いと感じて、故郷の平坦な土地に暮らしていたときと居住感覚が違うわけです。自分の心が、暮らす場所が変わって、変化したのは実際そうであると思います。この居住感覚の差異と心の変化に気づいて書きました。詩文のすべては、故郷での居住感覚の描写にあてています。 後半にかけ、前半と同じような言葉や、「同窓会」的な文が続いて、締まらず、くどかったかもしれません。 コメントありがとうございました。
0「グリーングリーン」の歌のような素朴な感じを受けました。コメント欄を読んでいたら違和感を読むべきで、僕がのんびりしすぎているのかもしれませんが。yasu.naさんその他の方の、詩への意識と見識が高くて、凄いなあと思いました。とても滑らかでいい詩だと、思ったのは確かです。
1コメントありがとうございます。この作には、問題意識も含めましたが、素朴さや感傷も含めて、半々といったところです。どちらにもあまりかたよることはなかったかなと、自分では思っています。難点も指摘されました。確かにみなさんの詩に対する眼識は高いですね。
1こんな故郷があればいいなと思いました。
1良い詩ですね。気持ちが伝わってくるような詩。リズムがあって読みやすいです。
1コメントありがとうございます。 きっと、田中宏輔さんにも、こんな故郷ありますよ。具体的な故郷ではなくても、今まで経てきた出来事の中に、良い意味で心の底に広がるようなものがあるのではないでしょうか。
0コメントありがとうございます。 気持ちだけは本当にこめました。昔、時々、友人から、「お前ってその歳ですでにノスタルジックだなぁ」と指摘されたこともありましたが。 リズムの方面も、気を配ったのは確かです。ちょっと書いた言葉の数が多かったかもしれませんが、気持ちよく読んでいただけたようで、良かったです。
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