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層雲
お月さんには口がない それが運の尽きだった 重なる田んぼの衣擦れに ぢくぢく西日が染みついた 明かりを灯して駆けまわる 涼風に追われて急いだ家路 こうもりばかり目で追った 上を向いて歩いてばかりだ さっきも線路に躓いた ヴエッ、ヴエッと名前を呼ぶのは 足のうらの蛙だった 洗濯、歯磨き、お手洗い 昨日できたことは今日、できているか なにゆえお前を見上げているか 憶えているのか。 昔よじ登った煙突が 今宵もぴしゃりとそそり立つ 月の撃鉄がはしごを鳴らす つたいつたう細波の如く とちの木の、さらに向こう 降りそそぐ重力体のひとつ またひとつを踏み拉けよと すそを引く柔肌のつぼみ野 お月さんよ あんた、あたしの黒目だ だから口がないのさ
層雲 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 863.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-12
コメント日時 2017-10-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
(もなか、ですます調やめるってよ) とても好きな作品。 読後の興奮のまま、簡単な鑑賞(あるいは感想)を書く。 景が次々と重ねられていき、最後に主観として落ちる。怪談の構造に近い作品だと思った。景の連なりを独特のリズムで送り、そのリズムを破壊していく。 読んていて快を覚えた。 個人的な好悪なのだが「立ち昇る身体感覚」が好きだ。 >足のうらの蛙だった 「ヴエッ、ヴエッと名前を呼ぶのは」からの流れ、聯を変えるのはあざとい感じもするが破調しているのでありだとは思う。 「ヴエッ、ヴエッ」という聴覚から「足のうら」に蛙がいることに気づく。その気づきによって描写にはない蛙を踏んだときの感触が想起される。「ヴェ」という音から「グニャ」や「グチャ」や「ヴェト」や「ヴィチ」など、濁点と拗音や小書きを使うような感触が立ち昇る。語弊はあるが詩的体験というのはこういったものを言うのではないかな、とも思う。 こういった身体に換喩的な表現を勝手に「立ち昇る身体感覚」と呼んでいるのだが改めてこの部分を読んで、秀逸と感じた。 第一連の「月」と「尽き」の掛詞は戯れ歌で使い尽くされた陳腐な表現だが、軽妙さと次連への興味喚起に成功している。 第2連が修辞が本当に素晴らしい。お手本にしたいくらいだ。 >重なる田んぼの衣擦れに 田園風景、見渡す限りの田んぼ、田んぼが衣摺れしているのではなくそこに何らかの動体が関与し衣擦れを掃除させている。見渡す限りのたんぼの景の中で、動く何かがあり、それは「田んぼ」という視覚的認識と「衣擦れ」という聴覚的、あるいは触覚的な認識を喚起し、この一文だけでも非凡だと思う。 >ぢくぢく西日の染み付いた 「ぢくぢく」の解釈は置くとして、「西日の染み付いた」は前行「衣擦れ」の「衣」にかかる。 「衣」の状態を表していると呼んだ。西日は赤く熱い。衣が赤に染まる様は血に染まるようで、それが「ぢくぢく」という描写にかかっている。傷を負ったかのような描写。再度「衣」にもどれば「衣擦れ」。衣擦れによってもたらされた傷口だ。「重なる田んぼ」を「次々と目の前に広がる田んぼ」と解釈すれば動体が「出血するほど」急いでいる、あるいは心理的な切迫感を感じているーーまるで何かから逃げるように、というふうにも読める。それは続く3行目4行目にもキレイに無駄なく引き継がれていくイメージの重層、まさに層雲だなぁと、何度読んでも惚れ惚れしてしまう。 このように、イメージを追っていくと字数ばかりが増えるので自重するが、坂多蛍子を読んでいるのような、ある種熱に浮かされた興奮があった。 他にも秀逸な点をあげるならば、第5連 >憶えているのか。 の「。」である。 前前行「できているか」前行「見上げているか」からの「か」止めにてリズムや音を整えてちょっとした破調「の」を挿入することで強調。さらには詩文中ここしかでてこない句点「。」が第1連初行の「お月さん」を再度登場させる伏線となっている。続く第6連に >月の撃鉄 と出ており、月=丸いもの(5連「。」で示唆されていたイメージ)が裏切られ、波状に月のイメージが強調される。 それが最終行 >だから口がないのさ に修練していくさまは見事としか言いようがない。撃鉄の形の月→三日月→黒目→にやりとした形に歪んだ口、本当に美しい連鎖だ。 (黒目=瞳孔、細い月のような瞳孔。ケモノのような瞳。怪談の手法を踏襲し、そこを最後俯瞰する。視点の移動や視線に捉えられたものの感傷的昇華が本当に素晴らしい) ささいなことではあるが、個人的に気になった点をひとつ。 第7連の初行 >とちの木の、さらに向こう は「さらに向こう」に「の」を付けて欲しかった。 「とちの木の、さらに向こうの」 この聯はきっと行揃えにこだわっているのだろうが、そのこだわりの価値はわたしには量れなかった。 それよりも音を重視したほうがよりこの素敵な作品の根幹に添えるのではないかと思った。 欲張らず、丁寧を磨くように詩作する、この作品に出会えてよかったと思いました。 こんな作品を書けるようになってみたいと嫉妬しました。笑 誤字脱字乱文失礼。
0もなかさま コメントをくださりありがとうございました。 「とちの木の、さらに向こう」 の末尾、まさに一字加えるかを推敲した箇所でした。 しかし六連七連を通して、イメージを出来るかぎり遠くへ広げていきたかった為、投げっ放しにしました。つけ足すと目測できる距離感に収まってしまう気がしたのです。 >欲張らず、丁寧を磨くように詩作する、この作品に出会えてよかったと思いました。 もったいないお言葉ですがありがたくいただき、糧にしてまいります。
0もなかさんの詳細かつ鋭敏な批評感想に、さらに何か付け加えることはあるのか?と読み直しつつ・・・ 一連目を、そいつが運の・・・とすると語数やリズムが揃うけれど、ここは文字数を揃えたかったのかな、とか・・・まあ、85のリズムも出てくるし、イレギュラーに揺れたりもしているから、厳密に音数を揃えようということではなく、もっと感覚的な(身体的な)心地よさを目指したのかな、と思います。57のリズムとは違って、86や75は歌謡や舞踊の、弾むような音感が、全体に生き生きとした情感を与えているように感じました。 二連目、題名の層雲が響いたのか、空から衣をひいて野を行く人影(空すべてを覆ってしまうほど大きな)を思いました。西日を照り返す、水を張った田んぼのきらめき。牛蛙の声、それを「踏む」白い足のイメージ・・・実際に踏んだというより、雲間から差す光が人のように野を駆けていく、その足取りに同化しているような、そんな歌い手の心象を感じました。 昨日できていたことが、今日も出来ているか?という問いかけ、軽く記されているけれど、重い問いだなと思いました。昨日の私と今日の私の連続性が、途切れている感覚。 鳥にも、けものにも区分しきれない曖昧な生き物ばかりを目でおってしまうのは、その時の「私」のどっちつかずの心象を反映しているように思われました。憶えているか?と(月に)問いかけても、答えはない(口がない、でも見ているコワサ) 昔っていつだろう。煙突で月まで登れた(夢想を自在に働かせることができた)頃のことかなあ? 過去の私と、今の私が、家路を急ぐ一瞬に邂逅した感じ。夜をもたらして去っていく夕焼け色の裾をひく空(天、あるいは時間)と出会ったとき、その「目」に、見られていると感じるときの感覚。 何か大きなものに出会った時間を感じました。
0まりもさま コメントをくださりありがとうございました。 リズムに関してはむずむずするような揺らぎを取り入れたいと考えています。 >昨日できていたことが、今日も出来ているか?という問いかけ、軽く記されているけれど、重い問いだなと思いました。昨日の私と今日の私の連続性が、途切れている感覚。 この箇所に言及してくださったことに感謝いたします。
0リズムよく流れていき蛙の後の洗濯、歯磨き、お手伝い、で現実に戻らされるような、父さんに叱られている感覚がしました。
05or6さま コメントありがとうございます。 遠くばかり見ている主人公の胸ぐらをつかんで、顔を近づける父の姿が浮かびました。新しい登場人物を見い出してもらえたこと嬉しく思います。
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