溺れる子供を助けたのは、その子に無関心なはずのオーディエンス。僕が一度も見たことのないinstagramは、正義でもなく嘘でもないコメントで溢れていた。
愛想のない不特定多数の期待に応えて、疲れ切って。騙されたのはきっと彼女でも僕でもなく、自由を持て余して怠惰なフリをした彼らの方だ。
快感なはずのイデオロギー、僕らを食い潰して、どこへ行くわけでもない豊かさを飲み込んだ。
多数決で決まらない矛盾した快楽も、
ワガママな空模様に振り回されて、
もう探せない一枚の写真に変わっていく。
深海魚がプールをぶち破って、僕と彼女を飲み込む夢を見た。水しぶきを上げて失踪したのは情緒の安定しないポップスターで、楽しげな顔をした僕でもなく、時間を持て余して退屈なフリをした彼らでもない。
Wi-Fiを超える速度で走り抜けたのは、形のない欲望。そいつがあちこちで衝突事故を起こしたのは別に彼女のせいでも、僕のせいでもないはず、だから。
身勝手な悲観論も一人きりの幸せも、いっときでも僕に居場所をくれたのなら、今さら煙たがらなくていい。
暴徒になる直前のオーディエンスから溢れた、言葉にならない欲求不満も、息巻いた願望も、
もう見つけられないポストの一つに変わっていく。
薄情な笑顔を見せた、昨日の自分に容赦なく中指を立てて、
勝った負けたと言っては、
何くわぬ顔で舞台の上から立ち去っていく。
世界中を一回りするアプリから消えたビリーは、地下鉄に乗りこむ僕といつかはすれ違う。
嫌いになりそうな街も、抱き寄せたはずの恋人も、
記憶にさえ残らない写真にもみ消されるのなら、
僕は、
僕は投げやりになるより誰かに手を差し伸べるつもり。
投げやりになるより、誰かに。
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 1726.6
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 72
作成日時 2021-10-07
コメント日時 2021-10-11
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 15 | 15 |
前衛性 | 20 | 20 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 5 | 5 |
技巧 | 10 | 10 |
音韻 | 5 | 5 |
構成 | 15 | 15 |
総合ポイント | 72 | 72 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 15 | 15 |
前衛性 | 20 | 20 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 5 | 5 |
技巧 | 10 | 10 |
音韻 | 5 | 5 |
構成 | 15 | 15 |
総合 | 72 | 72 |
閲覧指数:1726.6
2024/11/21 23時14分03秒現在
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意味がわからなかった。
0無責任に有名人の垂れ流す動画に群がり、コメントをしている不特定多数の何者かではなく、子どもを助けたひとのようになりたい、という意見表明的作品かな。 ビリー・アイリッシュで読み手のキャッチを狙ってたように思うのだけど、あんまり効果的でなかったきがしました。なくても成立する内容なので、あまり目立たせるよりは作中でビリー、と入れるぐらいの匂わせの方が程よいフレーバーだと思う。
0田中宏輔さん、コメントありがとうございます。意味が。それならば宏輔さんとこの詩は相性が悪かったのでしょう。過多な仄めかしと情報不足を感じられたのかもしれませんね。
0ほばさん、コメントありがとうございます。そう一まとめにされると元も子もないが、そういう感想を抱いたのなら別に止める必要もないなという印象ですね。ビリー・アイリッシュが無くても成立する。これは田中宏輔さんと真逆の解釈ですね。一方で意味がわからない、もう一方ではビリーだけでも成立する。人それぞれですね。僕自身はこの詩においては、キャッチを狙ったかどうかはともかく、タイトルが決まった時点で全体像が見えた。だからこのタイトルで正解、もしくは充分だったかと。
0ビリー・アイリッシュのInstagramとあったので、何があったのかな?と思い、エンタメ情報をググってみた。内容については読者の皆様にもご自分で見ていただくとして、その情報を把握したうえで本文を一読してみた。初見では、ニュースとの関連性が読み取れなかったが、何故か心地よく文章が身体の中を流れていく。最初はそれでいいと思った。すぐに意味が分かるような詩が私は個人的に苦手なので、「意味は分からないけど良い」というのが第一印象。しかし、この心地よさの理由を探りたくもう少し読んでみた。 まず「ビリー・アイリッシュのInstagram」というタイトル。話題になっていることを詩に盛り込むというのは、賛否両論あるので勇気がいることだ。きっと批判的な意見も出るのだろうと思った。それでもこの詩を投稿したのは、話者がこのニュースを通じて、今の世相、もしくはプライベート、もっともっと広い視野について深く深く考えたのではないかと考えると、この詩の伝えたいことが見えてくる気がする 主な登場人物は「ビリー・アイリッシュ」「僕」「オーディエンス」 これらの関係性に捉われすぎるとこの詩を読むことは少し難しくなる気がする。 目をつぶり、まず思い浮かぶのは水の世界。しかも浮き沈みの激しい、少し荒れた雰囲気の。 SNSだけの世界ではないようだ。リアルな日常、自分自身の中の葛藤、大切な人との関係、色々な繋がりの中で、時に不安定になってしまう少し悲しい場面を思い描く。 >溺れる子供を助けたのは、その子に無関心なはずのオーディエンス この詩を最後まで読むと、「オーディエンス」は悪者の象徴に感じるが、一方では誰かを助けていることもあるというのは、事実だ。現にニュースの通りに読み解くと、失われたという10万人のInstagramフォロワーは初期のビリー・アイリッシュをこよなく愛し、デビューしたばかりの彼女の救いになっていたはずだ。これを言ってしまうと「その子に無関心なはずの」という部分と矛盾してしまうが、SNSのコメントというのは、大してその人物について深く知らないのに、たった数行のニュースだけで全てを読み取ったようなコメントで賑わっているという現実がある。それがいい方向に向く場合は、「溺れた子供を助けた」ことになるだろう。逆もまたしかり。 第一連は、一世を風靡したビリー・アイリッシュの苦難だ。ここで面白いのが、「僕」の存在だ。彼女だけならまだわかるのだ。そこで感じた。これはビリー・アイリッシュのことだけを言っているのではないと。彼女は「僕」にとっての幼いころからの夢なのか、憧れなのか、とにかく何かしらの隠喩として用いられているのだとしたら、主人公は「僕」なのかもしれない。 第三連で印象深いのが >いっときでも僕に居場所をくれたのなら、今さら煙たがらなくていい。 人は、ひと時の安らぎや居場所を失った途端に、それらを嫌悪する傾向がある。その奥にあるのは怒りや悲しみなのだろうけど、それでも、その瞬間だけを切り取って綺麗に残しておくことができたらどれだけ幸せだろう。と感じた。 第三連は、先ほど水の浮き沈みについて書いたが、まさになにかが大きく揺らぎながらも、薄い薄い自分を守る膜が「何食わぬ顔」という表現で何とか爆発しそうな心情を覆っている印象。 第四連では、少しリアルな世界が見える。彼女は世界から消えたわけではない。彼女が僕の「夢や希望」の象徴であるのなら、「僕」は絶対に夢を諦めないという強い思いが伝わる。一時でも「僕」に灯した光を消したくない。だから投げやりにはならないで、「誰かに手を差し伸べる」という行為。これは「僕」の第一歩だ。独り殻に籠ることなく、外の世界と繋がりたい希望も感じる。 無関心なオーディエンスがSNS上で短いコメントで誰かを救うことがあるのなら、僕のこの一歩はとても大きい一歩だ。「僕」の夢が彼の努力で叶うことを信じたい。 あくまでも個人的な見解です。話者の思いとかけ離れている部分が多々あると思いますがご了承ください。
つつみさん、コメントありがとうございます。ここまで詳細に読み取ってくれて嬉しい限りです。今の世相とか、広い視野に立った物事について描きたかったというのはその通りで、つつみさんの読み取り方は僕が意図しているところをほぼ汲み取っている印象です。まだ自分でも把握していない大きな感情、テーマに臨むのは楽しいものですよね。この詩ではそれが出来ました。ありがとうございました。
1沙一さん、コメントありがとうございます。タイトルの評はまさにその通りで、今作の無常観とも響きあったのなら、砂浜に波が押し寄せては引いていく、そのような感興が読み手に伝わったようで嬉しいですね。 ビリー・アイリッシュのinstagramが、自己主張のために利用されているというご指摘ですが、そのような感想を抱いたのはビリーのinstagramのエピソードから飛躍しているという理由ですね。 僕もこの詩の内容がビリーのエピソードと乖離していると思う方がいらっしゃる、それも結構いらっしゃるとは考えます。ですがここでいや、違うんだ!と長文の弁明めいたものをレスレスするのはかなりナンセンスで、僕はこう一文書き添えるだけに留めます。沙一さん、僕はこの詩でビリーに親しい知人として手紙を書くことに成功したと思ってるんですよ。
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