既知が去っていく姿を眺めながら
せめても思い出だけは残すことを
大人になれば学ぶもんだと知った
もちろん良い方の記憶をだよ
色んな病名を名札代わりにして
これは出来ません、これは出来ますと
繰り返しなんとか受け入れて貰う
少なくともその努力をするのが仕事だ
テレビを見ていても
雑誌を見ていても
本を見ていても
遊園地に行っても
寿司を食っていても
扇風機に当たっていても
全然生きた心地がしないのは
本当はそのどれもが皆
健常者の為に作られたものだからだ
健常者の為の、健常者による、健常者の物だ
元気な人間だけが楽しくなれる
つまり、まあ、なんだ
受け入れるなんて夢だってことだ
君たちが思っている以上に
この乖離は冷たくて重い石くれさ
触れた所からそっくり熱を奪って
気が付けば何も感じなくなる
声を上げるにも何も思い付かない
自分自身さえ諦めても知らない
この世界は誰の物
最近そんなことを思いながら笑う
いつか君が突然「なぜ死ぬの?」と問いかけ
いつか君が突然「どこか痛くない?」と問いかけ
いつか君が突然「夜は寝れてる?」と問いかけ
いつか君が突然「給料はいくら?」と問いかけ
いつか君が突然「話を聞こうか?」と問いかけ
ああ、そうかと思ったんだ
作品データ
コメント数 : 14
P V 数 : 1844.6
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2021-10-01
コメント日時 2021-11-15
#現代詩
#ビーレビ杯不参加
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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閲覧指数:1844.6
2024/11/23 18時43分25秒現在
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冒頭1連に「本を見ていても」という行がありますが、 普通なら「本を読んでいても」となるとこを、 「見る」という言葉が当てられています。 この「読む⇔見る」のあいだに隔たっている 壁のようなもの、膜のようなもの、 もやのようなもの、闇のようなものに、 私たちは「ぜつぼう」を感じるのかもしれないと感じました。
0自分でわかっていて、受け止めている。勇気が湧いてきました。文章も面白かったです。
0見ることは出来ても、読めないという感覚は、 創作をしているととても悲しいです。 どんな状態だろうと、とりあえず書いておこうとしてしまう自分にも呆れます。 世の中にはきっと思った以上に色んな形のぜつぼうがあるんでしょう。 読んで下さって有難うございます。
0詩を書くというより、 「まあちょっと話聞いてってくれよ」という感じですみません。 笑い話程度に受け止めて貰えれば幸いです。 コメント有難うございます。
1軽い感じが良かったです、最後がいつか~なのも、でも最初はしっくり来ませんでした、、
0率直でいいと思います。書き方によっては、弱点について書くことは実はすごく強さで、ポジティブでいいことだと思います。私も病を持っていますが、健康な者と病者の分断は胸をふさぐものがあります。自分が健康な時は本で読んで知ったつもりでしたが、本当に知ることは無理でも、制度や認識が変われば社会は変わるはずです。時には肩の力を抜いて気を長く持ちましょうね。
0重苦しいのはつらいですからね。 ただでさえ背負って生きていかなきゃいけない業がある(笑) 本当に、どう向き合っていくのが一番良いのか考えなきゃいけません。 今日明日に答えを出しちゃいけない、時間が必要だと思います。 書き出し、少しもたついてましたか。
0動物的な感覚がこれは自分とは異質なものだと、 触れた途端にはっきりと判断してしまっているから、 それが付き合えば時間だけひしひしと沁みてくるという。 どうあっても埋められない溝、あるいは壁だと。 それでもこうして交流の糸口を紡ごうとするのは、悪くない試みだと思っています。 和解する必要はないんです、が相互理解が変化には必要。 コメントありがとうございます。より良く住み分けられる方向へ進めば良い。 作者はと個人的にそう願っています。
1少しでも同じ経験をして生きて来たなら、もっとあなたの詩がわかったのだろうか...と思った。 「幸せの国」ではすぐ隣に幽霊がいたことも、「初恋の日」で、"ふざけた茶番を本気だと信じる為の儀式をする"とうたい、ここでは、普通に過ぎてく日々において、いつしか抱えてしまっている空虚、ぜつぼうをうたった ... 見えなかった月の影の部分に、自分は今やっと気付いたなんて! ぼうっとして読んでたのが恥ずかしい。 あらためて、「幸せの国」の最終連の言葉が、胸に迫る! >幽霊はもう死んだけど >君は生きていくんだね >忘れないでほしい >ふたりで春を迎えた日に >心から笑った思い出を >ずっと大好きだったよ 詩人 yatukaといえば私は、きっとこの連を想う。 夕べ見た半月の柔らかな光を思い出しました。大切にしたい詩です。 あれ? 3作品にまたがったコメントになってしまいましたねww
0直截するにはちょっと(言葉に対して)特殊なじゃれ方してるので、 分かられたり、理解されたりなんてしたら、 逆に申し訳なってしまう鼠畜生のyatukaです。 「幸せの国」最終連は書き手としては冥途の土産です。 重ね続けた小さいいさかいや、傷付け合った記憶を、 全ていいことに変換する弔いの儀式なのです。お幸せに、と。 三作もまたがって読んで下さって有難うございます!詩って、読み手の方のほうが遥かに詩に詳しいですよね。何故。
1あの連は、冥途の土産なんですね! そのようにうたわれた"君"が幸せであったのと... それから、言葉を手向けた作者の深い優しさにも心打たれます。
0しんどくてダサい駄作を読みこんで下さって有難うございます。 倫理、誠実、正当性。技巧の全てが中途半端に機能してないんですよね。 独り言から洗練されていない。気になる所等あればまた是非どうぞご指摘下さい。 善処します。
1こんばんは。 あなたもまた、ご自分にそのように鞭打ちながら書く詩人だったんですね! 頭が下がります! ここビーレビにはそんな作家様が多くいらっしゃいますね。 あらゆる世代、様々な状況にある人たちが、一つの詩に出会い、その言葉を見たときの感想は千差万別です。 現代詩を好み、それに誠実に向き合う人の詩文は、表現といい、技巧といい、本当に巧いなあっていつも思っています。 しかしながら偏屈な私は、技巧より何よりも先に、詩人の本音、本心、魂の叫びを、その詩から見いだしたい、出会いたい。 あなたの詩にはそれがあった! 何にも感じないで、私はコメントしない。 今後も詩を読んでいきますね!
0良い詩ですね。ただ、ぜつぼうは終わり、ではないような気がする。ぜつぼう→死、の間に何かあるような気がする。それは人それぞれ違うような気がする。
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