別枠表示
自動更新
突然 アップデートしていく 自動更新で どんどん僕が リニューアルする わかるものを呼び止めて これ大丈夫ですかね? と 聴いたら 大丈夫大丈夫 ほとんど変わんないからって言われて ひとまず安堵する ほとんど変わらないのに なぜ 更新する必要があるんだろう まったく 面倒で 妙な 時代が来たもんだ そんなことを思っている間にも なにかの完了に向かって バロメーターは動いている 全ての更新が終われば すこしは身軽になれるかな スムーズに 動く僕を想像しても なんにもならなかった ほとんど 変わらない 出来上がった自分に たまに訪れる自動更新が むなしい 僕は まだまだ 変われると信じているのに 安堵した自分を 少し 睨んでいる 更新完了のお知らせが とても 明るく胸に響いてくる
自動更新 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 795.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-09
コメント日時 2017-10-22
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「突然/アップデートしていく/自動更新で/どんどん僕が/リニューアルする」の出だしがとても魅力的でした。使ってるスマホやアプリがいつも自分の意志とは無関係にどんどんアプデされていく感覚を思い出します。もしその感覚と自分自身の(人間としての?)「アップデート」を重ねようとする試みだとするなら、その発想はとても面白いと思ったのですが、「自分自身のアップデート」とつなぎ合わせることに縛られてしまって、勝手にアップデートされていくあのなんともいえない(いらいらでもないし、かといって特段嬉しいわけでもない)不思議な感覚を表現することの面白さがいささか犠牲になってしまっているように感じました(そんな意図はないといわれればそれまでなのですが...)。「自分自身のアップデートとは?」みたいな人生の教訓に対する思索的なものを思い切って切り捨てて、より感覚的な部分にフォーカスしたほうが詩としてはより面白くなったのではないかと感じます。感想として、完全に自分の好みの問題なのですが、徐々にでいいからさんの以前の作品を思い出しながら、感覚的な部分を、説明的にならず、より鋭くコンパクトにまとめる力量がある方なのでは、、と感じていたので、そういったものをもっと読みたいというワガママな気持ちがあるのかもしれません。
0〈わかるものを呼び止めて これ大丈夫ですかね? と 聴いたら 大丈夫大丈夫 ほとんど変わんないからって言われて ひとまず安堵する〉 このあたりのユーモアと、 〈ほとんど変わらないのに なぜ 更新する必要があるんだろう〉 この感慨による「受け」の部分が、とてもいいと思いました。 その後、少し冗漫な感じになる、印象があるのですが・・・ 更新する必要があるんだろう、この後、一気に〈全ての更新が終われば〉にスピーディーに持って行ってもいいかもしれない、と思いました。 変わりたい、という願望と、変わりたくない、という願望。変化への憧れと、不安。 そうした揺れを、「自動更新」のアナロジーとして「発見」したことが、きっとこの詩の種なのだと思います。 変ってしまう自分、変わらない自分、その差ってなんだろう・・・どこが変わって、どこが変わらないんだろう。 カチカチ動きながら、その終了を待っている時の不安のような、期待のような、焦燥のようなもの・・・ それと同じような「感じ」を、ご自身の身体、に感じた瞬間って、今までにありましたか?あったら、その時のことを(具体的な事例として、書いて下さい、ということではないですが)聞きたい、と思いました。
0この更新がどういうペースで、そして、何より何が更新されるのかという疑問が置きます。いや、それは「僕が」更新されているのです。 面白いのは、「わかるものを呼び止めて」この更新される様を確認する描写です。この誰かは、あたかも更新のことを自明の理として、大丈夫大丈夫と答えるのですが、更新を気にする僕と更新を当たり前だと思うわかるものとの対比。わかるものは、一体何者なのだろうか。 でも、僕が抱く疑問というのは、何が更新するのかということではなく、更新がなぜ必要であるのかということ。そんな時代が来たものだと、ひとまず受け入れるのですが、抗えない更新は、なにかの完了、得体のしれない方向へと向かっていきます。 それでも、何が変わったのかという自覚は訪れることはありません。それでも、更新され続けていく。「僕は/まだまだ/変われると信じているのに」と語っているのは、僕の微かな欲望が垣間見られるような気がします。変わりたいと思う欲望、もしくは、何か目標に向かって変わろうとしている姿勢。 それでも、時代のせいにしつつ、抗えず、僕とは無関係に訪れる自動更新は、ただひたすらにマイペースに更新され続け、「とても/明るく胸に響いてくる」という僕の思いとは無関係な機械仕掛けの作用が不気味でありつつ、この詩を読んだ読者もまた得体のしれない自動更新が訪れてしまうのでしょうか。
0めまぐるしく変化する時代の流れ。その速さには追いつくのにも苦労します。 わたしくらいの年齢になれば、もう追いかけるのも諦めるようになりますね。 ひょっとしたら間違っているのでは?そんなこと、いまの若い世代の人たちにもあるでしょうね。 共有化された情報は素早く世界を駆け廻る時代です。少し眼を休めていればあっという間に情報から離されてゆく。わけのわからないうちにどんどん自動更新されてしまう。常に新しい情報を追い求めていれば気は休めない。一人置いていかれるのではないかと、不安になるからです。まるで受験勉強のようですね。嫌だな。 そのようなニーズに応えようとしている社会を風刺しているとも読める。新しい情報とは、それが共有されない者にとっては逆に不安感を急き立てることにもなりかねない。 新鮮な捉えかたですね。若い世代の不安感が読み取れて、わたしにはいい勉強になります。
0みなさんのコメント有り難いです。ビーレビュー、毎月投稿させていただいてますが、なかなかコメント返しまで、落ち着いてお返しが出来ずいつも恐縮です。 自動更新。あまり推敲しなかったのが一番の失敗点ですが、ビーレビューでは、これからも、日常で普通に感じることから発想して投稿していきたいと思います。 自分の場合、いまのところ、一本調子で自分が詩を書く姿、書いていく姿勢と、詩にしたい発想をダブらせてるんですね。自動更新は、書いても書いても、たいして徐々にでいいからかわんねえな(笑)という。 そろそろ、今までの調子では書けなくなってきました。良い意味と捉えて、さらに精進したいです。
0