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あの緑色
あの緑色 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1179.2
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2021-09-15
コメント日時 2021-09-16
項目 | 全期間(2025/04/10現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
yasu.na様 何か得も言われない情感が迫ってきました。 少年の頃に見た、見えたというその緑色の体験は、風景や形などではなく色彩であると ... ただ内面世界の鼓動を聞いていたと ... 少年の心を掴んで離さなかった、その緑色の世界が、いかに優しくあたたかいものであったのか、ただ想像するばかりです。
1ごく小さいころ,まだ文字が読めなかったときに漫画を眺めていたことを思い出しました。それは今の私が外国語を見る感覚とは全く違っていて,そもそも文字という概念が分かっていなかった感覚,形容できないものを見る感覚です。この感覚を詩で表現したいとは思いつつ,土台言葉で表現することに矛盾があるわけで,そういうふうに「僕」に共感を抱きました。「僕」が見たセザンヌの緑についてももっと知りたいと思いました。
1コメントありがとうございます。 子どもはその感覚機能も子どもらしく未成熟ですね。私には子どもの感覚機能の特徴はものの形より先に、色や音や風を感じることだと思われます。体験からそう思うのです。形から自由であるのです。 まやかし、輪郭のないもの、曖昧なもの、ぼんやりしたもの、こういったものにも色彩だけはあるように思われます。 私は時々、大人の感覚機能を脱ぎ捨てて、子どものそれを取り戻すことができます。誰でもできると思います。一人になって、体の力をぬいて、呼吸を静かにして、視神経を弛緩させると、ものの形は遠退き、色彩だけに身を包まれるようです。 私は少年時代を緑豊かな土地で過ごしたので、緑色が心の、と言うか、目の奥のあたりに、拭いがたく染みついているのでしょう。
1お読み下さりありがとうございます。 子どもの感覚を追体験する方法はYUMENOKENZIさんへの返信コメントに書いたようなものです。 特に変なことではないのでご安心下さい。 そうですね、誰でも子どもの頃の感覚を思い出すことがあるようです。詩に表現すると、今回のような作品になりました。何かしら伝わり、ささらさんも子どもの頃の感覚を思い出すことができたようです。言葉ではないものを何かにして伝える、人間ができることの一つです。チャレンジングなことですが。 子どもの感覚ということで、シューマンやチャイコフスキーのピアノ曲の小品のことを私は思い出したりもします。 セザンヌ。この偉大な画家へはさまざまなアプローチができます。皮肉なのか、「形」が主たるアプローチであることは否定できませんが、私はこの画家の描く緑色の比類のない透明さが、素直に好きです。その緑色は、私の中に染みついている緑色にとても似ているのです。中学3年の時に出会いました。ぜひ鑑賞してみて下さい。
2yasu.na様 コメントにご返事をくださりありがとうございます。 ささら様への返信も同時に読ませていただきました。 yasu.na様の目の奥に染み付いた緑色の透明さ ... それは、中学三年のある時から、今に至るまでずっと、まさに自分だけの、かけがえのない宝物となっているんですね! 私も一人静かに自分の憧れの色を、自分の中に見出すときがあるんです。深い青で 、やはりとても透明で ... 私自身の心の色でありたいと願っています。 yasu.na様、今作でも、とても丁寧に詩の世界を案内してくださりありがとうございました。 YUMENOKENZI
1若い頃、緑色マニアでした。緑色にも階調があり、鬱を孕むものや、毒を感じるもの、癒し、森など、いろいろとありますね。正直で真摯な語り掛けが漠然とした色について語ることを補強し、一連の出だしがいいです。セザンヌの緑というと健康的できれいな緑、と言う感じでしょうか。
1お読み下さりありがとうございます。 私も高校1年の頃、セザンヌのような絵が描きたくて、何か描いていました。地方の町に暮らしていたのですが、品揃えの良い画材店が一軒あって、よく通い、買い物をしていました。特に、色鉛筆と水彩画の絵の具を買っていたのですが、水彩絵の具は緑色のものをたくさん買っていました。本当に、緑色と言ってもたくさんの緑色があります。贅沢ですよね。ブランドは「ホルバイン」と言ったかな、間違っていたらすみません。 セザンヌの絵画の緑色は、とにかく透きとおっていて、微風さえ感じるくらいで、観ると自分がその中に溶け入ってしまうように感じるものです。憧れて、真似事をしていたのです。絵の具にお金をかければセザンヌのように描けるわけでもないのに。 次第に絵画を描くことからは離れて、文学の方面に向かいました。でもセザンヌの絵画には特別な思いを持ち続けています。 少し前、岩波文庫で『セザンヌ』というタイトルの本が復刊されていました。売り切れちゃったかも。でも、私は読まなくてもいいのです。この胸に、私のセザンヌがいるから。
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