子供の頃、料理の上手な母は
月桂樹の葉を入れて美味しいミートソースを
黒い大きな中華鍋で煮た
キッチンに立つ女を後ろからちょっかいをかける父が
今では男女だったことを理解させて切ない
その中華鍋はボロボロになって
大切な妖怪おじいさんみたいだった
父は古めかしい太麺のケチャップ炒めのナポリタンが大好物だった
バブル期、和風やらシラス大葉やら、スープスパゲティと
亜流のモノが溢れていた
存在はぱちぱちと火花し、人には大いに選ぶ権利があった
ペペロンチーノはおしゃれワードだったなんておかしいね
時は流れ物事は平凡化し、時に風化する
サイゼリアは500円ランチをやっていて偉い
昔のアジア旅行を想えば物価が安ければ大きな不幸が減り
幸福が人の中であちこちに立ち昇るだろう
イカ墨スパゲティは人と一緒に食べるとお歯黒になってしまうけど好きだ
今日は仕事の前に路上生活の歯の黒いおじさんに千円をあげた
疲れ切って今、冷凍のスパゲティをチンしたところだ
少女だった頃を思い出す
スパゲティがうまく発音できなくて、スカベティ!スカベティ!と言っていた
父が大喜びしていた
おまえはかわいくてたまらない
我が子ほどかわいい子はいない
そう言っていたらしい
生涯、無頼で家に金を入れない父だったけれど、
ながらく憎みに憎んだけど、
全く親がいない人よりはいいのかな
悲しみを身籠り、いつの日か愛を産むのだ、
今はその準備期間なのだ、
そんな風に歯を食いしばるのもいい
だから君の悲しみを
形見分けのようにすこし、私の胸に吐露してもいいよ
生パスタが食べられない、とか
ニョッキにふられた、とか
ファルファッレがあざ笑う、とか
フェットチーネが生意気だ、とか
リングイネが仲間に入れてくれない、とか
喰らわん、喰らわん、喰らわん、
喰えない奴はいるけど、
始まりの呪文は
喰らわん、喰らわん、喰らわん、と三回…
だってあの小麦粉は蒼い麦だったのだもの
作品データ
コメント数 : 11
P V 数 : 1689.7
お気に入り数: 4
投票数 : 3
ポイント数 : 7
作成日時 2021-09-10
コメント日時 2021-09-20
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 4 | 4 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 7 | 7 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1.3 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.7 | 0 |
エンタメ | 0.3 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2.3 | 2 |
閲覧指数:1689.7
2024/11/21 23時25分01秒現在
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スパゲティ一つでここまで文章が膨らみ、さらに面白いのが、羨ましいです。僕は昔から長い文章が全く書けないので。『だから君の悲しみを形見分けのようにすこし、私の胸に吐露してもいいよ』ここの温かみが大好きです。こんなショボいコメントすみません。
1いえいえ、ご丁寧に書いてくださりありがとうございます。孤独を括って詩を書いていると、心がうんざりと悩みで横溢して腐ってくることもあるので、おしゃべりで、TLのみなさんに普遍なお話をしてなごみたいなぁ、と思って書いて見ました。孤独や人生の餓え、不満だけが詩を書かせるのではなく、夢や希望も書けないと、読む人が苦しくなりがちだと思うんです。
0「生涯、無頼で家に金を入れない父だったけれど、 ながらく憎みに憎んだけど、 全く親がいない人よりはいいのかな」 この一節が、心に残りました。 私も、父に対しては、 家に金入れない、ほぼ家にいない、早死にしたうえに借金まで残しくさると、 いろいろ思うことはあるんですが、 それでも、私と父だけが共有している思い出なんぞもあり、 まあ、それ以上でもそれ以下でもないのだな、と思うことがあります。 スパゲティをテーマにこんなに深い感情を描けるんですね。 とても素敵な詩でした。
0わあ、そうですか、さすがネットですね。同じような方と出会うことはまれです。そういう経験は人を孤立させて、若い頃に自立するのにかなり障害でした。お判りでしょうが家族の愛憎はもっと深いのですけど、何度も書いていまして、そこからなかなか逃れられないもので、今回はさらっとかきました。ありがとうございます。
1まるで古いフランス映画を見てるようでした。 いたいけな少女のささやかな幸せと哀愁が、"スパゲッティ" のタイトルに凝縮され、ユニークで、非常に繊細な表現に魅せらました! 最終節には、"喰らわん" の呪文とともに、あらゆる種類のパスタがこれでもかというぐらい押し寄せて来たのですが... これは何かの比喩だったのでしょうか ...
0ありがとうございます。パスタを人の性質に喩えたんですよ。いろんな種類の個性的な人間はいるけれど、みな人間だ、それはつまり、もとは小麦の原料で、青い麦だ、人は蒼い麦に似ているなぁ、というところからの連想で遊び心で書いて見ました。人間は孤独だと自分を妖怪のように感じたり、もう幽霊だ、とか、酷い物と心を重ねたりすることから、そこを揺り戻ししてみたのです。読んでくださりありがとうございます。古いフランス映画だなんて、驚きの嬉しいお言葉です。
1湖湖さん こんにちは。 あのパスタたちは、人の性質の喩えだったんですね! なんて面白い!! ... だとすれば、自分も含め周囲の仲間が、このうちのどのパスタなんかなあって想像すると... ああすごく楽しいです! あらためて読み返すと、"蒼い麦" という言葉が、深く印象に残ります。 湖湖さん、ご返事くださりありがとうございました。
1この詩にしてもそうだが、詩を書く時、真実や事実を内心に重んじてきた気がするが、それは重要ではないことなのだろうか。まったくの事実無根な創作でもいいはずだが、でもそういう風に自分語りのようなものを書いてはいけないような、書くことの線引き、詩と自分との関係性、また、社会で公の場で顔を持つことと詩人になることが重なるとき、文責や書くことの怖さ、皆さんどう思ってらっしゃるのだろうか。
0面白い作品でした! スパゲティー美味しかったです。 ごちそうさまでした!!
0毎度アリ!
0詩は欺瞞的であろうが美辞麗句を書け、とは言わないけれど、悪い意味で真実一路なのか?他者の目に自分の不幸や苦しみを消化して書くのではなく、憂さや怒りや怨嗟や悪意をどうしても書きたい場合は気を付けて落としどころに有用さを持ち込むなり、書き方に気を付けなければ、単なる自己の美しくない感情の垂れ流しになってしまう。コロナ禍で苦しい人は多いはずだが、若者ゆえの悩みや孤独などもふくめ、苦しさや孤独自体に対する共感は人としてあっても、爛れた生活の怨嗟的心を読まされるのはたまったものではない。詩を作品として啓上する以上は書き手はそういう内容は日記にでもつけて、詩と区別すべきに思うんだけど。文章がうまくても腐った心を書いている人が多すぎてうんざりすることがある。詩を書く、ということにたいする敬意とか節度、他人に読んでいただく文章に対する配慮、あると思うんだけどな。皆さんどう思われますか。
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