別枠表示
ある終末の一ページ
誰かがいってた 神様が気まぐれに描かれた空のことを 青空というって ──覚えてる? 雨が降り続いていた 僕たちふたりの世界が ただ一度だけ その青空になった日のことを ──覚えてる? 日々の冷たい雨に打たれて いつも泣いていた君が その青空に初めて笑顔になれた日のことを ──覚えてる? もしかしたら二度目の神様の気まぐれが なぜかそこにあるような気がして ふたりで世界の終末にたどり着けた日のことを そして 世界が終わる その瞬間 僕は君にこう尋ねた ──覚えてる? あの日の青空を、って 君の最期が またあの日のような 笑顔であることを祈りながら
ある終末の一ページ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 857.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-04
コメント日時 2017-10-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
青空---神様が気まぐれに描かれた空のこと とても新鮮でユニークな表現で、感心しました。私の詩や短歌でも、青空は よくその中に存在していますが、なかなかそれ自体の面白い表現は困難で、 できませんでした。この表現を参考にして、私もいろいろ試してみたいと思い ました。この表現によって、この詩のような展開が可能となっており、いかに 重要なものであるかを知る事ができます。青空を主役にして、ここまで美しく 創られた詩は、これまでなかったような気がします。そう言えば私も、つい最近 創った短歌の中で、**青空の国のパスポート**という表現を使いました。 渡り鳥 どこでもゆける パスポート 青空の国 翼の住人
0stさん おはようございます。 読んで下さって、どうもありがとうございます。 おおっ! stさんの新作の短歌も、鳥、青空、翼、と僕が大好きな表現がいっぱいですねー 今、早朝に爽やかな朝を迎えたくて、stさんの短歌「夏の浜辺」を読ませていただきました。 やっぱり、鳥や青空はきれいで広くて人間には手の届きにくい存在なので、 どこか切なくて儚げで。 そういうところが、ぶわっと、人間の芸術表現の源泉になるのかもしれませんね。 「青空の国のパスポート」、希望も感じると同時に、どこか異世界への旅立ちも感じる表現で、 美しく儚げで、かっこいいですね。 「神様が気まぐれに描かれた空」=「青空」という表現は、 最初は「神が気紛れに描いた空」って表現してたのですが、 ちょっと表現が硬過ぎるのと、それと神への尊敬の気持ちを少し不気味にユニークに表現したいと思ったので、 「神様が気まぐれに描かれた空」って書き直しました。 でもでも、僕は無宗教なんですよ。(笑) 詩に少し不気味さを出したい時なんかに、僕はよく神様の表現をしてみます。 短歌では、やっぱ、塚本邦雄さんがその神の表現の上手い人って感じがします。 僕も、stさんと同じで様々な芸術から自らの詩の手法を取り入れていきますね。 stさん、どうもありがとうございます。
0この詩ほど美しくはないですが、同じ心象風景としての 青空を表現してみました。 **** 青空の住所は君の中 **** さびしかった つらかった いつも一人だった ぼくのこころのなかは いつも くもりぞら ときどき冷たいあめがふり 大風が荒れ狂う きみとの出逢いがなかったら ぼくは 闇の中で息絶えていた きみはいつも ぼくのこころに 青空をとどけてくれる 青空の住所は君の中さ わすれないでほしい きみなしでは生きられないことを
0おはようございます。 週末は、こちちらは快晴の空でした。 空気の綺麗な山の谷間で友人と 木の実を拾ったりしました。 辛いことも話をしたのですが、快晴の空を見ると 晴れ渡る心地でした。 友人は詩を書く人ではないのですが、 「トミカタウンのような空だとは おもわない?」と言いました。 ほんとうに 澄み渡っている日の空は、だれかが 作ったかのように感じられるものだなあと つくづく思いました。 だれかって 人間にできることではありませんから、神様かもしれません。 この世が終わったことはないにも関わらす、 それでも人は 世界の終末を 確かに、しっている気がします。それは懐かしい宇宙と接する瞬間かもしれません。 ひとりひとりの人の人生の終わり方は、さまざまです。平穏な終わり方をするとは限らない。 けれど、だれもに通じる空を見ることができることが ほんとうの幸せなのかもしれないなー。と、思いました。
0stさん こんにちは。 大切な感性を分けて下さり、どうもありがとうございます。 stさんの青空の心象風景、とても興味深く、個性的でぜひぜひ吸収させていただきます。 「青空の住所は君の中」、大切な人の心の中に、ご自身の心の支えを感じておられるのが心を打たれます。 題名から、一行一行、大切に読ませていただいては、そうですよね、そうですよね、って独り言を言いながら stさんの詩に共感させていただいています。 僕も、きみなしでは生きられないという親友が7人いまして、つい5日ほど前に4時間ほど電話で芸術について、 その親友に話を聴いてもらってました。 7人とも、いつも僕の話相手なんですけどね。 大切な親友たちです。 やっぱり「青空の住所は君の中」でも表現されておられる、かけがえのない大切な人がいるのは、とても幸せですよ。 stさんも今の都会に染まっておられない純粋な感性を大切に芸術(詩・短歌)活動をされて下さいね。 stさん、どうもありがとうございます。
0るるりらさん こんにちは。 読んで下さって、どうもありがとうございます。 やっぱり、きれいな広島の空は気持ちが良いですか? 大切なお友達と良いお時間を過ごされましたね。 良かった。 神様が本当におられるかどうかはとても難しいことですよね。 でもやっぱり、日々、何かの存在に大切に見守られている気がしますし、 ほんのたまにですが、どうしても奇跡としか言いようのない出来事も起きますよね。 そうですよね、確かに、懐かしい宇宙があって、そんな広大なものを通して、 世界の終末や終焉を感じられて。 そうですよね、一人一人の人が人生の物語を持たれていて、青空(希望や光)までの距離が 人それぞれに違って。 でも、るるりらさんが言って下さるように、みんなに平等に与えられている幸せってのが、きっとあって。 いつかこの世界を去る瞬間に、自分はこの世界でちょっとしたきれいな小石を拾えたって、 そんな風に思える人生を過ごせたら良いなと思ってるんですけどね。 るるりらさん、どうもありがとうございます。
0