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アラバマ物語
犬はそれを見て「アラバマ」と言いました。 逃げる事のなかった自らの証として 、 むかしむかしあるとこ ろにおじいさんとおば あさんとおばあさんが すんでいました。(水 蒸気爆発)おじいさん はやまへしばかりぬお ばあさんとおばあさん はかわにへせんたくにいきま てし アラバマ と言いました。 全て購入の意志があります。 (出身地:奈良県) その種は今から30年も前にある人物から頂いたもので、 何かの生き物の頭骨を縦横十字におよそ飛行機のように両の手を広げる形に並べてあり まるで アマラバ、と ー アラバラマラバ と、 眠る前に起きた 何かがぼおぼおと燃えている それを見ている窓、 「おおよその犬はアラバマです」 二階の磨り硝子が赤々と 襲うように舐めるように、隣の平屋の女の子 手製のアイスクリームを抱え ( 現大丸店勤務) 昼間 思い出した。 むかしむかし おにはおじいさんのとなりにすんでいました おにはいぬをかっていました おじいさんは ふたごでした ああなんというたべかたでしょう おたがいさしだされたものをなかよくわけあって みぎてはひだりてに ひだりのあしは ながいちょうのまうえに みしらぬくにをおもうアラバマ おまえはそこにゆくのだよ おにはだまってうなずきました そのめにはもものたねがひとつだけ うつっていました その場所が 既に海であ る事を宣言 します
アラバマ物語 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2468.9
お気に入り数: 2
投票数 : 6
ポイント数 : 127
作成日時 2021-07-03
コメント日時 2021-08-02
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 35 | 0 |
前衛性 | 30 | 0 |
可読性 | 1 | 0 |
エンタメ | 1 | 0 |
技巧 | 35 | 5 |
音韻 | 15 | 0 |
構成 | 10 | 0 |
総合ポイント | 127 | 5 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 5.8 | 1 |
前衛性 | 5 | 3 |
可読性 | 0.2 | 0 |
エンタメ | 0.2 | 0 |
技巧 | 5.8 | 2.5 |
音韻 | 2.5 | 0.5 |
構成 | 1.7 | 1 |
総合 | 21.2 | 12 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
最高です。 無意味で無意義で無作法、行間の白紙に惹かれる。無秩序な羅列が切り傷に押し込まれる。だんだん侵食されていく。アラバマ物語とは何か。知らぬままただ行間の白紙に目を吸われる。何もわからない。これが非常に特異で最高品質の「詩」だという事だけが分かる。詩とは何か。何なのか。何でもないのかもしれない。でも本作品は詩だと思った。別にいつでもどこでも何であってもいいが、いつでもどこでも詩の名を持つべき美しき詩だ。詩は美しい。 (高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」の、美しき無秩序の文体を思い出します。無秩序でありながら、5次元では整然と美しいような。) 素晴らしいものを読みました。ありがとうございます。
0強いね。自我がないのが強いよ。クソみたいに「私」を垂れ流すのが多いけれど、これはおとぎばなしのような語り口調で、限りなく「私」を殺している。もううんざりだからなぁ。「私の個人的見解!」とか「私の哲学!」とか。これ、最高よ〜。
0非常にすきです。これほど抒情的な神秘性の高い、つまり詩の未開の域を広げている(と感じさせる)詩、という意味での現代詩はなかなか見受けられないと思います。不勉強なので、実際にそうなのかは知識的にはわからないのですが。 自分を語るのではなく物語を語りつつ、物語に独自の世界を感じます。私は小笠原鳥類さんの詩が好きですが、彼の詩を少し想起しました。現代詩人の中でも特に独自の世界を持つ詩人だと認識していますが、彼の世界の強度の高さに似たものを感じました。 神秘性が高い詩(引いては創作全般)に深く惹かれます。「これって、人間が書いたのか?」と思うような詩。それは、私が感じる中では、一番強い種類の詩情を持つものかも知れません。
0コメントありがとうございます。意図して意味を消すのではなく、意図してないように見せて意味をなくそうとしたかったのです。個人的にどういった反応があるのか知りたかったという、極めてプライベートな実験です。書き手だからこそわかる失敗したかな?という部分も幾つかありますが、おそらく深読みしてもしなくてもどちらにも何らかの読後感を与えたいとは思ってました。その部分に関しては読み取られてしまわれたみたいですね。ただあまり評価されますとこういったお年寄りはつけあがりますので程ほどに。推薦文もありがとうございます。
0コメントありがとうございます。詩とは何か、それを知りたくて投稿したようなものです。詩で無いものは意識して作り出せるのか?それは無意識なものとはどう違うのか?その境界線には何があるのか?検証しきれてない部分はありますが、得るものはありました。普段はこういった外見の作品を書くのは稀ですが、土台となる部分は全く同じです。外壁を崩すのではなく、内側から崩壊させたいと思っているのです。
1コメントありがとうございます。逆に限りなく「私」という形にしないで「私」をぶち込んだ、とも言えますね。なぜならこれは実験的な意味合いが非常に強いので、今日一日だけは絶対家から一歩も出ないみたいな、紛れもなく「私」があってこそ出来る強力な「反私」だったりするんです。まあ屁理屈なんですけどね。
0コメントありがとうございます。小笠原鳥類さんは知りませんでした。機会があったら読んでみます。そもそもこれは詩なのか?という問いから始まって、ひょっとしてこれは何かの間違いではないか?という領域にまで行っていただけたら嬉しいです。ビーレビ杯不参加の方に敢えて投稿しなかったのもそのためです。異質なものは美しい。その美しさはどうやったら捕まえられるのか、わかりませんけど何らかのヒントを得られた気もします。
0はじめまして! すごいなぁとすなおにおもいました。 こんなに優しい暖かい文体の中に創造力がにじみ出ていてとても羨ましく思いました
0とても澄んだ情景と時間、余韻(曖昧ですみません)さまざまなもの。を感じました。うまく表現できないけれど、とても素晴らしい作品だと思います。
0コメントありがとうございます。この詩に関してではありませんが、普段から優しい言葉の中にどれだけの強さを込められるかというのを考えてまして、在り来たりな表現の中にどれだけ在り来たりじゃないものを込められるか、とか、捻くれてるんでしょうね。。
0コメントありがとうございます。人間はそもそも綺麗な生き方など出来ません。ただ役目を坦々とこなすだけです。詩ももしかしたら同じなのかもしれません。まだ旅の途上にいるようです。
1昔語りの話調に紛れ込んだ「水爆-原子爆弾」。 その齟齬から一挙に日本民族の起源心象史へと往還してゆくかのような筆致に、固唾を飲み、驚嘆を致しました。 「ぼおぼおと燃えている」のは空襲の町でしょうか。 「おに」と「おじいさん」が双児であること(出雲と大和の様に)、 共食いの果に、 「おに」は一切のシニフィエを剥奪された「アラバマ」へと赴く様に語られ、そしてそこが「既に海である事」(海という比喩も、絶妙です。) と結ばれて終る。 まるで野田秀樹史の「赤鬼」や「パンドラの鐘」、「桜の森の満開の下」に繋がる様な問題意識、寓意が込められていらっしゃる様で、 只、興奮し、腰が抜けました。 (*上記の解釈は、一個人としての精神錯乱者の感想です。) 素晴しく上質な作品を披露して下さりまして、心より、感嘆の念を覚える事も頻りでございます。
0海であることを宣言するのは海の領有宣言でしょうか。シーランド公国を思い出しました。
0コメントありがとうございます。そこまでフリーダムに考察されてしまいましたらもうそういうことにするしかないので、ああそうですよ、よくわかりましたね、なんて顔しながら冷や汗びっしょりかくことにします。書いた本人が一番わかってないのは世の常として。
0コメントありがとうございます。海は海である事を宣言されることで海としての存在が初めて認められると考えた人がいるみたいです。海としてもその方が幸せなのだろうということなのでしょう。シーランド公国、wiki読んだけど面白い。素敵です。
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