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夢の鳥は、
鳥になりたかったので鳥になった、飛ぶことに飽きたから、枕で寝るようになった、夢を見るようになったから、羽でペンを作って言葉を綴った、枕が濡れているのは雨のせいだから、まだ夢にいることが許された、ぼくは、言葉で飛ぶことは怖いと知ったあなたを抱いて、黒く、細い鳥から守ることを祈りと呼んだ、羽がないから、あなたは鳥になりたかった鳥だった、羽がない光が、西へ飛んでいったから、ぼくたちは言葉を綴れない夜をおやすみと呼んだ、そうして、双子の枕になって、夢の中で透明な線に抱かれました、長い時が、とおり過ぎました、 もう、だいじょうぶでした。
夢の鳥は、 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1630.3
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 5
作成日時 2021-06-26
コメント日時 2021-07-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 5 | 5 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 5 | 5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
自己模倣に陥るのを防ぐ。沙一さんのコメントになるほどってなりました。 私はこの作品、一読してあまりよろしくない評をコメント書いて消したんですね。そのコメントがなんか違うなって気がして。たしかに本作は悪くないんですよね。悪くないとは、多数の詩書きの方々が良い評をされるように思うんです。読解をすれば、僕とあなたが鳥への同化を通した存命するための繋がりの概念が垣間見える、などとも評せる。けれども、ビーレビ的な場末の飲み屋で、お互いの作品について交わし合う空間では、自己模倣は最も指摘すべきことに思え、でも、いつまでも変わらないってのがあってもいいでしょう的な反感を発して欲しいと作者に求めていたりもする。
1沙一さん、みうらさん、コメントをありがとうございます。話題が近いのでまとめてお返事というか、私の感想などを書いてみます。少々長くなりましたが。 私は創作物の質にかなりムラがあるタイプで、再現性が技術論的に獲得できず、「感性だけでやってたらたまたま7が揃っていいものができたけど、もう再現できない」になりがちです。 今までは概ね「瞬間こそが永遠だから、瞬間を残せれば、いいんだ」というような意識で創作全般をやってきたのですが、先月の『花火』は特にその偶然性が強く、とても恵まれた機会を得たので、そろそろ創作に対する考え方を変えるべき時かなと思わなくもないです。 詩に限らず、私の創作物はつい自閉的になりがちですが、たまにちゃんと他者に評価してもらえるような、開けた成果物が出てくる時があります。なので、『花火』文体はなんとか再現性を獲得することを目指したくなりました。 結果、『夢の鳥は、』は花火に比べると多分7割程度の出来になる気がするのですが、私としては ・『花火』文体の再現性がある程度とれた ・詩としてのよさも最低限のハードルは越した と感じていて、個人的な目標は達成した気がしています。もちろん、これは勝手な書き手の事情や目標の話で、読み手は「自己模倣かつ前よりは劣る」と感じる人もいるかと思います。というか、そこは言ってみれば私と同意見です。 実は別の文体(行詩?)の挑戦は最近していて、今作とどちらを投稿するかかなり悩みました。でも一回、苦心した『花火』文体の再現力(自己模倣力)を試したかったので、こちらにしました。 沙一さんの、「自己模倣を防ぐためにも、一回詩集を作るくらいこの文体を書き切る」ということにも興味がありますし、みうらさんが言及したように、新しい文体に行くルートもあると思いますが、現状、「上手く自己模倣するかしないかを選べる人」ではなく「まだまだ上手く選べないし書けない人」だと認識しているので、その課題を含め、これからの方向はもう少し時間をかけて考えたい気がします。 沙一さん、また叙情性についてなど褒めていただき、ありがとうございました。うれしいです。 みうらさんも沙一さんのコメントに呼応するような正直な洞察をありがとうございました。とりいそぎ返信でした。
1上のコメントで、話題が近しいという理由でお二人にまとめて返信したので、こちらのコメントはみうらさんへの通知のためとなります。よろしくお願いいたします。
0cold fishさん、コメントをありがとうございます。 たしかに、なにが「だいじょうぶ」なんでしょうね?本質的な質問なのでつい興味深くなってしまいました。私は正解のある日本語が下手だから詩を書いている節があるタイプなので、自分から出てきた言葉に正解がないことに慣れているのですが、改めて言及されると不思議ですね。 (ちなみに私は、「解釈しないで味わう」も含め、解釈は読み手の数だけあっていいと思っています)。 簡単な言葉や漢字が多いのは多分、部分的に説明できます。詩歴がまだ短くてカッコつけたがりなので、無駄に難解だったり自閉的な言葉使いを避けた文体を、少なくとも今作では気をつけているからですね。まだまだ未熟な証だと思います。 ご感想ありがとうございました。
0一寸僕には良さ?が分かりませんでした。何となく詩的な表現とフレーズ、着想、そしイメージの飛躍が行われているのは分かりますが、この繊細さにいつまでも溺れていようとは思わない、うっとりしていようとは思わない、ある種の忌避感のようなものが作品を読んでいて僕には芽生えました。「夜壊れそうな二人が寄り添うことで 長い夜が明けました 大丈夫でした」以上のものを感じるには僕がロジカルになりすぎたのかもしれません。
1素顔さん、コメントありがとうございます。 イメージの連接、跳躍はずっと大事にしているのでご評価うれしいです。実際のところは私は、自分語りが多発したり、表面的に技巧的に見せてカッコつけようという傾向が強い自覚があります。 なので、それをすごく気をつけたことが、一人の読み手に対するよい結果になったならよかったです。気負ってないです!と見せるために気負っているわけですね。変な感じですが。 清冽、という言葉は初めて聞きましたが、好きな意味でうれしかったです。ありがとうございました。
0コメントありがとうございます。 上のコメント群にもありましたが、私はロジカルだったり社会的な日本語(むしろ言語そのものかもしれません)が極端に不得意でして、それがずっと苦しくて詩を書いてみたタイプです。類型としては小さくない群れだと思います。 おそらくstereotype2085さんはロジカルな思考や受け取りが得意なタイプで、わりと私たちは両端的なのかもしれません。なので私の詩を読んだときに「忌避感」と称された感覚が生ずるのも変な話ではないと思います。 が、私が気になったのは、それが「好み」の話なのか?「質」も関わる話なのか? あるいは、 「この固有の作品に対し、固有の忌避感を覚えたのか」 「このような作品を読んでいる最中の、自分の感覚に忌避感を覚えたのか」 だいだいこのようなことでした。きっと、例えばの話ですが、私は「感性が違うタイプであり、好みではなかった、違和感があった」というパターンというものに対して、「そうですよね」ということで終わってしまうという理由で退屈を感じてしまい、理由を深掘りしたくなるのかもしれません。 私は批評(もしくはフィードバック)を受けるのが好きで、とてもありがたいことだと思っているので、私の詩が高評価なのか低評価なのかより、たぶん生の理由や「その人(ロジカルな人、以上の)」が見えると嬉しいのだと思います。書き終わってちょっと生意気な感じになってしまったかもしれませんが、純粋にそう感じました。すみません。とりいそぎ、お返事でした。
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