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焼肉
肉が焼かれている 肉が焼かれている 次々に 肉が焼かれている 鳥に啄まれるのを鳥葬と言うのなら 人に焼かれ食べられていくのを 人葬と言うべきなのだろうか 生きていたことを忘れ去られた肉が おいしそうな香りを上げて 炭火の上にいる かわいく生まれ育ち 愛嬌のある顔で肥育され 今 目の前に 幸せな時はあったのか どのような姿だったのか 知る由もない 自分もまた 火に焼かれいつしか 火に焼かれ 忘れ去られていく 「自らの為に他を害してはならない」 それでもこの体は 肉を欲している 生と死が繰り返されるこの身 いつしか死が占める時まで 誰かの死を望んでいる 大きな関係の中では 焼かれている彼らこそが 自分なのだ 合掌 いただきます 肉を焼いていく 肉を焼いていく 次々に 肉を
焼肉 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1459.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 2
作成日時 2021-06-20
コメント日時 2021-07-10
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 1 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
そういえば書き忘れてました。 >「自らの為に他を害してはならない」 この箇所は原始仏典ウダーナヴァルガ、及びサンユッタニカーヤにある一文からの引用になります。
0こんにちは。 焼肉というたいとるかタイトルに釣られてきました。 内容は仏教の死生観といいますか、倫理観といいますか、仏教的要素があり、面白かったです。 〈大きな関係の中では 焼かれている彼らこそが 自分なのだ〉 これについてはもっと自分でも掘り下げていこうと思いました。ありがとうございました。
0正直、あまり出来が良くないと感じていた作品に感想を下さり、感謝です。 〈大きな関係の中では 焼かれている彼らこそが 自分なのだ〉 正法眼蔵入門を読んでいて、そのような記述があり、また華厳経や古代ローマの哲人皇帝マルクスの残した言葉にもそれに近い内容があるのを思い出し、書きました。 また、今の仕事が肉牛の子供の世話なのも大きいです。 この箇所をさらに掘り下げ、何らかの作品に昇華できましたら、拝見したいです。
0いのちについてもう一度考えさせてもらいました
0ここが自分の矛盾点なんですよね。 仏教に惹かれ、救われたところがあるのに、明らかに反している事をしているのは否めないので。 ただ、この仕事が自分にとっては楽しく、また今の社会においては肉を食べることと共に畜産が必要とされているのも事実です。 体質的にヴィーガンになれない人もいるようですし。 では仏教をどうしたいのか、という問いですが。 ただそこにいてほしい、というのが正直なところ。 今まで通りそのままでいてほしいのです。自分がどうこうできる権利はないです。 法然上人は遊女に「その仕事を辞めることができるのなら辞めなさい。しかし辞める事ができないのであれば、南無阿弥陀仏と唱えなさい」と言いました。 自分も仏教に反している点があるこの仕事を辞めれません。多くの人にとってもきっと良いとされる仕事ですし。 ある程度の必要悪を許容してもらい、一人の在家として導き手であってほしいと思っています。 これで答えになるかはわかりません。 在家の人間が快楽を味わうのは釈迦も否定はしていなかったはずです。 一人の在家の人間の行為として納得していただけたらなと思います。
0そう感じていただけたら幸いです。
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