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あなたにとって死にがいとは
毎日死にたがっていた君との時間を共にするうち いつしか私も死にたがるようになっていて 「死にたい」と口にする事の至極甘美な味に触れ 世界に向かって「生きたい」と嘯く媚態を覚え やがて夢を見る事さえをも忘れるようになり 現実から目を背けている間 人とは別種の夢を見るようになり 「活き活きと生きられますように」と励ましながら そう生きる事の罪深さに無自覚だったはずも無く 「ありがとう」と返された事を嬉しく思う一方で その言葉に一抹の嘘が含まれていた事に ほとんど気付かなかったふりをして 全ての夜明けが幻だったと信じ続けた君の目が とても綺麗だったと思う自分の汚らわしさに やがて愛想が尽きて「寂しい」と思うようになり けれどこれを口にするのは醜い事だと知っていたから 「おやすみなさい」とだけ静かな声で伝えて眠り 全ては真昼の夢だったのだと認識する癖がつき ただし「おはよう」と口ずさむ挙動は結局 もともと敵だった彼らに対する迎合でしかないと分かっていたから また暗闇の中で再会できる事それだけを心待ちにして今を生き そんな日々が5年も続いて私の顔は青白くなり 何かを食べる事でしか自分が存在できないのだと嫌々ながら理解して 私は綺麗な私である事を諦めて 君にそれとなく目で突き放すような合図を送り 「君たち」という名の群れへ帰して 安心している自分など 死んでしまえばいいと思った
あなたにとって死にがいとは ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 887.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-26
コメント日時 2017-09-29
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは。 詩の内容はかなり深刻なのですが、各連の終わりの言葉が 「いて」「覚え」「なり」「して」「つき」「して」「して」とまるで途切れることのない呼吸のようで、 僕にはその主人公の独白にどこか不思議なユーモアも感じられるんです。 最終連で初めて「思った」って完結するのがとても印象的です。 その途切れることのない語りは優れた詩の技術だと思うし、 それを隠し味のように使われているのがとても興味深い詩です。
0森田拓也さま 丁寧な鑑賞&コメント、ありがとうございます。 おっしゃる通り、最後の最後まで、言い切りの形を避けるような書き方をしました。これは多分、三島由紀夫の<イカロス>という詩(『太陽と鉄』、中公文庫、115~119ページに収録)が、自分の頭に蟠っていたからだと思います。同作も、(作品の途中途中で何度か言い切りの形が挟まれますが)一つ一つのセンテンスが冗長で、読んでいると呼吸の疲れを感じるような類の詩です。 もしも今回の作品に或る種のユーモアを感じてくださったなら、それは(三島と自分を同一化するわけじゃありませんが)憂鬱と表裏一体のユーモアが、私の中にも存在する為だろうと思います。私、(痛々しいもの書いてるなぁ……)と思いつつ書いていて、これを投稿する事に多少の躊躇いが無かったわけじゃないので、「痛々しさ」以外の要素を見出してくださった事を、素朴に嬉しく思います。 最後に余談ではありますが、「途切れることのない語り」を、純粋なユーモアとして表現する事に成功している作品として、(詩ではなく小説ですが)保坂和志『季節の記憶』(中公文庫)をご紹介させて頂きます。
0花緒さま はじめまして。丁寧なご高評、ありがとうございます。 前作、併せて目を留めてくださったのですね。 本作は、自分の中にわだかまる情念を裁断し、理性によって捻じ伏せる意図で書きました。……なので、情の威力を維持する方向で推敲する事は、難しいように思われます。 ただ、推敲の余地があるのは事実だろうと思います。もっと自分の言葉を大事にしながら書けていれば、ある点において、今よりもクオリティの高い詩になっていたかもしれません(ただ、そうする事は――現実的な意味において――危険であるような気もしています)。 二つ前の段落で、私は「情感」ではなく「情念」という言葉を使いました。「独特な情感」の籠もった詩として最初に思いつくのは、田村隆一の「帰途」ですが……ああいう書き方ができれば良いなぁとも思います。もしも今後機会があれば、情に力点を置く方向で、書いてみます。 タイトルは、ほぼフィーリングで決めています。何か、読者の心に残るものがあるならば、私としては幸甚です。
0生きるということは死ぬリスクを内包しているという当たり前なことを、本作を読んで思い出した。死ぬリスクは時に他者の姿をして現れたりする。死にたい、死にたいときかされるほどに、自分自身にある死ぬリスクを思い出す。だから、死なないで欲しいと他者に願うのは、自身が持つ死ぬリスクの回避であり、あるいは、死なないで欲しいのは、自身が発する言葉が持つ希望なのだろう。死なないで欲しい言葉。作者はもしかしたら、言葉よ死なないでと、誰よりも言葉に希望を持っている人なのかもしれない。そんなことを思った。
0三浦果実さま なんだか、誘導するような事を書いてしまって、申し訳なかったです。 コメント、ありがとうございます。 うろ覚えですが、ジャンケレヴィッチという哲学者が、死を「一人称的な死」「二人称的な死」「三人称的な死」……と三つに分けて考えている。……そんな趣旨の記事を、どこかで読んだような気がします。もう何年も前の事です。 三浦さまのコメントを拝読した時、不覚にも涙ぐんでしまいました。これまで言葉にラブコールを送り続けて、良かったなぁと思いました。 しかしながら、言葉の延命を願う以上、人は社会で生きられない。なんて皮肉な世の中でしょうね。
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