わからないので橋になった
日が水を背負って
人を背負って歩いていく
ひとは私を上沓、下沓、沓座とよび
その上にかけられた木や土、鉄の上をあるく
家路か旅路か欄干を鳥が遊び歩いて
手を繋ぎ歩くひとびと、馬が繋がれて
牛の背中を追って荷が運ばれていけば
糞が、花が臭い、恋慕のため息が泥む
運ばれていくひとも牛馬もかわりなく
わからない、私と裏腹に彼らはあるく
いずこかへ、私はまた支承とも呼ばれ
やがて排気ガスが臭い
時間が伸びたり縮んだり
町はデコボコ、橋から誰か
飛び降りた落日もあった
ただ背負い続けて溢れるように忘れても
川は遡上する鱗にきらめいて
夜を孤独になく虫の声を聴き
蠢く月たちを見上げて流れる
日が水を背負って
また人を背負って
歩き、つづるのを
背中に
感じ続けた
幾年も幾年も幾年も
億年の彼方にひとの姿もなく
やがて橋も朽ち後には虫の声
玲瓏と、川の流れに棹差して
支承と呼ばれていたものが川を裂いている
それはもうどこにも行く必要などないのだ
作品データ
コメント数 : 10
P V 数 : 1852.3
お気に入り数: 2
投票数 : 1
ポイント数 : 3
作成日時 2021-06-01
コメント日時 2021-06-13
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 3 | 3 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3 | 3 |
閲覧指数:1852.3
2024/11/21 22時44分06秒現在
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拝読しました。コメント失礼します。 「日が水を背負って」「沓(支承)」になるというのは言葉遊び感がありつつ、「背負う」という橋の存在を暗示していて良いと思いました。 第1詩句「わからないので橋になった」の何がわからなくて、なぜ橋になったのかがわかりにくいですが、おそらくは第11詩句「わからない、私と裏腹に彼らはあるく」と対応していて、どこへ行けばいいかがわかっている「彼ら」と「(どこへ行けばいいかが)わからない」「私」なのかと思って読みました。 基本的には時系列的にならんでおり、橋が朽ち、あとに残った支承までを含めて一連の「橋の一生」という風に読めます。橋の上で起こる出来事を比喩的に表現する上手さは詩歴によるものだろうなと思いつつ、「ただ背負い続けて溢れるように忘れても」の詩句は記憶の蓄積と忘却にともなう悲哀をうまく表していて良いと思いました。 この詩自体に欠点は見受けられないのですが、あえて何か言うとしたら、何を書くかについてはさらに練ることができる気がしました。本作は橋の時間を描写したものですが、そこからさらに進んで背負うということが意味するもの(なぜ橋を「(腹ではなく)背」と感じたのか、他の意味――責任を負う、負債など――を含む重層的な「負う」とはなにか)を問うこともできたのではないかと思います。この作者であれば、描写的な美しさと同時に、問うていくことの美しさ(美しさ、という言葉自体に陳腐なものを感じつつあえて使います)も追求できるような気がしました。
1わからないけど、これでいいような、気がしました。
1細部まで眼を通して頂きありがたく思います。&さんが提案してくださった問うていくことの美しさ、これは非常に大事なことだと認識しています。背負うこと、ひとつとってもそれに対する思考がまだ深められる作品であるのと、構造的な単調さを視点を工夫することや時系列を組み立て直すと言った方法でまだまだ洗練出来るのかもしれません。以前、拙作で座ったまま木になりかけている男を書きました。少し違うのですが、僕は足を止めて何かを考えつくさないと駄目なのかもしれません。そういった事をまとめている最中でして、&さんへの回答としてnoteにでも公開したいと思っています。
0このままでいいのかもしれない。語り手は誰かを彼岸に接続する橋となれたのだし。跪いて橋として時を超えてある。悪くはないが、まだ先があるようには思います。
0背中への触覚、嗅覚が印象的な形で表現されていると思いました。日が背負っているものを間接的に感じる形ですが。悠久の時。時間の柔軟さ。支承とは何かと思いました。支えか。支えを承るのは大変だと思いました。
0エイクピアさん、時間というものはのびたり縮んだりするようですね。今、読み返していて気付いたのですが橋が朽ちた後、人間なら死んだ後になるのか、を書いていて、死後について語れるのは人だけなんだろうか?ということや僕らは語らない死者と対話できるのか?など考えてしまいました。すみません、話がずれていきました。支え、承ると考えると気づかないうちにこの作中の橋になった人は何かを受け取っていたのかもしれません。
0帆場さんってはじめから独特な人だと思って敬遠していたけど、この詩はかなり好きですね。まず、先取りして、この詩の内容を言うならば「わからないので橋になった」というので済んでしまうと言ってしまいましょう。ただ、これは既に一文目で示されているから、よってその後の全ての文は一文目の展開として読まれる。その展開を、この作者の場合、素朴な言葉と現代詩の技術でやっていくので、こなれ感が出ている。そこに「恋慕」とか「わからない」とかいうとっつき易い判断を散らしているのもポイント高いですが、書きすぎることはしない。日常ではちょっと見ない橋の建築の用語を使っていても、書きすぎないのでそのまま読める。ボクとしては傑作と言いたい。投票します。
0現代詩を書いている人たちが独特に僕には思えますが、相手からみたら僕もそんなもんかもしれません。橋になった主体はただわからないままに人々やまちの変化を観ています。近づき過ぎず遠過ぎず、橋として。コメントありがとうございます。
0橋は色々な事を考え、思っているのだと、感慨深く拝見させて頂きました。 最後の、背中に感じ続けた、の下りで橋は重さを全て受け止めているのだと思うと、鳥肌が立ちました。良い詩をありがとうございます。
0こんばんは。色んな橋がありまして、それにもよるなぁ、とか散歩したり橋を渡る時にごちゃごちゃ考えたりしますね。台風になるとわざと流れちゃう橋とか、橋にもキャラがあんのかなと考えてみたり。
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