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噛み殺しっ
おはよう、ねえ、きみのひどく眠そうな顔に移ってしまう前に、わたしのあくびを噛み殺してあげる、そんな奇妙を親切と呼んではばからないきみの、野良猫のような感性の果てで、風に犯されることを厭わない吹き抜けの家が並んでいる、ここでは、小さな銃は違法だと思う、だってさ、怒られるという現象って、怒られることで学習するよね。 カラス、あるいは監視の群れとしての一般論が押し寄せてきて、きみの手の中の林檎は押し殺した声で泣いてしまった、その模様に鮮やかな赤い雨垂れを見出すきみの、だれもたどり着けなかった海辺に描かれた水彩画のような感性を、銃に六個詰め込んで欲しい、ねえ、この吹き抜けの壁は、そうして寄せては返す反響を抱え込んだんだ。 足音という死語と 小さな地震のような 膜を澄ますべき音律に 集中する三半規管 神さまは、善悪のシーソーゲームの管理者で、きれいな波の音をイヤホンで聴きながらぼくを撃った、ぼくは、ぼくを悪魔の子だと証明できない、天使の子は、輪っかで首を吊れない、だからさ、あくびを真っ先に噛み殺してくれるやさしさで、屋根の一つでも買って欲しいよ、親切の発露で買える物のあまりの多さに気づくという偉大な人間性は、神さまに教え込まれました。 そうして、比喩という人類の、抵抗、感傷、涙模様…林檎の巣が愛を交わして、新たな比喩を作っています、ねえ、もう心臓がない人が、記念写真を撮ってくれるって、いまも呑気に林檎を頭に乗せてみせる、ぼくのためにあらゆる必然を、原則を、笑いながら噛み殺す人。 紙袋は上等品で 左手の親指の裂傷が 悪気もなく善を増やして 神さまは一人泣きながら舐めていた
噛み殺しっ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1731.2
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2021-06-01
コメント日時 2021-06-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「ねえ」と語りかけているのにかかわらず、言葉がかたくって、合っていないと感じました。
1真ん中の4行詩だけでかなりイケてるとおもうんですね。現代詩的には。 四行詩前後のモノローグが、どうでしょう、、私的には物語が付加された状態に読めてしまい。モノローグって聴かれてる感読まれている感が増すほどに、モノローグから乖離されてゆくようで、私的にはですが、心地よい印象は残らないですね。それを喩えるならば、自分の詩を演技しながら発表される空間の心地悪さです。 確か、アメニモマケズはメモ書きでしかなかったと聞いたことありますが、本来モノローグってそんなものじゃないかと思うんですよね。 てきとうに走り書きしちゃったら、なんかいい感じ、まあ外にでも放り出しとくから、みんな暇だったら読んでくださいなっていうので、詩なんていいように思う。でもそれ、簡単に出来そうで出来ないすよね。
1コメントありがとうございます。 たしかに、こちらから柔らかく語りかけているのにも関わらず、基本的な言葉が固いものだったら、読み手としては「いや、合ってないな」と感じて当然なのかもしれません。 中和のような効果を期待してそのように書いたような気もするのですが、逆効果になったのかもしれません。フィードバックをありがとうございました。今後の参考にさせていただきます。
0みうらさん、コメントありがとうございます。 今作は勢いで、4月くらいに書いたものを衝動的に投稿してしまったことがまず大反省でした。自分の詩を客観的に見るのは時間だけじゃなく訓練がいるなあと改めて思います。 勉強に『雨ニモマケズ』を読んできたんですけど、比べて私の詩の、少なくともある種のパターンの書き方は「わかって欲しい」「私を主人公にした物語詩を読んで欲しい」という自我が前のめりになっていて、これは読者を居心地悪くさせるだろうなあ…という感じがしました。ご指摘のとおりかと思います。走り書きが詩になったり、自我の臭みを消し切れるくらいの技術を持っている人なら、それをモチーフに書けばいいんですけどね。 最近の救いは、自分の詩は他人にちゃんと読んでもらうための訓練や意識づけをまだまだ経ていないので、基本的には「ぼくぼくわたしわたし」が前のめりになりがちなことをようやく自己反省しはじめたことでしょうか。そういう意味では、途中の四行詩はよかったのかもしれません。 少しずつ解脱の道を目指していきたいものです。ご批評ありがとうございました。
0個人的な話、あささんの作品が好みです。理由が説明出来ればいいのですが、淀みがなくて引っ掛からないというか、すっとしています。矛盾や妙だった所もあるのでしょうが、私は気付きませんでした(笑)
1ネンさん、コメントありがとうございます。 今作は個人的に自分語りが走りすぎたな〜って思ったりするんですけど、もちろん私も書き手でありつつ、読み手の一人でしかないので、誰かが代わりに評価してくれるのはとてもうれしいことですね。 まだ詩作歴が短いので、いろんな文体に変わっていく(変わってしまう)と思いますが、また気に入っていただける作品が書けたらうれしいなと思います。ご投票もありがとうございました。
0読んだそばから言葉がその意味と一緒に抜け落ちていく感覚があるのと同時に、感情だけは肉声を伴ってその痕跡をしっかり残しながら、お互いに干渉しあってうねりを作り出していく様は、まるでまったく意味が分からない外国語の音のなかになにか痛切なものを感じ取ったような瞬間に似ていて、しばらく何度か読み返してみたりしたのでした。文体においても、意味においても、たどたどしさと流暢さが混ぜこぜになっている感じって無条件に胸に刺さりますね。 前半はどちらかというと視覚に作用するような抽象的な美しさがあるように感じられるのに対し、後半は「神さま」とか善悪とか「愛」とか、なんだろう、そういうはっきりとした意味を持ちやすい言葉が多い分、ちょっとうるさく感じられて個人的にはあまり好きにはなれなかったのですが、それでも前半は本当に綺麗だな、と思いました。
1survofさん、丁寧な批評をありがとうございます。 今作は自分語りが過ぎたな、という感じの印象だったのですが、たしかに久々に読み返してみると、前半は以前より好ましく読めました。前半部分に関しては、「そのような感想がいただけるような詩になっていたら本当にうれしい」というような感想で、大変ありがたく受け取っています。私は一般的な日本語が上手くないので詩を書いている節があるタイプなので、とてもうれしい内容でした。 問題は後半なのですが、前半はわりと「詩」として書けているのに、後半は「自分語り」と「前半の詩の説明(書き手の解釈)」が多分に混ざっているのが心地よくない気がしました。「わかってほしい」という気持ちが先行して、意味の通じやすい言葉が多くなったり、必死に身の上を説明しているというか…うるさいという印象はかなりあると思います。 好ましい部分、好ましくない部分を両方きちんと説明して頂ける機会は少ないと思うので、大変貴重なフィードバックが頂けてうれしいです。今後の滋養にします。ありがとうございました。
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