別枠表示
月とペンギン
産まれたばかりの月が、冷えた表情をしている。この先の、凍みた光を発する日々を、青い目に反映させて。その、誰も素手で触ったことのない肌が、冷静を装っている。私の故郷について、語らないでほしい。僕らの氷像についてのデッサンを、描き直さないでほしい。 均整な結晶が 手の中で崩れる 俺は、俺は 流氷の上でペンギンを焼く 君はその、分厚いジャケットを右肩から脱いで、燃える煙草はもう、雪溶けでしけてしまった。行きつけのしけた喫茶店までの道中、お寺だか神社だかの軒先の標語が、市民的な善意のアクロバットによって禁煙を推奨している。 僕は、神でも仏でもなく、市井の一人として、地についた姿勢で唾を吐いていた。俺より少し低い標高にある目を、決して離さなかったペンギンの、酷く健康にいい皮下脂肪の末路。 底冷えは底をつき 禁煙家のペンギンは 月の光と交わり 人差し指が生まれる 廻り続ける、という 限りない善意を汲んで 全ての十一月生まれに祈ろう みんなで、次の月になろう
月とペンギン ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1583.0
お気に入り数: 3
投票数 : 2
ポイント数 : 9
作成日時 2021-04-17
コメント日時 2021-04-21
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 9 | 9 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.5 | 1.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1.5 | 1.5 |
音韻 | 0.5 | 0.5 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 4.5 | 4.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
安定感がすごく好きです。
0ネンさん お読みいただきありがとうございます。安定感がある、というような感想は初めていただきましたので、少し意外でした。 私は意味や構造?の跳躍がある詩が比較的好きなのだと思いますが、投稿に際して、ある程度まとまりや安定があるように推敲し直したので、そのせいかもしれません。ご評価ありがとうございます。うれしいです。
0沙一さんへ コメントをありがとうございます。私はどうしても感覚的に詩を書くタイプなので、鋭い洞察にたじろぎました。とても嬉しいことです。 (示唆に富んでいたので、お返事が長くなってしまいました)。 (氷像って暖かな季節になったらとけてしまうじゃないですか。失われて、もう戻らないものについてのデッサンは、思い出と比喩的に重なります。雪や氷のイメージから、故郷は雪国でもあるのかなと思いました。) →冬と雪って地域によっては、まさに世界を致死的に覆い尽くすものなのですが、そのまま溶けて、みんな全部なくなっていて欲しいのかもしれませんね。私の人生のテーマの大きな一つは(受動的かもしれませんが)「喪失」だと思っていて、思い出すらも大切なものや特別なものを除いて、例外ではありません。その辺りの個人性は、詩に頻繁に出てくるように思います。 御察しの通り、北海道生まれでもあります。故郷にはもう戻りたくないのに、詩には極めて雪国的なイメージが頻出することを、いつも不思議に思います。幼少期から長く過ごしたせいかもしれませんし、雪そのものは、死の暗示のように綺麗だと思っているからかもしれません。 (十二月には極月や果ての月といった異名があり、年の終わりを思わされますが、その一つ前の十一月には、世界の終わりの一つ前に生まれたかのような印象をいだきました。) 私は冬というものを畏怖している人なので(世界の終わりの季節です)、まさに冬が迫り来る十一月という時期に対して、特別な切迫感や危機感があるのかもしれません。でも、次の月は来るし、今のところはずっと季節は廻り続けています。 (ペンギンは、海を泳げるけど空は飛べない鳥。「月とすっぽん」ということわざもありますけど、理想と現実が遠く隔たっているような、その鬱屈が、ペンギン=現実のコンプレックスを焼くという行為に主体を駆り立てたのではないかと読めました。) 解釈がおもしろいです。鬱屈やコンプレックスはすごくあると思います。 ペンギンはなんとなく好きです。ペンギンって生き物の中だと親近感があるというか、人じゃないけど人っぽい感じがあって、でも飛べないことに代表される鈍臭い感じが自分らしくもあるような…で、その、人っぽくて、でも人じゃない(私の自己評価でもあります)、かつ自分を真っ直ぐに見つめて離さない存在(しかも好き)を焼いて食べるというのが、まさに人肉(自肉?)に近いものを焼いて食べて、皮下脂肪で冬を生き延びるという、冬に対する戦争みたいなことを詩の一部でしている気がします。 詩を書くことは、負けることが多いし、泣き言も多いのですが、世界や運命に対する闘争や異議申し立てとして書いている節があって、「ただただ泣き寝入りをしない」という意味ではポジティブな側面もあると自分では思っています。 なので例えば、「言葉を扱える」ということが私とペンギンの差異なのかもしれません。もちろんまだまだ上手く扱えないのですが。
1こんにちは わたしにはかなり難しい詩で素直に尊敬します。 が、形容詞とか比喩が多いなと思いました(おそらく意図的になさっているはず)。 でも、わたしの眼はあまりにも弱いのでチカチカしてしまいました。 これかも素敵な詩を待ってます。
1不変蟹藻さん こんにちは。 お読みいただきありがとうございます。お褒めの言葉と、具体的なご批評をいただきうれしいです。 私は詩人としては新人的な歴なのですが、世界のありようとか、社会の言葉のありようを、間接的に変身的に、(それが断片の集まりだとしても)自分というフィルターを通して、少しでも私や私の無意識が感じているものに変えたい、というような欲が強いタイプだと思います。 もちろんその時の詩の書き方にもよるのですが。 なので形容詞とか比喩とか、日常的ではない単語(これはただの、難しい言葉使いたがりなのかも…)が多くなる傾向があるような気がします。 まだまだリーダビリティとのバランスの兼ね合いがすごく苦手です。なので読みやすさはかなり後に置いてしまった気がします。 今後の課題として取り組んでみようと思います。改めてありがとうございました。
0