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「直喩」禁止令
ーー色々の花も紅葉もさもあらばあれ冬の夜深き松風の音 多宇加世さんの詩は「食べ物と死ぬ人」より後、散文の人?って感じであんま性に合わなくてよく読めなかったのですが、やっぱこれくらい分かりやすくしてくれるとボクにもレトリックが読めて楽しいです。好きな詩だったので推薦してみますね。 ところで、そもそもレトリックとは何なのか、とか。人が小難しいこと言ってるのをよく見かけますが、ボクにしてみればそれはなんのことはない、一言で言えます。皮肉です。レトリックとは、迂言するんです。まあ、その理由を君に語らう。 初連、突然の直喩。えっと、傘の中に女の子たちが入ったのがくらげみたいだ?これは悪いですね。小学生の作文ですか。初歩的なレトリック失敗ですね。何の皮肉もこもっていない。読むのを止めようかと思いました。でも、いや、待てよ。違和感が。あまりに初歩的すぎないか?こういう違和感には皮肉、つまりレトリックを読み取る間隙が隠れているのです、絶対。ここで例えば、 >君たちは くらげみたいに >ビニール傘の影に飲み込まれた という語順の直喩でないことに注意すると、ここでのレトリックの中心的な部分は直喩ではなく、落差の発生にあるのだと分かるはずです。「さもあらばあれ」です。いや、何より現代文の選択問題みたいに、第一印象の嫌悪感が強いほど、出題の意図を見破ったときの優越感はひとしお、みたいな。こういう読み方がすごく気持ちいいからこうして読んじゃう。もちろん、この直喩もレトリックから外れた純な直喩だとみれば上手いです(?)。うーん、言葉が落下しつつ射精している。 第二連も大体このレトリックを受け継いでいて、一方で手を繋ぐというイメージが提示されます。 そして後半の三連ですね。 第四連をわざわざ一連を使ってやるのはわからない。後続の連への布石くらいにしか思いませんでしたから。 第五連、 >願いよとか 祈りよとか 無理でさ は初連と同型のレトリックでダメ押し追い討ちしています。手を繋ぐというイメージもここで展開をみせている。 やはり真ん中のあたりでダレてるように思えますが、ボクの読むのを止めようかと思ったほどの嫌悪を大きさはそのままで真反対の評価に跳ね返してしまう、そんなスピード感のある読解をさせてくれた「さもあればあれ」型レトリックの効果的な使用に対して、この推薦文を送ろうと思います。
「直喩」禁止令 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1475.9
お気に入り数: 1
投票数 : 0
作成日時 2021-04-02
コメント日時 2021-04-03
ありがとございます。 嬉しかったです。 自分としては感覚的に書いているところがあるので、そうか、となりました。 ありがとうございます。
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