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何が論理的で何が非論理的かなんて、でも確認したくて
私たちは論理的であることを自然に志向しているに違いない でも何が論理的で何が非論理的かなんて 最初に考えて知っている人はいない ただ初め 意識そのものである私たち自身が あるいは無意識そのものである私たち自身が 恐る恐る浅い浅い跡を残しながら 記憶の表層を歩み出すわけだ 未来についての予感さえ包摂している記憶の表層を 私たちの内面のこの体験 この道行きが 意識のものか無意識のものかははっきりしない また論理的であるかどうかはいつでも疑わしい それを分かろうとすることは有用ではありそうだけれど 都会に長く暮らしていると 非論理的なことに出くわすことが多いように感じる ねじ曲がった奸策や人の目を盗んだ不正や情実に基づいた行動が賑わしく滑らかだ 対して論理的なことはたまに見え隠れするだけであるように感じる 人間と人間との間に間隙や段差がほとんどないから 透明で凪いだ水のように目立たないのだと思う もちろんこう言うことで私は平和や平等を軽んじているわけではないし 世の中に問題がないと言いたいわけでもない ただ互いに等質であることが強調される平野では 砂漠の起伏のような論理は均されてしまっているように感じる このことの良し悪しを言う自信は私には本当はないけれど 強いて言えば 入り組んだ論理的なことに気づかされたいと思う でもショーケースの中にあるような一見平穏な都会にあっては もう論理的なのは気候くらいであるかもしれないと思ったりする なぜなら自然ほど論理的なものはないから そして都会にはもう空しか自然はないように思えて 惆悵と空を仰ぐ 詩を作る私たち 私たち自身もかつては 自然の部分であっただろうけれど 自然というものは詠い尽くされてしまったように思えて しかしそれでもまだ私たちは自然の部分だ 肉体にしろ 精神にしろ これらから目を離さないのが良い ショーケースの中で詩を作るしかない私たち でも進歩の余地はいつの時代にもあった 破壊することは仕事ではない 私たちのいる場所 まさにここにある物事に即して深く内面的歩行を体験し遂げたならば 最後にはエラーを来すことなくきっと良いものが すなわち自然に近い論理的でなお複雑なものが 創造できるのだろう
何が論理的で何が非論理的かなんて、でも確認したくて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1527.6
お気に入り数: 0
投票数 : 5
ポイント数 : 0
作成日時 2021-03-21
コメント日時 2021-03-23
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
- 論理の中の非論理的包含および論理的概念の解釈 (やめました)
論理ってなんでしょうね。論理の概念は学生のうちに習うはずなのに論理的な人間などないし、中に浮いたようにふわっとそこに居るだけなんですよね、論理って。論理という単語が本来の意味と変わってしまっただけなのでしょうか。考えさせられます。
0お読み下さりありがとうございます。その上、推薦文まで。 本当に、論理とは、論理的であるということは、どういうことを言うのでしょう。それと人生との関係は? また、詩との関係は? そして私はなぜ「自然」というものを作中に登場させなければならなかったのか? この作を書くに当たり、私は「論理学」を修めていないまま、今までの人生で感得できた限りの「論理」についての知識しか踏まえていませんでした(おそらくこの作を読まれた方々の多くも、事情は私と同じであろうと思います)。それでも、何も考えてこなかったよりはましであるし、この作は、これからもっと「論理」について学ぼうという私の宣誓でもあります。 いただいた推薦文にも(ちょっと勉強してから)コメントしたいと思いますので、ここではこう短く書くにとどめておきます。
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