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輾転反側させられ
輾転反側させられ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1735.6
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 4
作成日時 2021-02-13
コメント日時 2021-02-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 4 | 4 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 4 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
私の想像として「誘拐」とみせかけて「性行為」の誘いだとおもっていますがどうでしょうか?私の想像では意味が分からない表現が結構あります。
1とてもリズミカルなのに「倒れる演技して」だけが異質な音ですね。「時計と碁石の演技して」の布石だとしても、そこだけちょっと気持ち悪かったです。 意味については読み取れない部分が多かったのですが、女性的なイメージと誘拐や窒息死のイメージとが不穏な空気感をかもしていました。不思議でゾクゾクする、良い響きでした。 もしこの読み取れない部分に情感的な含意があったとすれば申し訳ないですが、私にはドライな言葉遊びのように思え、作者様のその姿勢をとても好ましく思いました。
1可読性からみた現代詩、あるいは、理解できないことを楽しめるか、その観点からすれば楽しめない作風に思います。可読性の有無は詩作品には重要ではないとは、考えます。よく言われる例えですが、異国の不明な言語であっても楽しめる歌があるように。 理解できないことを楽しむ前提として、そこには読み続けさせてしまう愛嬌が必要です。憎たらしい不快なものに長く接したいとは誰も思わないので。 愛嬌ある現代詩とは、ジョークを取り入れることを指すのでもありません。これは説明をすることがとても難しいです。 言うなれば、「この文面からは人がみえる」ということ。物語がみえるのでも謎解きがみえるのでもなくて、よくわからないけれども書いてる人間がみえるということ。 そこからいえば、 「3回待って、」と①②③という打たれかたに人間が、うっすらとみえます。 念のため申せば、これは可読性の有無をみてるのではありません。 書いている情緒が表れている、そう言えばよいのかもしれません。 多くの人から理解されないであろう、未知のことを書くのであれば、すべての意味を捨てる覚悟が必要です。逆説的に言えば、言葉で表せない何かが確固としてあると、その自覚がなければ、受け手を理解不能なままに踊らせることは出来ないでしょう。 無作な自覚が欠落した、試し書き止まり。何を書いて何を書いてはいけないのか、そこから、冷徹に創作を苦しみとして楽しむ、そこから始めてみてはいかがでしょうか。
2最初にコメントをくれたのが福まるさんでしたね。そのときも~どうでしょうか?と聞かれました。あれ、うれしかったですよ。
0ええ、そういう効果はあるかなと思って書きました。 セックスしたことないです。だから、 「好ましい、って。どうもありがとうございます。また読んでくれますか。3回待ってくれたら、きっといいの書きますから、じゃあね。」なんてことが言えてしまえて不甲斐ないです。
0はい、そういうレトリックはあるかなと思って書きました。 セックスしたことないです。「ずっと、演技ってごっこ遊びだと思っていました。変顔をすれば友達は笑ってくれました。「演技、面白い」って言ったら顧問の先生は演劇部に誘ってくれました。断りました。役者は、いやらしいです。演技はいやらしいです。だから、実は演技してるって、 いえない。言ったら言ったそのことは演技なんですか? 禁止してしまいたい。矛盾律で放逐してしまいたい。何を?概念を、演技。下手な、演技。バレバレの、演技。上っ面の、演技。素人くさい、演技。演技くさい、列挙法、失礼しました。使い古された、噓つきのパラドックスじゃない。赤ん坊のようにしゃぶっても味はしない。」 ガンバって書いてみても、この程度ですね。この試行でわかることは、大事なのは "世界観" だということなんですよ。世界観があれば、問題の本質をちゃんとえぐれるんです。知らんけど。演技の末に死が待ってるだとか、寓喩?ではボカロの歌詞と変わらない。ジョブナイルの表現なんです。 そこのところをこの詩の作者は分かってないな、と詩を読んで思いました。
0三浦さん、コメント、絶対にとはいえないけど、大事にします。「自覚が欠落している」って、他人の言葉とは思えません。 でも、未知のことってなんですか。 みうらさんが理解できなかった。それは分かります。 コメントをくれた皆さんも理解できなかった。なるほどそうでしょう。 なるほど確かに、多くの人から理解されないでしょう。だって、理解されるべきことなんて、ない。本物の「無作な試し書き」、だったんです。 生まれてはじめて詩をばこさえて、ビーレビに投稿してコメントを貰ったとき、『精神分析みたいだな』って思いました。そこからは半ば自覚的に、自分をサルベージする、仮想空間に自分のクローンを作る、そんな気分で詩を書き続けてきたところがありました。みうらさんが言っているのは、そういう書き方自体を止めなさいということだと思います。 本当に自覚すべきことは他の何かで、このままでは創作に苦しみ=楽しみつまりデーモニッシュな絶望が欠落したままだ、と。 >「3回待って、」と①②③という打たれかたに人間が、うっすらとみえます。 えー、これけっこう気に入ってたんですよ。詩句に番号を振る詩はよくありますが、「3回待って、」これは見ない。読者には大縄跳びでタイミングを計るときのような緊迫感を与えられると思いましたが、安易でしたか。あるいは、地の文の内容が重くて溶けあわなかった。そもそもそんなに上手いやり方じゃない、試し書きじゃないというならね。作者
0素晴らしい返レスですね、、、と言う始まりを書きたくなるほど、私的には筆者さんのコメントが清々しいです。 エクスペリメンツレインの世界観って今のご時世には既に古くなったようにも思えるんですよね。同じくらいに自我無しを洗練された形にされている岩倉文也さんの世界観も。岩倉文也さん好きなんですけどね。 とんちんかんなレスになってるように見せながらも筆者さんは笑ってくれるだろうと思って引き続き書くんですが、自我無しって善意も悪意もなくて、それってトランスヒューマンだからってところで、みんなうわあって盛り上がってた世界観だと思うんですよ。なんだろうか、仮想の空間に人は在るのかってところからいえば、みんなきっとアイヒマンみたいに有能なテクノクラートなんですよきっと。ただただ処理しているだけ。ただただ処理をするだけの空間。岩倉文也さんの詩もエクスペリメンツレインもアイヒマンなんですよね。私はアイヒマンが好きでも嫌いでもないし、その人道的なこととかよくわからないですよね。よく、じゃああなたが残虐なこと、同じことされたら、どういう気持ちになる?同じこといえるのか?って正義感を突かれることがあるけれども、わからないですよね。本当にわからない。 欺瞞に無自覚な人らが仮想空間にはたくさんいて、みんな1人で楽しめないでいる。 1人で楽しくやってる人のほうがまともな人が多い。まともっていうのは、さっきの岩倉文也さんの詩もエクスペリメンツレインも少年Aの絶歌も直観的にノーだっていえる人のこと。仮想空間で欺瞞に無自覚な人たちは情報の処理が他人依存だから、だいたいおかしい。おかしくてもコミュニティからは外れていないからそのおかしいままでいいという。 なので、未知についてのこととか、さっきの私のコメントもコミュニティから外れているところから発せていないって気がついたんです。なので、忘れてくださいって言いたいところが多々ある。それを気がつかせてくれた筆者さんの私への返レスは清々しかったです。 でも本作はまだまだじゃないかなって思う(ごめんなさい) これからも、まだネット詩に、あなたは書き続けてみた方がいいように思う。まだ、なんか、遭遇していない人、まだ見ぬ強豪にあなたは出会う気がしますよ。 はい、どうも。
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