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車窓
電車の窓に 小娘の顔がうつっている 車窓を流れるビルディングの、磨かれた側面に 電車がうつっている 箱にうつる箱の中に ほうけたような顔をした小娘がうつっている 誰だろうか、あれは。 私は宇宙の構造について考える
車窓 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1464.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 18
作成日時 2021-01-16
コメント日時 2021-02-12
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 1 |
前衛性 | 2 | 0 |
可読性 | 3 | 0 |
エンタメ | 2 | 0 |
技巧 | 3 | 0 |
音韻 | 2 | 0 |
構成 | 4 | 0 |
総合ポイント | 18 | 1 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 1.5 | 1.5 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1.5 | 1.5 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 2 | 2 |
総合 | 9 | 9 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
わたしの影が手前の枠にうつることと、次々に流れる遠くの枠にうつること、その次の疑問から、自己の影が何に帰属しているのかわからなくなりました。 自己の影は誰なのかという疑問から、自己の姿を表す身体すらも自分を表す枠でしかなくなり、宙づりになる感覚を覚えます。 その構造を宇宙に当てはめることで、宇宙も自己の考えを表す枠となっており、自己の枠のスケールの幅が広がり続けることを考えさせられました。 また、ほうけた顔をした小娘が広がり続ける枠と対照的リアルな存在として強く印象を受けます。
0この作品には読みが2つ存在します。というのも、十回ぐらい読み直して、あ、2つ目の方がいいなと思った次第ですが、その過程を記します。 1. 電車の窓にうつった小娘の顔。小娘の顔が気になるのなら、直接見ればよいのですが、気恥ずかしさや照れ隠しなのか、真っ直ぐに見ることができず、窓を鏡代わりにして、相手が気づかないように見続けている。だが、車窓を鏡としてではなく、窓として見透かすと、窓の向こうにあるビルディングもまた鏡になって電車をうつしている。 私→→窓→→ビル という視線は、 私←←窓←←ビル という視線にもなりうるようであり、見る存在が見られる存在になりうるということ。そうして、気恥ずかしさや照れ隠しをごまかすために、この仕組みを「宇宙の構造」と置き換えることが必要であった。 2. ちょっと待って。「小娘」はそもそも本当にいたのか。つまり、「小娘」は第二者・第三者ではなく、鏡となった窓にうつる自分なのではないか。自分を「小娘」と他者化するということ。確かに、私は私の顔を直接見ることができず、鏡を使わないといけないが、鏡にうつったその顔も本当に自分の顔なのかは、真に確かめることはできない。その不確かさがあるからこそ、私は「小娘」になって、「ほうけたような顔」といったまるで他人事のように見ることができるのではないだろうか。 「誰だろうか、あれは。」というのも、「小娘」となっていれば、自分と距離を持って自分を述べることができる。 「宇宙の構造について考える」のは、真っ直ぐに「小娘」を見ることができない気恥ずかしや照れ隠しといったごまかしではなく、「私」が「小娘」という他者になるための装置として車窓が鏡となった仕組みについて純粋に考えているのではないかと。
0小娘と宇宙の構造が私の中で繋がらないのは私が未熟だからでしょうか?読み直してなぜ電車が走れ ているのか?不思議だとおもったのでしょうか
0映画のような詩だと思いました。 アングルが変化していくところなど面白いです。 読んでいて気持ちがいいです。
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