別枠表示
null ~河野あさみ「脱あおいうに展」から~
null ~河野あさみ「脱あおいうに展」から~ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2268.8
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 2
作成日時 2021-01-11
コメント日時 2021-01-25
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「脱あおいうに展」詳細はこちら https://artlab-tokyo.com/news/detail.html?part=part1&id=20191106212146 2/11~2/28にこの河野あさみ(あおいうに)と展示を行います。このご時世ではありますが、東京近郊にお住いの方はぜひお越しください。 「くせけせの面 渡辺八畳・あおいうに二人展」 詩人・渡辺八畳と画家・あおいうに(河野あさみ )の合作詩画などを展示。物販あり 場所 白山Plateau Books(三田線白山駅徒歩5分) 期間 2/11~2/28の金土日祝 https://twitter.com/yoinoyoi/status/1348332011505635329?s=20
0河野あさみさんの作品を少し調べてみました。 色々と描かれているそうですが、抽象画が印象に残りました。 この詩はその抽象画を思い起こさせますね。 >答えは余白の中にある なぜか、太い線の間や端の何もない余白が気になる抽象画が多かったです。
0羽田さん 河野はそうですね、抽象画を主体にしています。というのは彼女が追い求めているものが「純粋美」、モチーフやテーマなどの文脈に左右されない美であるからです。だから描きすぎない。 一方私はというと映像系の詩を称していることもあり書きすぎるきらいがあります。余白、行間でも語れるようになりたい。
0ABさん ビーレビだと私は昔の作品を出しがちなのですが、「null」に関しては比較的近作(といっても書いてから1年以上経っていますが)なので、それがいい感じなのは嬉しいです。 最終行後の余白は確かに。実は今回はじめて縦書き機能を使ったんですよ。だから具合までは考慮していなかったです。今後の参考にします。
0全体にロックを感じました。 その展覧会に興味を持ちました。とでも観てみたいです。 「ぬらつく 赤、赤、赤」さすがですね。これら一連をその言葉で締めるところに感動しました。
0文章全体から雰囲気は伝わってくるのですが、ただ、書かれた言葉を目で追っていくと、書かれた言葉にもっと魅力がほしいと思いました。 うまく伝えられていないかもしれませんが。 渡辺さん自体の嗜好と思考がうまく噛み合っていないというか。 渡辺さんが表現したいもの自体は現代的なものの印象を受けるんですけれど、使われている言葉の、言葉遣いが古い感じがしますね。 いわゆる昔の純文学的な言葉遣い。 そういう昔の純文学的言葉遣いが悪いというわけではないですが、ここでは噛み合ってる、ハマってる感じがあまりしなくて、使う言葉の選択を見直されてみてもいいのではないかと思いますよ。
0タイトルと本文の関係性がヤバいですね。音と意味が混ざって発生した危険なガスを吸った気分です。だから”無いとは何?”なんていう不毛なことを考えてしまいます。 >吐息を脳が補完した。 >しかし床は傾いている。 『補完した』と『傾いている』ことが『しかし』で繋がっている点にまず惹かれました。正しい絵は見えているのに正位置ではない…とかかなぁ。 >呼び覚まして、口の中の、ぬらつく、赤。赤。赤。 『呼び覚まして』は後続の文字への指示とも、「呼び覚まし、そして」のような意味にも…と思ったけど後者なら句点を使うかなぁ。 赤、という色はやはり生命をイメージさせますね。わざわざ皮膚を裂かなくても口を開ければその生々しさに触れることができるんだなぁと、口内が官能ポイントであることに納得したりしました。また、その映像がなんとなくカラーの胎児のエコー写真とイメージが重ったりして、”無いとは何だろう。無いは無いとして在るんだろうか”などということをまた不毛にも考えてしまいました。 相変わらずまとまりの無い文章でお恥ずかしいです。とにかく、タイトルの音と意味、そして詩、の関係性がめちゃめちゃ好きです。
0てんま鱗子さん 隙あらば宣伝ですが、2月に私と河野の合作展示を企画しています。このご時世ですが、東京に来られることがあればぜひ。 https://twitter.com/yoinoyoi/status/1348332011505635329?s=20 詩の締め方はけっこう気を使っているところです。油断すると締めのための締めになってしまい詩の迫力が削がれてしまうので。 締め方をどれぐらい発明できるかの挑戦。
0トビラさん 文体が古いっては言われたことあります。とはいえ道具として「昔の純文学的言葉遣い」が都合よいわけでして。ニュートラル、その言葉に文脈が乗っかっていない状態で使える。 コメントを見るに、トビラさん的には表現したいものが現代的であれば言葉も現代的にしたほうがよいということなのでしょうが、その「現代的」とはどういったものを指すのでしょうか。例示していただけたら面白くなるかと。
0杜 琴乃さん タイトルはめちゃ気を使っています。単行本における装丁と同じぐらい重要だと思っていましてね。タイトルの出来が作品自体も左右させてしまう。だからタイトルを募集したりもして、しかもそれでもまだ決まんなかったり↓ https://twitter.com/yoinoyoi/status/1347205830509137921?s=20 ちなみに河野は作品に余計な文脈をつけたくないからと多くの作品を無題にしています。管理上の問題があるから通し番号はつけとけよってアドバイスしていますが。 私は詩は非論理文だと思っていましてね、整合性が取れないことによって発生するバグによって意味の総量を増やしていく。書かれていく文字以上の意味をそこに含めるには言葉を正規じゃない使い方しない。それこそスーパーマリオブラザーズとテニスそれぞれのファミコンカセットを使ってワールド9へ行くように。 >吐息を脳が補完した。 >しかし床は傾いている。 はそれが表れた個所ですね。 立ち戻れば、タイトルは詩の本文とセットであれど切り離されています。だからこそ本文に依らないタイトルをつけられ、それによってバグを起こせます。詩中の一文をそのままタイトルに使うのなんてもったいない。バグを起こして正規の仕様では到達できない地点まで飛んでいかなくては。
1そうですね、現代的の最前線と言えば、コロナだとは思います。 ただ、現代に生きている限り、現代的から逃れることはできないと思いますよ。 それは「脱あおいうに展」のコンセプトの否定と取られるかもしれませんが。 僕としては、どういう文体を使ってもいいとは思いますが、純文学的言葉遣いはむしろ、日本文学の文脈の強いものだと思います。 そこに対する自覚はあった方がいいとは思いますが、ただそれは僕がそう思うということなので、渡辺さんにとってそれがニュートラルに使える言葉であるなら、僕の言うことはお気になさらず。
0遅くなりましたが、返信ありがとうございます。 コロナはたしかに最前線ですね。それはそう思います。 ただ、時間は止まらないのでいつかは収束するでしょう(少なくとも私は思っています)。そのとき、「コロナ」という語は古くなります。それこそ「パーペキ」だとか「アッシー君メッシー君」だとかが今では目も当てられないほどに古いように。 拙作に「遺影」という詩があります。https://www.breview.org/keijiban/?id=2482 「私が死んだら、 その画像をTwitterにアップして FacebookにもInstagramにもアップして Tumblrにもnoteにもはてなブログにもアップして 5ちゃんねるにもアップして爆サイ.comにもアップして したらば掲示板にもアップしてふたば☆ちゃんねるにもアップして ありとあらゆるサービスに ネットのせせらぎに 各家庭へ手書きの訃報を送るよう あますところなくアップして拡散させてください」 執筆したのは2016~2017年ぐらいでして、そのころはまだTikTokは名が知られていなくて、そしてTumblrはまだなんとか生きていました。 今だったらTikTokはこの詩に必須でしょうし、Tumblrはスタメン落ちかもしれません。 新しい語を使うこと自体にはまったく反対ではなく、むしろ手垢がついた「詩語」のみで書こうとするスタンスには意をも唱えたいですが、かといってやみくもに「今」を取り入れればよいということでもないと思います。 「エロ漫画は毎回新しいキャラが必要だから毎回ティーン向けファッション誌などを参考にしていた→そこには思わぬ落とし穴があった」 https://togetter.com/li/1653385 最近まとめられたtogetterです。トビラさんの提言はこのまとめと同じ落とし穴があると思うんですよ。つまり新規性ばかりに目を向けてしまって時代とともに作品が置いてかれてしまう。 私は「ニュートラル、その言葉に文脈が乗っかっていない状態で使える。」と言いましたが、これ「ニュートラル」は外したほうがよかったなと今更ながらに思っています。つまり言いたかったのは「歴史的に評価が定まっている語や文体はのちの変化を気にせずに使える」ということでして。時代に即した文脈に乗れない一方、乗れないからこそ安定している。 あと、トビラさんはかなり「日本文学の文脈」なるものを意識されているようですが、テキストベースの詩として私の詩はそんなに特別「日本文学の文脈」に乗っかっているものだろうか、このぐらいの書き方はだれもがやっていて文脈が生まれるほどの特殊性はないんじゃないか、とおも思いますがまぁそれは別件。 こう長々と書いたのは、私の質問に対しトビラさんが「コロナ」というあんまりにも素材そのものを出してきたことへの心配があったからなんですよね。いわゆる新語流行語を入れてさえいればOKと思っていないだろうかと。素材はちゃんと調理しなくてはならない。今の時代のものだっていってただただ使ったら時代とともに消えてしまう。ちゃんと調理して、時代の文脈から外れても強度を保てるようにしなくては。もちろんそんなの合点承知の助(←時代に取り残された言葉)ってのならいいのですが……
0