夏だった。よく晴れた日。ぼくは三歳くらいだったと思う。兄と兄の友達が田んぼでアマガエルをたくさん捕まえてきた。兄の友達が捕まえたアマガエルを虫かごから出してやると、小さなアマガエルはぴょこぴょことあちこち跳ねていった。アマガエルがぴょこぴょこする様子を強烈に覚えている。艶のある黄緑色の小さな生き物が生きているのを感じたのだ。
兄と兄の友達は魔法が使えた。二人はせーのでアマガエルを勢いよく踏んだ。そして、ゆっくりカエルを踏んだ足をあげるとなんとカエルはまったくの無傷だったのだ。二人はぼくにもやってみるようにと言った。ぼくはアマガエルは踏んでも死なないと思い込んでいた。勢いよく踏みつける。足をあげなくてもわかった。カエルが潰れたことが。足を恐る恐るあげるとカエルはぐちゃぐちゃに潰れていた。腹をみせて腹から臓物を飛び出させて、四肢を大の字に伸ばしてカエルは潰れていた。兄と兄の友達は「ほんとにつぶしたらあかんやん」と愉快でたまらない様子で笑っていた。
ぼくはさっきまで元気にぴょこぴょこと跳んでいた、生きていたアマガエルが目の前で死んだことが信じられなかった。それも自分が死なせたことがなおのこと信じら…………。
ここまでにしよう
死や生を本当に意識していたのか
それとも後から年月が書き足した情報か
確かにショッキングな出来事だった
確かとはなんだ?
空には入道雲がもくもくと背をのばし
日差しが痛いほど照りかえして
いや、雲ひとつなかった気もする
夏と言っても初夏だった気がする
まだそれほど暑くなかった気がする
怖くなって他のアマガエルも何匹も踏み潰した
幼い心に芽生えた罪の意識
兄と兄の友達も一緒になってアマガエルを踏んずけた
今度はカエルは潰れていた
ような気がする
夏だった。よく晴れた日。ぼくは三歳くらいだったと思う。兄と兄の友達がアマガエルをたくさん捕まえてきた。兄の友達が捕まえたアマガエルを虫かごから出してやると、小さなアマガエルはぴょこぴょことあちこち跳ねていった。アマガエルが跳ねている様子に見とれていたぼくは小さな生き物に触れてみたかったかもしれないし、可愛らしいと感じたかもしれないし、初めから踏み潰したかったのかもしれない。兄と兄の友達は魔法が使えた。二人はせーのでアマガエルを勢いよく踏んだ。そして、ゆっくりカエルを踏んだ足をあげるとなんとカエルはまったくの無傷だったのだ。これはもちろん魔法ではなく踏むフリをしていたのだが、ぼくも真似してカエルを踏ん………。
ここまでにしよう
跳ねるアマガエル
潰れたアマガエル
確かに感じたんだ
曖昧な記憶の中に
強烈なイメージが
未だに浮かぶのに
確かとはなんだ?
夏だった。よく晴れた日。ぼくは三歳くらいだったと思う。兄と兄の友達が……。
もうやめよう
作品データ
コメント数 : 8
P V 数 : 2164.3
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2021-01-03
コメント日時 2021-01-11
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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2024/11/21 23時30分34秒現在
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子どもの頃を思い出す詩ですね。 私は女の子でしたが、ザリガニを捕まえて、道路の真ん中に置いて、車が来るのを待ってたことがあります。 命というもの、幼い残酷さで弄んだ記憶、当時に罪悪感はなかったのに、忘れられない記憶です。
1読んでいただきありがとうございます! 幼い頃の忘れられない記憶ってありますよね。大人になってなから加筆修正されてより鮮明になったりまします。
0考えている姿が活きていて、ありありとそれを正しいと思わせます。
1子供のころから今への時間と、回想から我に返るという変化の時間、二つの時間経過が入り混じって、だんだんと話の中に引き込まれていく感覚がありました。潰れて終わりになった(かもしれない、生死の曖昧な)アマガエルと、それを振り返られる確実に生きている私、という対比も感じられました。
1読んでいただきありがとうございます! 考えてることそのまま書いた感じです。
0読んでいただきありがとうございます! 時間が経つにつれて曖昧になっていく記憶を描きたかったので、とても嬉しいコメントです。
0僕も幼い時の記憶をもとにして、未だに忘れられないことが傷のようにしみついて、それを元にして書くことがあるので、こうなんか、書く動機というものがわかるような気もします。もちろん、その出来事は人によって違うわけで。というのも、記憶には祖語がつきもので、先ず一つ目の疑問は、この出来事に対して、兄と兄の友だちは覚えているのだろうか、覚えていたとしたら、語り手のことをどのように見ていたのだろうか、ということです。記憶について延々と述べ続けると哲学的になってしまうので避けます。 「記憶」から話を逸らして、1つのポイントに絞ると、語り手がカエルを踏んだ動機に注目したいなと。僕自身、兄がおりまして、基本的に幼い頃の兄は強い存在であり、憧れでありました。つまり、兄になりたい、近づきたいという欲望から、真似をするようになるんですね。こうした想いは、この作品の語り手が抱いていないのかもしれません。そして、成長した今だからこそわかることもあるのですが、当時の語り手はおそらく一つ一つの行為の価値判断というのがなくて、単に「兄と兄の友だち」に対する憧憬からこのような行為をしたのではないだろうかという推測です。語り手が兄のことをどう想っていたのかは明記されていないので、読んだ僕の勝手な想いなのですが、幼い頃って、年上の人にくっついて、善いか悪いかを越えて、真似してしまうことってあるよなあ、ってそんなことを思い出しました。
1読んでいただきありがとうございます! 兄と兄の友達は当時どう思ったのかは気になるところです。 兄への憧憬はあったかもしれません。
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