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K.
僕たちは 家の前の通りで遊んでいる 背が高くてほそい体をしたおじさんがつかつかとそばに歩み寄り 無表情に僕たちの顔を見下ろしながら さっと直立の姿勢をとり 刀のようにまっすぐな手の先をこめかみにあてがい 大きな声でケイレイ!と発する そして沈黙の後におじさんはニカっとした笑顔になり歩き去っていく すぐ近くにある文化住宅と呼ばれる家で暮らしている ことを僕たちは知ったが いつしかおじさんを僕たちは見なくなった 声も聞かなくなった おじさんは雪のように消えた あの通りからケイレイ!を残して ある日には 風をはらんでゆれる 丈の長い ゆったりした白い衣を着た どこか苦味を噛み潰すような顔をした女の人が籠を手に 振り向くこともなく前をみすえ歩いていく 道路を渡った先にある 国道沿いの小さな市場へと そしてしばらくすると市場から戻ってくる すれ違うものの挨拶をすることもなく帰っていく やがて僕たちの体が大きくなるにつれ 長くてゆったりとした白い衣が洋服と呼ばれるあでやかな花柄模様の服になって 女の人ははにかむような穏やかな笑みを浮かべては言葉を交わすことも T字路につながる狭い路を挟み 長屋のようにして両脇に立ち並ぶ家々が 少しづつ新築のような家となり始め 公園や駄菓子屋やゲームセンター グラウンドやお化け屋敷や団地を離れ僕たちは 父親の所有する三台の車のうちの キャンピングカーというものを基地のようにしてたむろした 物心つく頃から同じ町内に暮らし さまざまな大人たちや景色のなかにいた そんな僕たちの 幼馴染の一人 K.は一つ年長の男だった 舌を出し逃げ惑う生意気な弟に対し顔を真っ赤にして叱り追いかけた K.の家に行くと長い黒髪をしたきれいなお姉さんが三人いて 僕は羨望を抱いた お金の管理が厳しい父母とお小遣いが少ないことを巡り言い合いになると 愚痴をこぼしては僕を羨ましがったK. 通学路で突然級友と殴り合いを始め 校内の砂場では決闘を受け バックドロップをくらい耳から血が流れてもやり続けた ある夜に"番長" として名を上げていた同級生の人物を連れ マンガを貸してほしいと 肩をならべて家にまでやって来たK.はやはり一目置かれる存在だった 頼もしく 心強いK. 慕う気持ちを持ちながら遠くに見るようであったK. どこで覚えたセリフか "スリルとサスペンス" などと大人びたことを口にするK. ガラス板の向こうから大きく口を開け変顔をして驚かせてみせるK. 中学からは野球を辞め 柔道やラグビーを続けていたせいか 同じ塾の講師からは精神論をふっかけるうるさいやつとK.は批判をもらっていた 一年遅れでK.と同じ高校に入学を果たした僕は 同じ詰め襟の学生服を着て通い始めたが しばらくするとお互い校内で顔を見合わせるだけで言葉もなく 他では次第に会わなくなっていた 音楽や遊びや友人たちに走り 学校から走っていた僕と 僕と変わらない 大きくはない華奢な身体を酷使することに精を傾けていたいようだったK.と 明瞭な そしてよくある分岐点の一つだった のだろう ある日に 自宅の前でK.と久しぶりに立ち話をしていると 映画を観に行こうということになり 二人でバスに乗り小さな映画館へと向かった なぜか僕たちは年甲斐もなくドラえもんの作品を選択した 春休みでもあり 館内の真ん中に陣取る僕たちの周りは親子連れであふれていた やがて照明が落ち暗闇に包まれた 隣同士に座るお互いの顔さえはっきり認識し得えない中 視界の前方に広がる大きなスクリーンに映像が映し出され オープニングテーマらしきものが流れ始めた しかしまもなくして突然映像も音声も消えた ざわつく館内の闇に紛れているとパッと照明が照らし出された 僕たちは再び顔を見合わせ 案内のアナウンスを聞き終えると首を回して周りの様子を眺めながら 映画が再開するのを待っていた すると 金返せー!と K.が大きく一声を張り上げた 二人で笑っていると カネカエセー カネカエシェ 黄色い声がちらちら飛び交い始めた 親たちは やめなさい しずかにしなさいなどと囁いては小さくなだめた K.を見るとなにくわぬ顔で座席に身を沈めニヤニヤと愉快にしていた そして再開を告げるアナウンスが終わるとブザーが鳴り響き 照明が落とされ ドラえもんやのび太くんたちが 元気よく目の前に現れた 高校卒業を間近に控えた冬休みの朝 僕はテレビの中に 小柄な見知らぬおじいさんを見た 肩をすくめ おちくぼんだ目を瞬かせ 一人ぼそぼそと何事かを 緩慢な調子で話していた 昭和64年1月7日 そのおじいさんは死んだのだと知った あくる日は無口で仕事しかなかった父の45歳の誕生日だった 雪は降ってはいなかった うすい日があった 空白も言葉もなく 卒業から一年後 僕は進学した専門学校を退学した 挫折というならば 僕にとり初めての挫折だった 一足はやく学校を去ったK.はその後どのような進路を歩んだか 記憶が定かではない どのような道程をたどっているのか ともにした日々を覚えているだろうか 雪よりも清冽な ながく 稜線を風の渡る 通り過ぎていくオモニ キム 日の下を 雪よりも清冽な白がとおく 異郷の風をはらみ とおくなる こえ とおくなる
K. ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1045.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2021-01-01
コメント日時 2021-01-01
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
Kと言えば、カフカを思い出します。 この作品にはカフカらしいところはみられなかったけれど 漱石のこころもKは思い浮かべさせますが やはり漱石らしさもなく 独自のKなんでしょうね。
0田中宏輔さん ありがとうございます カフカ作品に同タイトルの小説があるようですが、とくに関係はありませんでした。不条理などを意識下に置くものでもありませんでした。漱石の小説についても関係はないのですが、散文詩の形を採用した考察のための作品といったところでしょうか。
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