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才能の海
いつかの青い海の中に 言葉もアイデアも溢れてた 今はというと 水たまりに溜まるのを待つのみ でも身体は覚えているんだ いくら成長したって 未だにあのぎこちない泳ぎ方を 直せないんだ
才能の海 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1198.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2020-12-17
コメント日時 2020-12-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「いつかの青い海」と「水たまり」の違いを先ずは考えました。先ず、「青い海」は「いつかの」ものであって、「いま・ここ」にはなく、語り手がかつて見たことがある存在であり、「水たまり」は「いま・ここ」にあるものです。いや、時制のことは作中に書いてあるとおりなのですが、一般的に言うならば、大きさの違いが気になります。「青い海」はその体積によって多くのものを包むことができますが、「水たまり」は多くのものを包むことができません。それは単に「言葉もアイデア」といった目に見えないものばかりではなく、語り手自身をも包めるのは「青い海」のほうでしょう。 つまりは、第二連において一見唐突に見える「泳ぎ方」という語りについて、この作品内における「青い海」と「水たまり」の違いの重点は、作中でも使われている「いつか」と「今」との時制の違いもあるのですが、「泳ぎ方」が間接的に示す「青い海」と「水たまり」の大きさにあるのではないでしょうか。 「いくら成長したって/未だにあのぎこちない泳ぎ方を/直せないんだ」と、泳ぎ方を直せないこともありますが、この作品に書かれていないことを勝手に補足しますと「いくら成長したって/青い海は包み込んでくれる」ほどのものでしょう。だからこそ、きっと「泳ぎ方を/直せない」気がしてきます。 「水たまり」も「語り手」も変わりゆく存在としてありますが、変わらないものとしての「泳ぎ方」を担保しているのは、変わらないものとしての「青い海」が堂々と在るからだと捉えました。
1身体が覚えていること、沢山あります。 違うかもしれないのに、もっといいやり方があるかもしれないのに、直せないこと、沢山あります。 それも自分ですよね、最近やっと、それを許してあげられるようになってきました。
1なかたつさん コメントありがとうございます!! 補足していただいて、感謝いたします。足りないところばかりで申し訳ないです…恐縮です。 この詩は自分に少しでもあったはずの才能と呼べるものを書いたもので、なかたつさんの鋭い視点は確かなもので私はびっくりしました。 こんなにも深く考え、コメントしてくださるなんて、凄いと思います! そして、その通りなんだと思うんです。そのコメントが。 ありがたいコメント、心に残しておきます! ありがとうございます!
0宵月さん コメントありがとうございます!! そうなんです!そういう考え方ですよね。 私は趣味でビーズリングをスワロフスキーで作ることがあるんですが、もっといいやり方があるんじゃないか、もっと効率のいい方法がきっとある、と心の奥で思っているにも関わらず、変えられないんです! 若い頃の生き方が大人になっても生き続けるみたいで、そんな事を思いました。 宵月さんのコメント、とても爽やかです。ありがとうございます!!
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