いつものように歩いていたのに
いつものように犬と散歩していた夜に
いつもは足を止めもしない場所で
足が歩みを止めて犬が不思議そうに
足のまわりをくるくると回っている
線路下の細い道が口を開けて夜を
吸い込んでいる、あの先にはカエルの
墓がある、湧き水の池のほとり
幼い頃に友たちと戯れにいたぶり
殺したカエルの墓がある
友たちのひとりが、皆が帰った後に
石の上に叩きつけられたカエルを
池にかえしていた、私に気がつくと
カエルのお墓はみずのなか、と笑った
ちゃぽん、と水が打たれて響いた
彼とはもう会う事はないだろう
風の噂に九州辺りで台風の日に
貯水槽に落ちたとか、そもそも
顔すら思い出せない色白の少年
カエルのお墓はみずのなか
半袖半ズボンからのびた白い手足
斑ら地のカエルの頭が首から上に乗っている
月の寒い夜には境を越えて彼はやってくる
ぐるぐるぐると喉を鳴らしている
そら、道の暗がりから
手が出た、足が出た、白がはえる、はえる
カエルがはえる、犬が吠えた
いつものように足が歩みを止めれば
お前が吠えてくれるのだ
月の寒い冬の道にはまた暗がりだけが横たわり
いつものように私は犬にひかれて歩き始める
顔すら思い出せない幼い日の友だちの白い
面影はあの月の横顔のように満ちては欠け
またあらわれるだろう、思い出せない
笑みをたずさえて、境い目を漂う、貌
カエルのお墓はみずのなか
作品データ
コメント数 : 15
P V 数 : 2369.7
お気に入り数: 3
投票数 : 2
ポイント数 : 25
作成日時 2020-11-22
コメント日時 2020-12-15
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 6 | 5 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 4 | 4 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 7 | 6 |
音韻 | 3 | 2 |
構成 | 4 | 3 |
総合ポイント | 25 | 21 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1.5 | 1.5 |
前衛性 | 0.3 | 0 |
可読性 | 1 | 0.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1.8 | 1.5 |
音韻 | 0.8 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 6.3 | 6.5 |
閲覧指数:2369.7
2024/11/21 23時02分23秒現在
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暗い雰囲気の作品ですね。カエルのお墓が作品を薄暗く覆っているところが好きです。主人公の淡々とした視線も素敵です
0みずのなか(水、見ずのなか はえる(生える 映える 這える 吠える。水面に映る顔、貌、月を水面をのぞき見上げているような感覚になりますし、カエルのお墓はみずのなかと波紋のように置かれた詩文と終わりも余韻がありました。 白い少年の存在と遠い記憶と響き。暗がりだけの夜の訪れにじっと佇んでしまうようでした。
0背筋がゾクリとするような作風だと思いました。顔を思い出せない友達は本当にいたのでしょうか。わたしの中でもその、友達のくちから上は見えませんでした。犬が吠えてまた現実が戻ってきても、きっと隙をみて非現実はするりと入り込んでくるのだろう、そう感じました。
0怖くて神秘的ですね。 カエルと顔の思い出せない友達はひょっとして同じ存在なのかなと感じてしまいました。 カエルのお墓は水の中、この繰り返しに怖いけど、綺麗な響きと、それゆえに一層顔を思い出せない友達への思いを想像します。 犬が現実へと戻してくれる、それに少しホッとしながらも、犬がいなかったらどうなるんだろうかとも考えてしまう、綺麗で怖い詩ですね。
0暗い、呑み込まれるような夜を歩いていただいたとしたら嬉しく思います。
0水と記憶というのは何か相性がいい気がしますね。後、怪談と言えば水。昔、噺家さんが怪談会などで水滴の音を流したりしたそうですね。波紋がひろがるように聴いた人の記憶か、何かに触れられたらいいなぁ、と思います。
0顔が思い出せない、とかそう言われてみればいたような、という体験が結構あります。僕はどうもあまり人の顔が覚えられないようで、しかしもしかしたらそもそも、そんな人いないのかもしれない,とまでいうと怪談的過ぎますかね。怪談や何か恐ろしいものに惹かれます。また詩で色々と書いてみたいと思っています。
0懐かしいような振り返りたくないような思い出、そう言えば故郷の話、ですね。この詩からそういう要素を引き出されたクヮンさんの感性は鋭いと思います。
1ちょっと犬が吠えた、の後の二行は描きすぎたかなぁ、と思いつつも犬がいなければ飲み込まれちゃったでしょうね。僕自身は猫派なんですが。
0顔すら思い出せない幼い日の友だちの白い 面影はあの月の横顔のように満ちては欠け またあらわれるだろう 郷愁でしょうか。 学友という言葉を思い浮かべました。
0月日が過ぎるのは早いもので、ご指摘のようにこれはやはり郷愁なのだと思います。過ぎれば過ぎるほど定かでなくなっていくのにおぼろげに視界の端にちらつくように、ふいにあらわれる。コメントありがとうございました。
0いつもの散歩であるはずだったのに、ひょんなことからいつもとは全く違う散歩になってしまうことってありますね。カエルといえば水と陸地を生きる両生類の代表格、あの世とこの世、自我と無意識などの境界を行き来するものなので、こういうことがあっても不思議ではないかもです。あ、ひょんなことからというよりピョンなことからでした。
0本文を読んでなんとなく読めた気でいたらタイトルを振り返って顔面パンチを受けた気分になりました。脳がくらくらしちゃう衝撃の事実。なぜって、本文を読んで「見送る」詩だと感じていたのに、「来訪者」! 過去の悪気無くいたずらに生き物を殺めてしまった記憶に今更後ろめたさを感じているような、じっとりとした嫌な空気を感じました。次々に嫌なことを思い出して闇に引きずりこまれそうなところを、犬が引き戻してくれるというのも良いです。この肌の白い友達はそもそも普通の人間だったのかさえ危ういなぁと思ってしまうのは、最近すっかりはまった怪奇小説のせいですね。 この場所は訪れた人によって異なる怪奇を見せる場所なのかな。場所が主体だから「来訪者」なのかなぁなどと考えてみました。 実は私の通勤路にも「線路下の細い道」があって、その先に貯水池があります。夜は暗くてなかなか良い雰囲気なんですよ。
0波紋、という言葉が浮かびました。 ちゃぽんと音をなして、余韻にとり残される、 ひとりでそれを聴いている あるいはただじっと観ている。 そんなイメージが浮かびました かつて人の祖先はみずのなかを漂っていたそうです。
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