別枠表示
さよなら、ぽえむくん
もう何も書くことがなくなってしまった。というより、最初から書くことなど何もなかったのかもしれない。書くことがないのに書こうとすることに無理があって、その虚しい行為を今日の今日まで何となくやってきてしまった。外は今にも雨が降りそうで密度のある白さが空を覆っている。そして今まで書いてきたもののなかに、ほんとうのことなど何も書かれていないのだと思い始めていた。その記述されたものすべてがどことなく嘘くさく感じられて、というか、ちゃんと嘘だったということが分かり始めて、自分が信じてきた愛や思いやりみたいな、あまりにも生ぬるく非現実で夢物語なそれが、充電切れのスマホの真っ黒なディスプレイに吸い込まれていくのをじっと見ていた。窓の外ではいよいよ雨が降ってきたようで、歩いている人たちは傘を差しはじめた。雨が降る、だから傘を差す。当たり前のことだ。けれど”あっちの世界”ではどうだろうか。もしも雨や傘が目に見えない世界だとしたら。そこでは、どんな天気にも関わらず一人一人それぞれに勝手なタイミングで雨が降る。そして人々は思い思いの傘を差す。カッパを着る人もいるだろう。雨宿りにカフェに行く人もいるかもしれない。そして、わたしも自分が考える傘というものを差して立っている。けれどいま右手に持っているものは本当に傘なのだろうか? 何か別のものを空に掲げている可能性はないのだろうか? そしてそれを正しく空に向かって差せているのだろうか。自信がなかった。詩雑誌に掲載されたり、ネットサイトで賞をもらっても何ひとつ満足できなかった。それどころか、名前が載るたびに気持ちはどんどん虚しくなっていった。必死で文字を拾って空っぽな自分に文章を巻き付ける行為は、読み手に対して常に後ろめたい気持ちがつきまとった。それは読み物ではなくて、ただの包帯でしかなかったからだ。本降りになってきて窓に雨がぽつぽつ当たる音が聞こえ始めている。そうして書かれたものは、何か大切なことを言っていそうなだけで、結局のところ中身のない作品になっていた。そういうものは一番嫌いだったはずなのに、いつの間にか自分の書くものがそうなっていた。ぽつぽつ。そんな状態で拍手をもらったとしても、それは裸の王様以外の何者でもなかった。くだらない。何もかもバカバカしかった。ぽつぽつ。それでもプライドみたいなものはこころの内側にヌルヌルとついていて、それはひどくわたしをガッカリさせた。「にんげんだもの~。」窓際で座っているぽえむくんが足をブラブラさせながら言った。 ぽえむくんは中国の広東省出身だ。人気キャラクター達と一緒に工場で生産されて、最終的には台湾の士林観光夜市で売られていた。大量の偽物のピカチュウやドラえもんに紛れて、真っ黒な瞳のスポンジボブはただひたすら台北の夜空を見つめていた。その姿を見ていたら何だか日本に連れて帰らなきゃいけないような気持ちになって、10元で彼を買うことにした。本物のスポンジボブはもっと目が見開いているのだけれど、彼はオードリーの若林みたいな目をしていた。偽物のまなざし。瞳のはじっこで蛍光灯を反射していて、それがチープでキュートだった。そのスポンジボブが、わたしの部屋で突然喋り出したのだ。「みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまといふだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。」きっと有名なひとが書いた有名な作品の一部であるのだろうと思ったけれど、わたしにはそれが何なのかわからなかった。そして彼が突然話し始めたことにびっくりしてしまった。そのとき、玄関のチャイムが鳴る。来客は郵便配達員だった。「書留です。」玄関の隙間から見えるその淡いブルーの封筒には身に覚えのあったのだけれど、どうしても受け取ることができなかった。おおむねどんなことが書かれているか想像がつく手紙で、それが分かっているからこそ受け取れなかった。「それは私宛てではありません。」そう言うと、首をかしげて配達員は去っていった。「受け取らなくてよかったの?」とぽえむくんはまた喋った。夢を見ているのだと思った。そして彼は語り出した。 「君はさ、僕に話しかけるように詩を書いていたけど、ほんとうはすべて独り言でしかないよね。とっくに君はそれに気がついていて、だから誰かに手紙を宛てるかのように詩を書いた。部屋の壁をぼんやり見ながら、架空の人物をよく想像したね。それはある時、眠れない中学生の女の子だったり、病気の子どもを持つお母さんだったり、震災で妻を亡くした中年の男性だった。君は誰かを癒すことに興味があったみたいで、幼稚ながらもそういったものを一生懸命に書いていたね。けれど結局それは誰にも届かなかった。なぜだと思う? それは手紙ではなかったんだよ。ではあの文章は一体何だったのだろう。あの一連の文章はどんなジャンルだったと思う? カテゴライズできないような奇才的な文章ではなかったから、一応何かの類なんだろうね。君は一体、今まで何を書いてきたんだろう? そしてそれを知る勇気は持っているの? 君はさ、誰かを癒す文章を書いていると思っていたようだけど、それは違うんだよ。むしろ君自身が癒されたかったのさ。でも現実は上手くいかない。都合の良い彼氏は金で買えないし、心通わせる友人を作るのにも時間がかかる。君は、自分が誰かに言われたかった優しい台詞を詩に見せかけて書き続けていた。そうやってなんとか自分と言う形状を保っていたのさ。わかるかな? 君は不安が充満している深いプールみたいな場所に沈みかけていて、へたくそな平泳ぎをしながら顔を上げるたびに慰めの言葉を叫んでいた。誰かのためにと君は言っていたけど、その不安のプールとやらには君一人しかいなかった。”あっちの世界”とはそういう場所だからね。そうだ、けっきょく君は君自身へ手紙を書いたことがあるのかな。考えてごらん、君は君へどんなことを言うのだろう。今までは架空の人物に対して言っていたことを、自分自身に向けられることはちょっと怖いだろう。そしてそれを、素直に受け取れる自信はあるかい? 自分の弱さや愚かさが綴られたものを、君はどんな顔をして読むのだろう。おそらく、受け取ることさえできないんじゃないだろうか。そうして届けに来た郵便配達員に手紙を返してしまうんだ。僕はそういう、誰にも読まれない文章がたくさん保管されている場所を知っている。誰でも一瞬でアクセスできて、とても便利な場所なんだ。そこにいるとひどく寂しい気持ちになる。寝る前には決して行っちゃいけないよ。もしどうしても行かなくてはいけないときは、絶対に朝にするんだ。それも、とても晴れた気持ちの良いの朝にね。」 途中から、ぽえむくんが喋っているのか、自分が話しているのか分からなくなっていた。もしかしたら郵便配達員の声かもしれなかった。けれど、ぽえむくんも私も偽物だという点では同じで、どっちの台詞でも別に構わなかった。どちらにしろ夢の中なのだ、そんなことはどうでも良い。現実では雨が降っていた。みんなちゃんと傘を差していた。 遠くでピンポンの音が鳴っている。エアコンから吐き出される温かい空気が頬を撫でて唇の乾きを感じた。在宅勤務にもひどく疲れていたし、かと言って緊張しながら満員電車に揺られ換気の悪い都心の高層ビルでデスクワークをすることにも疲れてしまっていた。わたしに一体何の用があるのか。もう誰のラインにも返事をしたくないし、誰の言うことも聞きたくない。どこか遠くに行きたい。人がいなくて温かくて太陽の出ている場所に。ピンポンはしつこく鳴り続けていて、わたしは昼寝をしてしまっていることに気がついた。ぽえむくんは枕元に来て言った。「こころを整理する時間は、もうおしまいだよ。」その声で飛び起きて玄関ののぞき穴を見ると、再度、郵便配達員が家にやって来ていた。ドアを開けると、配達員は深々と頭を下げた。そして「すみません、読んでしまいました。」と言い、右手にはさっきの淡いブルーの封筒を手にしていた。封は完全に開いている。けれどそれは彼が開けたのではなかった。わたしがわざわざ封をしないで郵便ポストに投函したからだ。わたしたちの言葉は幼く、傷つきやすい上に何の面白みもなかった。そしてそれは誰に読まれるわけでもなかった。”あっちの世界”には、誰にも話せず誰も聞いてくれなかった言葉が大量に重なり合ってホコリをかぶっていた。それはすでに言葉ではなかった。記号が記号としての意味を失い、模様にすらなり損ねたむなしいログのかたまりであった。「何度も読みました。」そして、郵便配達員は帽子を取って深々とお辞儀をした。その瞬間、帽子のなかから大量の水が溢れ出した。 ずっと雨が降っていた。その溜まり続けていた雨水が帽子を介して部屋に流れ込み、わたしの体はあっという間に持っていかれた。何秒かの間に頭上まで達した雨水は波を打ち始めた。動揺している。へたくそな平泳ぎをしながら、何がどうなっているのかを確かめようとした。ブルーの手紙は寝室のほうへ流れている。そして遠くのほうで名前のないこどもたちも流されていた。潜っては顔を上げることを繰り返すうちに、マイムマイムの曲が聞こえてくる。明らかに”あっちの世界”が現実に流れ込んできていた。ひとつだけ、作品とは違ったものが流れていた。それは、何重にも編み込まれた青い毛糸の束だった。セーターの形を失い、糸同士が絡み合い太い太い綱となって垂れ下がってきていたのだ。それにつかまり、わたしは不安のプールから抜け出そうと試みた。もう何も書くことがなかったのではない。ただ単にセンスが失われていただけだった。マイムマイムマイムマイム。けれどわたしは泣いていた。くだらないものを書き、またそれを読む人がいるという、言葉を介してお互いの神さまを確認することが未だに行われているという事実に。涙がさらにプールの水かさを増していた。それでも、そういうことももう終わりにしなければいけない。詩には、詩としてもっとふさわしい作品があるはずだった。そのためにも、作品のなかにいるわたしを殺さなければいけなかった。漂うぽえむくんを左手でつかんで、わたしはぽえむくんの頭頂部の縫い目に人差し指をグッと入れた。彼を思いきって引きちぎると、たくさんの白い綿がつまっていた。「ごめんね。」やわらかい綿をちぎっては周囲に投げ、ぽえむくんがちゃんと死ぬことを願った。そしてわたしはさらに縄を強く引き寄せ、あたらしい詩が書かれることを祈った。
さよなら、ぽえむくん ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1880.2
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 6
作成日時 2020-11-14
コメント日時 2020-12-10
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 6 | 6 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 6 | 6 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
読みました。 そして受け取ったように思います。 他の人が読んだら、どういう感想を持つのかちょっと気になりました。 書くことと、自分に対してとても誠実ですね。 僕はそう思いました。 他サイトですが、ほとんどの人に評価されなくても、ずっと書き続けている人もいて、それはもう書かざるをえないのかな、と感じます。
1長尺ですが相田みつをやオードリーの若林など、読ませる工夫がありますし、郵便配達人や人形とのやり取りが興味深い作品とも思いました。自己批判と言えば強いのかもしれませんが、水があふれだすイメージから率直な感情が現れている最終連のバースに惹かれました。
1危険なほどに攻撃的なこの詩は、沢山の実名を引用しながら進んでいく、ネットしにのみ許された(?)作風だと思いました。
1トビラさん、こんにちは。 作品を読んでいただき、またコメントもいただきありがとうございます。 誠実かどうかは別として、誠実でありたいという願望は持っているのでしょうね。 またこれを読んで読み手がどう思うかはまったく気にしていません。 できれば酷評をいただきたいですね。この作品は完全なる不完全な作品なので。
0湯煙さん、こんにちは。 長い作品にも関わらず目を通していただきありがとうございました。 説明的な割に空想的な文章でしたので、ていねいに読んでいただいたのだなと思っています。 最終連ももう少しどうにか上手く書けたよな、と思っていたのでそのような感想をいただけるとは思っていませんでした。 どうもありがとうございました。
0沙一さん、こんにちは。 >夢物語に辟易していた作中主体をかえって夢物語=本作にとじこめているかのようにさえ思えました。 なるほど、それは考えつかなかったです。貴重な感想どうもありがとうございました。 ポストぽえむくん的な、あたらしい詩はなかなか書けないでしょうね。 それでも諦めることはあまりしたくないなあと思っています。
0うるりひとさん、こんにちは。 確かにネットでしか許されない表現になっていますね。 自分では全然気がつきませんでした…笑 貴重なコメントどうもありがとうございます。
0私はたぶん液晶画面の中の文字列を読むのが苦手という理由で長い作品を読むのが苦手なのですが、最後まで読めてよかったなと思いました。とても好きです。 世間様から見て中身のあるよい作品を書けているかどうかという話は横に置いておきますが、書いても書いても中身のない軽薄なものができあがると自覚するとき私は、「今そういう状態なんだなあ、私」と思います。だから語り手の焦燥感みたいなものにはそこまで共感できないのだけれど、書けるってすごいことだなって思っています。
0"ぽえむくん"なるメタファーがやや安っぽく感じます。それは自作を俯瞰できないはずなのに俯瞰してしまっている視点が失敗しているのと相まっています。この分量の割に作品が目指そうとしたものの飛距離が出ていないような感覚もありました。酷評が欲しいとのことなので、自分を棚に上げた発言ご容赦ください。
0