人は何を思い、何を成して死んでゆくのだろう。
車窓を横切っては生まれる夜景は、人々の労苦の天の川だろう。
艶の入った窓ガラスが、無口な私の横顔を色付ける。
誰もが望遠鏡で生き様を辿るその間にも
電車は頑なに私を揺さぶる。
閑散とした帰路に一切の塗り絵はなく
ただひたすらに生命と、生命以外の夜がある。
私だってそうだ、帰路の一部として歩む景色だ。
例えばそう、腐り果てた小さな町工場には
今なお生っぽい汗の匂いがする。
踏まれ慣れた雑草は靴の味を語り合う。
それら全てに余裕があり
私達は拡大された己の模様を考えている。
世の中が全て学問で語られるようになり、
私達は皆、詩を忘れた。
帰路はもう終わりを迎えようとし、
すなわち、この文章も在るべきところへ帰す。
私達が学問で全てを語り合っている時、
帰路は、ただの帰路でしかなかった。
作品データ
コメント数 : 10
P V 数 : 1858.5
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 5
作成日時 2020-11-08
コメント日時 2020-12-01
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 5 | 5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 5 | 5 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1.7 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 1.7 | 1 |
閲覧指数:1858.5
2024/11/21 23時21分30秒現在
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なんだか、景色と言葉と…境界性のなさを感じましたっっ。
0僕にはこの作品が、 生と死 作品と、その鑑賞者の関連性のように感じられました。 作品が論理や理屈で語られ過ぎて、 感動する体験が、失われてゆく場合が往々にしてあったと、思うのです。 帰路は、ただの帰路でしかなかった。 から、冒頭の 人は何を思い、何を成して死んでゆくのだろう。 というところに遡ると、何か深い余韻のようなものを感じるのです。 僕は詩人ではないので、深い言葉の論理には疎いのですが、 二連目?の閑散とした風景や、もろもろの言葉に、むしろ生のイメージを感じます。 そこに気づくとこの作品全てが生きる事を、描写しているようにも思えるのです。
0ふじりゅうさん、はじめまして。 >私達は拡大された己の模様を考えている。 この一文がとても素敵だなと思いました。 昔からそうなんですが、わたしの作品は「わたし」の存在がひどく大きくて それは自意識過剰なんだろうなあとは思うのですが そうなってくると自分を一度解体してもう一度眺めてみるというような 自己を俯瞰して見つめようと試みるんですよね。 (結局それって「わたし」から逃れられていないのですが) そういうとき、「自分の模様を拡大して考えている」という言葉がぴったりだなあと思いました。 (抽象的なはなしで申し訳ないです。) どうして生きているのか。なぜ、生命と生命以外の夜があるのか。 そういうことを突き詰めて考えることは少し辛いような気もしますが、 なんだかとても大切なことのように思います。
0ありがとうございます。まともな詩を書こうとして、から回ってしまったようです。 声に出した時の音は普段からほぼ意識していないのですが、音が重要な作品かどうかの見極めも大切であることを思いました。
0ありがとうございます。お楽しみ頂けたようで嬉しく思います。
0ありがとうございます。詩人の多くは生と死について考えたり、それについて書いたりするものだと理解していますが、私もまたその内の一人でもあります。 理論は大切なものですが、理論がメインとなってしまうことのつまらなさを書こうとしました。理論や理屈の底に眠るものが熱い感情や、ともすれば子供っぽいと言われるような言い分であるかどうかというものが、何かを伝える鍵なのではないかと思ったりしています。
1ありがとうございます。確かに、色んな要素を中途半端に書こうとしてしまった節はあります。最近は詩を頑張って書いたり、読んでもらおうとする熱意があまり無かったように思え、反省すべきところだと思います。
0ありがとうございます。作品を読んで、筆者の考えたことはこうだ!などと読解するより、私はこう読んだ!という読み方の方が作者冥利に尽きる感じがします。 己の模様を考えたりする行為だけでひとつの作品が書けそうですので、その意味では簡単に書きすぎた感じもしますが、読み手に何かしら想像を与える事が出来たようで嬉しく思いました。
0良い詩。ふじりゅう氏がクリエイティブライティングに挑戦している作品を幾つも観たが、これはスマートでナチュラルな現代詩としてかなり完成度が高いのではないか。これは筆者と作品を繋げていてある種余りいい評価のしかたではないかもしれないが、現在ふじりゅう氏は病気療養中で仕事も休みがちだと聞いている(回復しているのなら失敬)。それがためかあるいはふじりゅう氏に元々そういう資質があったのか、この作品は人生を俯瞰し同時に横目で憂いげに見ている印象がし、作品をより奥深いものに仕上げている。刺激的でもある人生から一度距離を置くことによってはからずも良作を生む視点が芽生えたといえよう。言わば怪我の功名。なかなかの良作である。この作品の文脈に沿って言えば私のこの講評もまた帰路の一つでしかないのだろうが、景色の一つとしてここに書き記しておく。
0伝道の書を思い出しました。 厭世観がいいと思いました。
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