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涙
僕がこれから執念深く言うことが全然美しくなく不愉快だからといって 涙を流したり嘆いたり怒ったり挫けたりしないで下さい 僕、醜いものを見ると涙が出てくるんです 泣かれると困るって言われても、僕の方でも困るんです 僕、醜いものを見ると涙が出てくるんです 弱虫、変なの、男のくせに、失笑する、とか言われても 僕、醜いものを見ると涙が出てくるんです そんなに簡単に泣かれると仕事にならないと言われても 僕、醜いものを見ると涙が出てくるんです もしあなたの前で僕が泣いても怒らないで下さい あなたが醜いのは多分どうしようもないのですから 言い逃れなんかではありませんよ 僕、醜いものを見ると涙が出てくるんです 僕、醜いものを見ると迂闊にも涙が出てくるんです でも僕が泣いてしまうのにはわけがあるんです たとえば股ほど汚いものが生命にかかわっているというのに なぜ皆さんは泣かないのですか これだけでも大量の涙が出るのに十分ではありませんか 僕、醜いものを見ると涙が出てくるんです でもどうかお気になさらないで 僕は真実に怯える虚構か、虚構に怯える真実か ちょうど、にせ十字を見せつけられた時に涙を流す神父のようなものなのです もしかすると両方とも真実か、両方とも虚構なのかもしれませんが 皆さんが見ているのはこれなのです このような関係にそれほど害があるとは思えません だから僕が泣いてもあまり傷つかないで下さい 僕、醜いものを見るとどうしても涙が出てくるんです 僕、本当は涙を抑えたいんです でも涙の鎖はどうしたら断ち切ることができるのでしょう 涙を流すこと自体が醜いのですから 僕、醜いものを見ると涙が出てくるんです あはは、僕、本当はうそ泣きをしていたんです 僕、本当は汚い股やにせ十字やうそ泣きが大好きなんです 生きることや死ぬことが大好きなんです 真実とか虚構とかって言ってみることが大好きなんです 僕の涙なんてとっくに涸れているんです 泣きすぎてしまったのです 醜いものを見た場合ばかりでなく美しいものを見るとと言っても同じこと 悲しい時、つらい時、くやしい時、怒った時、苦しい時、痛い時、怖い時にも 僕が流す涙はもはや心からのものなのかどうか疑わしいのです それは単なる反射的排泄物だと言えば良いのではないか 昨日歯医者で僕の目から出た涙に 心なんて伴っていなかったのを思えばこそ
涙 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1062.9
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2020-11-04
コメント日時 2020-11-06
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
醜いものを見ると涙が出る。それは何の執念か。 どうして、「悲しい時、つらい時、くやしい時、怒った時、苦しい時、痛い時、怖い時」ではなく、醜いものを見た時に、涙が出るのか。 普通とはかけ離れた感情を、突きつけられて驚いている。 驚きから考え始める。 どんなに涙を流しても、それが本心だと証明する手段がない。その問題に主人公は囚われて、抜け出せなくなっている。当たり前に普通の人が信じている涙の意味が、わからなくなって苦しい。そんな悲鳴が、繰り返しのリズムで増幅されている。 そんな主人公は、歯医者で涙が出たからそう思ったのだという。 真剣なようで、真剣じゃないかもしれない。でも、いくら問題から目を背けても真剣に考えてみるとわからなくなる。その闇は消えない。
1コメントありがとうございます。 この拙作は「僕、醜いものを見ると涙が出てくるんです」という私にとっては自然な動作を表現した一文を基礎にして、論理的に破綻しないようにと願いながら展開させて作った詩文です。なので、この基礎になった一文が揺らぐと全体が揺らぎます。それが現実のことになったようです。つまり「醜いものを見ると涙が出てくる」ことが読者にとって自然なこととは思われず、普通とはかけ離れているようで驚きを感じるということになったのです。しかしながら、このことによって全体が崩れたのではなく、揺らいだだけであったのは幸いでした。 最後のあたりで私は問題を涙一般のことに拡げました。どんな場合の涙でも「僕が流す涙はもはや心からのものなのかどうか疑わしい」として、すべての涙を闇に投げ捨てたのです。だからこの作は、何かを解決して結論づけたものではなく、煩悶そのものを描いたものです。私の力不足からか、どうしてもあのような結び方になってしまったというのが本当のところです。
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