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竹林にて
竹林にて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2069.6
お気に入り数: 2
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2020-11-03
コメント日時 2020-11-28
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
かぐや姫の出てこない竹取物語。しかしそれが、リアルで面白い。竹林の情景、竹の生命力が鮮明に感じられた。きらびやかな姫など必要ない。 自分の中に空洞を見る。空洞だからこそ、どんなものでも入る。 無から意味を見出す禅的な深淵さも感じられる。
1読んでいただきありがとうございます! 竹の生命力を感じてもらえて嬉しいです!
0竹の空洞の生活感や活きのいい空洞という所にユーモアがありますね。竹を割って生き物でなくなったものを観ながら、竹箒をつくる過程を思いながら竹林に立って読んでいたいような佇まいを感じます。
1竹を観察するうちに、「日常を生きる」ということを共通項として、その客体である竹が主体に接近してくる、そうした気づきをレトリックとして表現できている作品だと私も読めました。 >でも鉈で割ったら空洞は死んだ 一連目では「死」についても取り上げていますが、竹の死は語り手自身の生命とつながることはあったのか、なかったのか……。そういった意味で語り手の設定が気になりました。(ひらがなの「ぼく」としているのも何か関係がありますか?)
1何十年も戸に鍵をかけていた学校の部室を建て替えのために開けたらついさっきまで部員がいたかのようにきれいで埃一つ積もっていなかった、っていうネットの恐怖話を思い出しました。この話、ずっと記憶に残っていて折に触れて探しているんですけど、全然掲載されていたサイトが見つからないんですよね。 生活感、生命力、そういった、具体的な形を持たないが確かに我々が感じることができるものは、いったいどうして感じられるのか。何をもってそれが在ると認識しているのか。そんなことを考えました。
1読んでいただきありがとうございます! ユーモアを感じてもらえて嬉しいです。ありがとうございました!
0読んでいただきありがとうございます! 竹の死と語り手の関係についてですが、なかったですね。なかったというか表現しきれなかったというべきか。 今にして思えば深堀できた箇所に思います。 死んだ空洞の呆気なさと語り手の中にある虚しさみたいなものを繋げたかったところはあります。 今後の参考になります!
1読んでいただきありがとうございます! 生命を感じるなにかを表現したかった面はあるので嬉しいです!
0竹は不思議で、なおかつ恐ろしい生き物だと思います。竹林があれがたった一つの株なんだそうで、一本一本が実は幹ではなく株の枝に過ぎないのだという話を思い出して、あの空洞がとてつもなく恐ろしくも壮大な竹の意志の現れのような気がして、その意志に飲み込まれてしまったような気がしました。
1実際に竹林を感じるような、カラフル感がありました。
1空洞は何も無い空間ではなくて、空が充満している状態だと書いたのは誰だったか。そこに命なりなんらかの存在を見出すヒトの想像力はかぐや姫といわず刀の鞘に宿る魂や虚ろ舟といわず古代からつづくものだなと思わされました。生命感を感じます。
1読んでいただきありがとうございます! 竹林が地下で繋がっててそれも中は空洞が連なってる不思議な植物ですよね。 竹の生命力のようなものを感じてもらえたらと思って書いたとこはあります。 ありがとうございました!
0読んでいただきありがとうございます! 色を感じてもらえてよかったです! ありがとうございました!
0読んでいただきありがとうございます! 何も無いのとは違う空に宿るものを感じてもらえてよかったです。 ありがとうございました!
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