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無人駅 ~ジョバンニ発、カンパネルラ行~
* 哀しみは、この駅の1番線に到着し、9番線から出るという。無人駅は、待つ人は疎らで、降りる人ばかりがやたらに多い。1番線にやって来る列車は日に何本もあるが、9番線からは滅多に出て行くことがない。俺はそんな無人駅で、一人きみを待っている。 君がいま、小さな切符を手にしているのは、大きな決断をしたからに違いない。きみを乗せた列車は、今どの辺りを走っているのだろう。いつだったか、君が、「駅のベンチって、公園のベンチより冷たく感じるけど何故どうして?」と訊いたのを、俺は今、思い出している。 切符を買った瞬間から、ひとは、駅と駅の間をただ移動するだけのモノになる。ただそれだけのモノが座るイスは、どこか寒々とした景色の感触を持つのだろう。俺には、東京駅も、新宿駅も無人駅だ。 君は今、どの辺りを走っているのだろう。ホームの下に、モノと化した俺達を繋ぐレールが見える。その数千円数百円のレールから軽やかに、モノでない君が、俺のホームに降り立って笑いかけるのを待ちながら、日に何本も到着する1番線の列車を背中に見ている。もうすぐ、君の到着する時刻だ。そしたら、同じ行き先の切符を買ってふたりで心から笑い合おう。 *
無人駅 ~ジョバンニ発、カンパネルラ行~ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 895.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-21
コメント日時 2017-08-31
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
:Artist Statement: タイトルに関してだけ簡単に補足します。 「カンパネルラ」というのは、いうまでもなく『銀河鉄道の夜』に出てくるキーパーソンですが、名前の由来について、宮沢賢治が当時読んだ、大西祝『西洋哲学史』に乗っていたルネッサンス期イタリアの哲学者Tommaso Campanellaからであろう、という説があります。 この人は、靴職人の子でしたが、幼少から知能と記憶力にすぐれていたそうで、のちに書いた『太陽の都』という理想郷(ユートピア)を描いた著作が知られています。 カンパネラは弾圧されましたが、亡命先の仏ではインテリの間で時の人となり、投獄された思想家としてソクラテスに擬して評されたりしたこともあるようです。危険を承知でガリレオの弁護をしたりする、そんな所を賢治は気に入ったのかも知れません。 銀河鉄道のカンパネルラが、このカンパネラだという説を追っていくと面白いことに、〈Tommaso Campanella〉トマゾ・カンパネラが修道士になる前の洗礼名は(Giovan Domenico Campanella)ジョヴァン・ドメニコ・カンパネラなんだそうです。(但、賢治が知っていたかは不明) というわけで、《ジョバン二と、カンパネルラは、同じ人だったのかも知れない》というその予備知識だけ、この作品のタイトルを読むときに、若干必要になるイメージの膨らみになっています。 また、 ご存知のように、イタリア語の「カンパネッラ」は、英語の「ベル」=鐘という意味なので、もちろん、それもイメージのなかに含まれています。 それは、作者が自身をカンパネラに重ねているという意味ではなく、 サブタイトルを《私からハァモニィベルへ》とも置き換えうるという意味であり、 それを踏まえて、もう一度作品を読んで頂くと、現代人に語り掛けているこの詩が、 書き手が作者へ語りかけてもいる、という、もう一つの意味も感じていただけるのではないか、 と思います。 この他にも、様々な意味を読み込んで頂けれると幸いです。 この散文詩は、信頼できる人の到着を待っている作品ですから。
0〈待つ人は疎らで、降りる人ばかりがやたらに多い。〉のは、哀しみを引き受けて旅立つことよりも、そこから下りてしまうこと、抱えていくのを放棄する人が多い、ということなのかな、と感じました。 群衆の中の孤独。生きている、ということが、必然的に引き受けなければいけない孤独。それを淋しい、と取るのか、自由、と取るのか・・・。失われた片割れを追い求めるというイメージは、あるべき自分と今ある自分の乖離でもあるでしょうし・・・1と9、かけ離れているようでありながら、すぐ隣り合う不思議、生と死、始まりと終わりが、同じホームで連結されている、そんな不思議も思わせます。 〈小さな切符〉と〈大きな決断〉。それは、詩を書く、という切符を手にした、たくさんの〈君〉への呼びかけでもあるのかもしれませんね。 〈もうすぐ、君の到着する時刻だ。〉で止めず、さらにその先の希望というのか、期待を記すあたりの・・・そのこころ、を知りたくなりました。
0花緒さん 読んで頂き有難うございました。 >最終行などはちょっとスウィートが過ぎるかもしれない。 待っている相手が、必ず来てくれるなら、本当に、Sweet なのですが、 待ちぼうけ、かも知れない。 その点では、かなりの bitter も覚悟した、そんな寂しさもありますが、 花緒さんの到着で、だいぶ和らぎました。 * * まりも さん 読んで頂き有難うございました。 >1と9、かけ離れているようでありながら、・・・ 地方の駅だと、同じ「〇〇線」が、バラバラのホームに発着していて、(東京の路線に慣れている私は)戸惑います。来た時のホームと、帰るときのホームが全然違って、やたら離れてたりして。 同じホームなので、〇〇線だと思って油断していると、「△△行」と「▲▲行」が、時間帯によって入れ替わったり、「●両目」からは、あり得ない遠方行きだったり・・・。油断すると、完全に違うルートへ運ばれてしまいます。慌てて降りても、今度は、戻りの電車が、1時間以上来ない・・・。地方駅のそういった事情を、踏まえて、本作は書かれているので、都心の線路に慣れている人は、読んで戸惑うことだろうと、思います。(本作では、不思議な味、として使いました) なので、地方駅では、同じ路線が、かけ離れたホームを使っていたりします。 そして、地方駅でも、1番線と2番線は、共通のホームを使い、その両側です。 ですから、本作でも、 >日に何本も到着する1番線の列車を背中に見ている。 ということは、この作中の「俺」は、 1番線(=哀しみ)を背に、 2番線(=喜び)の方を向いて座っている(到着を待っている)わけです。 すらすら読める文章だと(かえって浅く読まれがちではありますが)、 テクストをしっかり読んでもらうと、その辺りが読み取れると思います。 誰でもいいわけではない。けして、ありふれてない 「モノでない君」(=君でなければならない君) の到着を心待ちにしている、 ・・・そんな、都市の無人島に漂流している独りの男のうたです。 *
01番線に到着し、9番線から出るということは、入り口と出口が違うということ。そして、待つ人=どこかへ出発する人、降りる人=どこかからやって来た人であり、出発する人よりやって来た人の方が多いということ。そんな駅で、「きみ」という存在を待つ俺。 きみはどこかを出発して、無人駅=ここにやってくることを俺は待っている。けれど、どこかを出発したことは知りながらも、ここで降りるか、ここを通過してしまうかはきみ次第である。待つことしかできない俺は、きみとの新たな物語=エピソードが生まれるわけではないから、過去のエピソードを思い出す。ベンチの温度について。 切符を買うというのは目的ではなく、手段であって、どこかへ行くための手段である。そして、どこかへ行くために座る椅子もまた目的ではなく手段である。そうした、ただの通過点にしかない手段は冷たいものであり、公園というのは、目的地にあるものであるから温かいのだろうか。 きみはどこかを出発して、どこで降りるかはわからない。だから、どの辺りを走っているのか、つい心配になってしまう。俺はただ待つばかりの人であり、ここへやって来るものをひたすら通過させる。つまり、それは感情を持たないから哀しみでも何でもない。冒頭に戻れば、哀しみは1番線に到着して、9番線から出るのだから、乗り換え=寄り道が必要になるのだろう。そして、きみがこの駅に到着したら、切符を買ってまたどこかへ行くという。それはつまり、きみにとってのこの無人駅はただの通過点でしかないということなのだろうか。 この作品では、きみが到着するだろうという俺の予測しか描かれておらず、本当にきみがこの駅に来たのかは定かでない。「日に何本も到着する1番線の列車を背中に見ている」ということは、ここ=きみを待っている場所はきっと1番線ではない。1番線に来る列車より少ない9番線に来る列車を待っていて、背中越しに1番線に来る列車をやり過ごしているのだろうか。この「背中に見ている」という表現が重要ではないかと感じた。 それにしても不思議なのは、無人駅に1番線と9番線があるのだろうかということ。この世界が全体として比喩であったとしても、俺が待つホームというのは、1番線なのか9番線なのか、そして、きみが乗って来るのは1番線なのか9番線なのか。その捉え方が非常に重要ではないかと思いながらも、考察を終える。ただわかるのは、哀しみは1番線に来て、9番線から出ていくということ。その間には、寄り道なり、乗り換えなりがあって、同じ場所へ向かって/帰っていくわけではないということ。同じ姿でかえっていかないということである。
0なかたつさん 丁寧に読んでいただき有難うございました。 >1番線に来る列車より少ない9番線に来る列車を待っていて、・・・ このホームと列車(路線)の不思議な関係(つまり、同じ路線が離れたホームに存在する)については、地方駅の事情として、まりもさんへのコメント返しのなかで説明した通りです。 (電車が来たのになかなか扉が開かないのでどうしたのか、と思っていたら、じつは、自分で開けなければいけなかった、等、トラベルミステリーのトリックは多く、ここでも) 無人駅の1番線に到着した電車、哀しみ本線は、無人駅からは、違う名前の《○○線》ー思い出特急とか、トラウマ・ライナーとかーに、なぜか、当然のように切り替わるのです。 どんな哀しみも、どんどん出て行ってあとに残らない駅を利用している人もいるでしょうし、 悲しみは来ても、哀しみは一度も見たことがない人たちもいるかもしれません。でも、 本作の駅では、 1番線という頻繁にやって来る(哀しみ)は、まるで此処が終点のように、 やって来るばかりで、なかなか、9番線から出て行ってくれない。 (いつまでも1番線に停車している。でもよさそうですが、それだと、新たな哀しみが追加される様子が表現できず、他のホームまで哀しみが占領することになれば、異様な哀しがりということになってしまいますから) そして、何線を待っているか、については。 >「背中に見ている」という表現が重要ではないかと感じた。 おっしゃる通り、さり気なく置いた読解上の重要ポイントでした。 1番線に背を向けて座っていますので、2番線の方を向いている。 2番線は、(哀しみ)とは反対の意味をもち、「君」がやってくる路線。 無人駅には滅多に入ってこないか、通過するだけの、(喜び)本線 ということになります。 >不思議なのは、無人駅に1番線と9番線があるのだろうかということ。 そう、通常、無人駅は、鄙びた小さな駅ですからね。 なので、これも本文にさり気なく 「俺には、東京駅も、新宿駅も無人駅だ。」 と入れておきました。地方にも大きな駅はありますので。 >この世界が全体として比喩であったとしても、 >俺が待つホームというのは、 >1番線なのか9番線なのか、 このあたりに関して 最後になりますが、本作は、多様に解釈できるようにも書いてありますので、その1例に触れてみます。 1番線は(哀しみ)がやって来るところだから、「俺」は直視できずに、背中を向けている。 でも、その1番線に乗らなければ「君」はこの無人駅に到着できない。無人駅の1番線は、そこで(哀しみ)本線であることをやめ、大抵は回送(回想)電車になるのだが、「君」の到着するその日のその時刻だけは、特別、誰もが乗れるわけではない《銀河鉄道ライン》へと切り替わり、そこから新たに出発(飛翔)する。だから、「俺」は、「君」の乗ってくる哀しみの列車が停まるのを、そこで、今はじっと待っている。 銀河へと繋ぐ列車に乗り、ひときわ大きな、あるいは、ひどく小さな、それでも《星》に、 なるために。 以上の例のごとく 本作の《無人駅》が、銀河鉄道の発車する駅でもありうるように、 多様な読みを誘うべく、サブタイトルにもイメージが添えてあります。 * 「哀しみ」は、哀しみであって、悲しみではない、など、 読みどころがポイントとして幾つかある作品ですが、誰も到着しないかな、 と諦めていたところに、よき人が来てくれて嬉しかったです。
0返詩cultureを活用させていただきます。 title〈カムパネルラの友達〉 「きみのいうことは難しすぎて分からない」 そう項垂れて、やっとのようにカムパネルラは独白した 「ねえ、ぼくは猫と遊ぼうとしていたの。ふだんよく見掛ける通りで、猫がぼくの後ろを追っかけてきたの。そんな人間みたいなことするなんて、ほっとけないじゃないか?」 ……きみには友達がいるだろう、 ……何だってわざわざ猫なんだい 「それが不思議なことにね、その猫のすがたは真っ黒で痩せ猫で、それを見つめたとき、ああ、ぼくは「銀河鉄道の夜」を読んだことがなかったのだ、と、思い出したのだ」 ……呆れるね ……僕のほうこそ、君という人間はややこしくて分からないよ 「どうやら毒で洗った心が健在なようで、命拾いしているのさ。きみともまだ話せるようだしね」 ……訳が分からないな 「銀河鉄道の夜」を読み終えてから話しかけてほしかったな 「だって、そら、天の川はもう流れていってしまったじゃないか。来年また天に川が現れるまで、ぼくは来られそうもないからね」 そういうと、カムパネルラはキラキラキラっと不思議な笑い方をした 土管の上段で足をぶらつかせていたその姿が ゆっくり夜闇に透けていった 一匹の黒い痩せ猫が、タタッと煤けた土管にかけ上がると、 尻尾の先をくるくると巻いて、細い細い月夜の始まりをじっと待った。
0渚鳥ならぬ 渚鳥s さん //返詩への返詩です//* title〈 美しい友達 〉 痕跡のような細い道を通って やっと、此処まで来たという ガス灯のなかに浮かび上がった彼の姿は まるで海の底であり、洞窟の内部だった 透明な建築物のような孤独がそそり建つ この場所へ。無邪気な装備を抱えただけで 彼は転がり込むように現れて、息を吐きながら 「居合わせるよりほかにないよ」とだけ、言った。 彼は此処までの道中、ネコを二匹拾った話をした。 一匹めは、頭の左がわが半分ないネコだった。 ゴットリープと名付けたが、好き嫌いの激しいネコで 付けられた名前が気に入らないらしく、すぐ居なくなった。 二匹めは、眼が両方無いのか、じっと眼を閉じたままの 真黒なネコで、なのに、しっかりモノが見えるのだった。 クローチェと名付けて、可愛がり、さっきまで居たのだが、 と周囲を探し始めた。「昔飼っていた芭蕉という鳥もね……」 と、彼は何か思い出したらしく、しみじみとした眼差しで 「新しみつつ寂しむほかにないのかな」とだけ、言った。 *
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