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寓話『お城の王様』
ある街にお城があった。万里の長城のような壁に囲まれた、一個の国のような街があった。お城はその中央に灯台のようなシンプルさで立っていた。というより実際、それは灯台のようなもので、街を包み込むように張り巡らされた城壁とは釣り合わない、一本の華奢な塔だった。しかし人々はそれをお城と呼び、お城には長い階段と小さな部屋と大きなバルコニーだけがあった。部屋には何もなかったが、そこから街の全てが見渡せた。お城には一人の王様がおり、人々は彼をお城の王様と呼んだ。 その街で人はありとあらゆる活動をしていたが、それで人々は幸福であったか不幸であったかは伝えられていない。しかしながら街は溌剌としており、何より活気があった。 ある朝、商人がお城にやって来て言った。「私は夜に帳簿を見つめながらではなく、朝に人々と話しながら価格を決めるべきでしょうか。」 「せよ」、と王様は言った。 次に、軍人がやって来て言った。「私は今ないもののためでなく、今あるもののために痛みを受け入れるべきでしょうか。壁を壊す技を直す技として使うべきでしょうか。」 「せよ」、と王様は言った。 また、売春フがやって来て言った。「私は恵まれない人に我が身を、神のスフレのように差し出すべきでしょうか。金貨に祝福された刻々の間に、一日に一人。」 「せよ」、と王様は言った。 職工がやって来て言った。「私は自らの探究心と、人々の生活と、森の自然の全てに尽くすべきなのでしょうか。」 「せよ」、と王様は言った。 金貸しがやって来て言った。「私は自らの歩みのためでなく、人々の歩み、街の流れのために足を止め、市場の人々と混ざり合うべきでしょうか。」 「せよ」、と王様は言った。 そして農フがやって来て言った。「私は今日も土に鋤を入れます。」 「せよ」、と王様は言った。 人々はバルコニーから街を見渡し、束の間物思いに沈むと、ふと顔を上げ、部屋を出て階段を降り、街へ帰った。来客がないときの王様はバルコニーでただ風を感じた。風の囁きには王様も、ただ何も言わなかった。 *** 街とお城ができる前、この土地は砂漠だった。この砂漠を歩き続ける一人の少年がいた。一羽の鳥になって上から眺めれば、彼が砂に絵を、砂漠に地上絵を描いていることが分かった。杖を引きずりながらゆっくりと、風と雨に掻き消されながら何度も、少年は砂漠に地上絵を描いていた。 ある時、もうそれは百度同じ絵が書かれは消された後だったが、一人の賢人が砂漠を通った。杖を引いて歩く少年に目を止め、何を思ったか、三日三晩見続けた後、三日三晩物思いに沈んだ。そしてふと顔を上げて立ち上がり、少し歩いて行って帰ってくると、手にしたレンガ大の小岩を、少年の引いた線の上に置いた。 賢人は言った。「これをここに置けばいいのかね。」 「せよ」、と少年は言った。 それから千人の人々が後に続き、そうして十年で街ができた。余った岩々で塔が建てられ、人々はそれをお城と呼び、そこに移り住んだ青年を人々は王様と呼んだ。それから数十年で人はこの街でありとあらゆる活動をするようになり、幸福と不幸は等しく繰り返された。私はそれをずっと見ていた。 *** 人がありとあらゆる活動をする活気あるこの街には、裏門と呼ばれる門がある。これは人が出入りするためのものではなく、ただ出ていく時のためのものだった。 数ヶ月に一人か二人、この門を通る者がある。彼は職工のデ子だったか、一端の金貸しだったか、それとも将校か一兵卒あるいは売春フであったか、とかく心に謎か秘密、またはしこりを隠した人々がそこを通った。 裏門へ行く人はそれと分かる。街の仕事が手につかなくなり、物思いに耽り始める。熱に浮かされたように喋り続ける者もあるが、暫くするとひとり沈黙に住むようになる。きっかけは余りにも人それぞれで、説得や懐柔は彼らの意志を固くするのみらしく、ひとり沈黙を過ごすようになって数日あるいは数年経つと、ある朝ふと、今日がその日だと分かるらしい。誰も居ない夜明けの通りを裏門へ、彼らはひとり歩み行く。裏門を出るとき、何処へ行くかの確信は必ずしもないようだ。 この門を通った者は帰ってこない。多くの者はそのまま裏山と呼ばれる山に行く。一日歩き、オアシスを抜け、また一日歩くと裏山に辿り着く。大体の道は足跡が教えてくれる。時たまぽつりと砂漠に消え去る者もあるが、それは本当に稀だった。 その禿山というか岩山には、たくさんのお城が建ち、たくさんの王様が居た。少なくとも彼らはそう呼び合っていた。山肌に張り付いた小屋をお城と呼び合い、いばらの冠を王冠とし、お互いを王様と呼び合った。 裏山の王様も限られたことしかしなかった。誰かがひょっこり小屋から顔を出して四方に「いいお城ですね」と言うと、四方の人々もひょっこり顔を出して「いいお城ですね」と言い、そうして「いいお城ですね」の大合唱をする。それが日に百度は繰り返され、人々はそれ以外の時間には、いばらの冠の手入れをしたり、オアシスに水を浴びに行ったりした。山のどの高さに居るかで階級が表されているようでもあったが、それがどのように決まるのか彼ら自身にも明確ではなく、それによって生活が変わる訳でもなかった。その営みは暦のように厳格で、いつまでも終わりのないように思えた。 街の人々もそのことは聞いていた。街々を目指して砂漠を行くキャラバンが、途中で出くわした不思議な人々のことを、時折この街で話すのだ。街の人々はいつも沈黙してその話を聞き、束の間物思いに沈んで、ふと顔を上げて自らの仕事へ帰った。 *** オアシスを挟んで街と裏山はただあった。もう本当に長いことそうしていた。街は活気に溢れ、オアシスは澄み、裏山では合唱が響いた。だがある日、街がいつも通りに活気始めたある朝、裏山は静寂に満ちていた。人々は同じ方向を見つめ沈黙していた。オアシスの向こう城壁の内側を、小屋の中から座ってじっと見つめていた。 正午を過ぎ、陽が傾き始めるまで静寂は続いたが、ふと、一人の王様が小屋から出てきて、自らのお城を破壊し始めた。破壊の音は四方に拡がり、破壊もまた四方に拡がり、裏山は狂乱に満ち、半刻の内に全てのお城が破壊された。禿げた岩山は瓦礫の山となり、いばらの冠は地に打ち捨てられた。そこで人々は束の間物思いに沈んだ。そしてまたふとオアシスの向こうを同じように見つめ、静止し、唐突にそして一斉に走り始めた。人々は黒い塊となった。 熱を持つ黒い塊は走り続け、半刻でオアシスを越え半刻で街に着いた。破壊しながら裏門をくぐり抜け、そうして街へと躍り出た。黒い塊は身体を揺らして四肢を伸ばし、あらゆるものを破壊しながら進んでいった。街の人々は思い思いの反応と行動をした。ある者は逃げ、ある者は紛れ、ある者は旧友あるいは肉親をそこに探した。黒い塊は一点を目指して街を依然として破壊しながら進んでいった。 黒い塊は大きさを増して塔に着き、下から見上げて「いいお城ですね」と大合唱した。人々も王様もそれを聴いた。王様は上から見下ろしていて、苦しそうに、しきりに何かを呟いていた。黒い塊は合唱し続けていたし、塔にはかなりの高さがあるので、王様の声は地上には届かなかった。 王様は束の間物思いに沈んだ。そしてふと顔を上げ部屋を出て階段を降り塔を出た。そうして黒い塊に対面した。黒い塊は大きくゆっくりと王様に、「いいお城ですね」と言った。一人一人の目を見ると忙しなく動いていた。王様はやはり苦しそうに、しかしながら優しい眼差しで、「もう何もせずともよい」と言った。街の人々も黒い塊もそれを聴いた。その時誰もが悲しそうな目をしていた。 瞬間、黒い塊は蝿のようにわらわらと散り、王様を飲みこむようにしてまた黒い塊になった。暫くするとまた蝿のように散り散りになって夕闇に消えた。王様はいなくなっていた。街の人々はそれを見ていた。そして誰もが不安そうだった。 街が活気を失いかけたその瞬間、一つの声が街に響いた。 「王様だ!」 人々は塔を見上げた。バルコニーに人影があり、街を見下ろしていた。 もう一人の誰かが塔を指差し、 「王様だ!」と言った。 すると幾人かが塔を指差し「王様だ!」と言い、 やがて人々は「王様だ」と言った。 陽は完全に沈み、人影は闇に溶けた。お城に王様は帰ってきたのだ。人々は帰路についた。ぽつりぽつりと「王様だ」と、通りや家々から聴こえた。人々はそれを聴き合った。そうして人々は眠りに就き、一羽の年老いたオウムはその全てを聴いた後、静かに街を飛び去った。 そしてまた日が昇り街が起き人々は動き始めた。それからも街で人はありとあらゆる活動をしていたが、それで人々は幸福となったか不幸となったかは伝えられていない。
寓話『お城の王様』 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1262.7
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ポイント数 : 0
作成日時 2020-10-09
コメント日時 2020-10-17
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
客観的に見れば、一つの社会の成り立ち、あるいは伝記のようなものだと推測されます。しかし、どこか不気味さというか、現実的ではない部分を含むのがいったい何を意味するのか。しかもそれが、妖怪や神とか霊的、超常的なものではないあたりがこの作品の肝なのかな、という気がしています。
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