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描いた森から聞こえる鳴き声とは
場面が一枚の布からはじまり、森から街へと移動していくというストーリー性がありながら、一枚の絵画のようにビシッと纏まっています。まるで、最終行の「初めて街に立っている」姿を描いた絵の前に立ち、そこから見える風景やそこに至るまでの過程を体験させるような作品だと感じました。 タイトルは「針の鳴き声」ですが、本文に鳴き声の描写は一切ありません。いったい何の、またどんな鳴き声なのでしょうか……。 >薄い帆布を濡らしてすぐ森になる 書き出し部分については、百均さんとなかたつさんの読解キャスがとても参考になりました。「帆布」は絵を描くキャンバスの生地であり、もとは船の帆に使われていた布だそうです。今回は絵を描くキャンバスとして、読み進めます。 キャンバスを「濡らして」「すぐ森になる」。これは、「キャンバスに筆を入れると世界が広がる」というイメージへとつながりました。一本の線が木に、木をたくさん描いて森に、という具合に絵を描くことで自らの世界を表現していく、という行為です。(これは詩を書くこととも似ているかなと思いました。) つづいて、 >道路に塗り直された白線の裏からページを繰る手によって >涙はまとまらず 足もたわんで >やすやすと明後日まで追い越した 明後日まで追い越してしまったのは「私」だと思ったので、疾走感というか、自身がなにかに追い立てられている印象を受けました。 日々というのが毎日新しいもので、昨日の上に塗り重ねていくものであるとすると、この「白線の裏からページを手繰る手」というのは、今日に立っている自分に対して過去がちょっかいをかけてくるような感じかなぁと、やや強引に想像してみます。先に行かなきゃいけないのに、過去が誘惑してくる。過去に惹かれながらも前へ進もうとする、あるいは前へ進むことを強制されている(=成長)葛藤で、「涙はまとまらず 足もたわむ」。この「たわむ」というのは「もつれる」に近い感覚でしょうか。また、実際のキャンバスも水を含みすぎてたわむ、なんてこともあるのかな……とも想像してみたり。 >走っている間だけ読むことができる文字と >既に伴走した光とを纏って 「走っている間だけ読むことができる文字」って、トラックの荷台に書かれた右から左に読む横書きの文字みたい、なんて思いましたがこれは止めておきました。「走っている間だけ」というのはつまり「なにかに夢中になっている間だけ」と読んでみます。夢中になる何かに出会い、没頭した日々……たとえば青春時代のような……にだけ見える景色ってある気がします。その時期を振り返ると、キラキラしていて本当にまぶしい光に包まれているように感じることはありませんか。「伴走した光」ってそういうものかなぁと。アイドルだったり、創作だったり、「ただそれ一色」である青春時代というのは、まさに野生の獣のように自由であり欲望にまっしぐらな時期といえるのではないでしょうか。 さて、その青春時代ならぬ野生時代(森)を抜けて、いま「初めて街に立っている」のです。野生的な生活を終え、社会(街)で暮らしていく、という次の段階のスタート地点に立った、という場面を想像しました。 この、走っている一行目〜六行目の「動」から、最終行の「立っている」でピタッと止まる「静」への変化が、美しい着地のポーズとして静かだけれど印象的なラストを演出しています。 では、タイトルの「針の鳴き声」とは結局なんでしょうか。「自立のとき」が刻一刻と迫っているときに聞こえる時計の秒針の音?あるいは「時計」というものを「針」が主体の、文字盤やその他の機械やプラスチック部分を肉体とする獣としたとき、夢から醒めるために鳴り響くアラームは「針の鳴き声」になるのではないか?それとも青春を走り抜ける獣の咆哮か?と、結局、正体を突き止めることはできませんでしたが、私としてはこのあたりでおさめたいと思います。 表現に隙や無駄がなく、とてもカッコいいと思いました。最後は「街に立っている」と状況だけにとどまり感情は描かれていません。この状況が良いのか悪いのか、希望なのか絶望なのかわかりません。ちょっとワクワクするような、良い意味でモヤモヤするというか、果たしてこれからどんな生を歩むのだろう、という余韻にとても惹き付けられました。
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作品データ
P V 数 : 1358.9
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作成日時 2020-09-25
コメント日時 2020-09-25