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していく
していく いつも私が私を私をして どの段階かはわからないが 私をする、とは別に 剥き出しのまま他者から私を私は得る 得るがそれが必ずしも 理想像な私とは限らず そこに決定されない 聞き慣れた声と媒介からの声 全く異なって聞こえるように 色も味も 私を通していないのだから 私を通していない私が存在している というのは、不穏で、また私には不憫だ あらゆる視点 私の片鱗は潜み、だからこそ否定する 私が私であるのだからその私を異なっている 媒介が放つとは 無責任で人工物な偽物だ と四方で声を荒げる 他者の落とした感覚に私が埋まる それを摘み上げ静かに 誰にも見つからないようにと隠し 持ち去る この所得物はしているわけではないが 私であってもただ模しており ならば誰に報告することも届出も必要はない 他者から私を回収したまで しかし、良く見るとこれは私か 他者からの異なる私を私と認めるのは 私なのか、それとも他者からの私か 他者か ある所では融解しだしたどこかの私が と聞く 形式を譲り渡し明け渡し 他者の皮膚や体液とに染み込み 質量に束縛されずどこまでも 広大に伸びていく そして境目がゆっくりと消える 私が他者と混じりどこが私なのか もしくは私は元々が他者であってそこに私と言う確固たる本質的私をしている私では無いか 只管に有るに溶け込み 多種な私となって波みたく 分断されて回数で戻ってくる その時にはもう私がした私は失せ 失せるは私が失せたこと を繰り返す どこか無反射な愛から育んだ偶像的な 自己を自己に 投影したその姿が私をしていたが、もはや跡形はないのだ そんなグロテスクな混合、のまま 私は私を私をしているというただの心地、のまま
していく ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 798.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-16
コメント日時 2017-08-19
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
やっかいな哲学的命題に取り組んだ一作ですね。〈私が私を私をして〉私が私をする、であれば、私が「私」を演じる、ということになるのでしょうけれど・・・私が、私を、という言葉に、「私をする」という動詞が付く。思考実験というのか、思考の旅を経て〈私は私を私をしているというただの心地〉に帰着する、わけですが・・・。 〈私が他者と混じりどこが私なのか・・・私と言う確固たる本質的私をしている私では無いか〉このあたりの感覚、とても観念的な用語の用い方ですが、体感的に伝わってきます。 他者から見た自分、を意識して初めて・・・「私」を得る。しかし、もともと漠然と、もやもやと、いろんなことを感じたり、考えたりしている、「私」がいる、はず。はて、この「私」と、外から見られることによって発見した「私」は、同じものなのか、違うものなのか?そもそも、私の意見、だと思って行動しているけれども、これは、他者に影響されて得た、他者の意見なのではないか?・・・などと、考え出したらキリがないですね。 哲学的、抽象的な命題なので、仕方ないとも言えますが・・・こうした自己撞着的な議論を繰り広げているときの「感覚」「感じ」を、比喩によって表現すると、どんな「感じ」になるのだろう。迷路?森の中?砂漠?それとも、都市の裏道を彷徨う感じ?入り組んだショーウィンドウに移り込む、自身の影に惑わせられて迷い込んでしまうような感覚とか・・・そんな「感じ」を知りたいなあ、という思いもあります。
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