別枠表示
コロナ禍のなかで
うすぐらい もやがかかって あなたのかおが よくみえない わかりあうための日々は 太陽にくわれて消えてった わからないことが ひとつ ふたつ あなたのかたちが にじんで きえる
コロナ禍のなかで ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1763.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2020-09-22
コメント日時 2020-09-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
もや/かおがよくみえない/日々は〜消えていった とソーシャルディスタンスやマスク、抑制された生活の消化試合のような日々などをよく表していると思います。 ただ、 わからないことが/ひとつ/ふたつ のところは、政府やコロナの実態に対する意識なのかと思いきや、4連の「あなた」にかかっていて、また「あなた」に戻っていくあたり、発展せず尻すぼみなところがやや物足りなかったです。
1うすぐらいもやはコロナを抽象的に表したものかなあと思いましたが、やっぱりマスクなのかな。 太陽にくわれたのは月日か、夏か? なんとなく、コロナで学生生活がめちゃくちゃになってしまった学生を思い出しました。 わからないこと、なんだろう。 あなたのかたちがにじんできえる、は 、疎遠を示すんだろうか? 深く考えられなくてごめんなさい。
1タイトルが。どうなんでしょう。「コロナ禍」だからこそこのシンプルな構成の詩が響くのかもしれませんが、もう少しコロナ禍を感じさせ仄めかすに留めた方が良かったかもしれません。
1即興で川柳を。返詩として。 うすぐらい 見えざる顔の こえのこす
2にじんできえてしまうのは、コロナに侵された命、でしょうか。
1小学生以来の詩に頂いた初めての批評、嬉しく思います。ありがとうございます。 コロナ禍のなかで疎遠になってしまった人たちへの悲しみと、未知なるウイルスによる今後の生活についての漠然とした不安を綴りました。抑制された生活の消化試合、という表現は大変しっくりきました。 尻すぼみでしたか。詩の技法については今後勉強していきたいです。
0コメントいただきありがとうございます。 おっしゃるとおり、「うすぐらいもや」はコロナやマスク、コロナウイルスが蔓延している世界への漠然とした不安感のたとえとして用いています。「太陽に食われた」対象は、誰かと会えるはずだった(そしてそれは誰かとより親密になれるはずだった)月日のことです。 読む方によって、それぞれのコロナへの不安を想起させるものになれば、と思っておりましたので、コロナで学生生活がめちゃくちゃに・・・という感想は興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。
0ご鞭撻いただきありがとうございます。エッセイをよく読むため、エッセイの題の付け方に影響されたものだと自負していますが、詩はまた違った題の付け方があるのでしょうか。奥深い世界ですね。 ちなみに、stereotype2085さんなら、この詩に何と題を付けますか?
0コメントいただきありがとうございます。 知人友人らと会えない時間があまりにも長引いていることにたいする不安感の表現としての一文でしたが、そういう解釈もできますね。
0ころなかなのなかで というタイトルが この中の中で、という風に聴こえるなぁと感じてました。 この音の絶妙な曖昧さが、詩の不明瞭さ、もや加減と合っていて、良いと思います!
0